幸福な世界に塗り替える

例えば「あの人は良い、あの人は悪い」という
好き嫌いとか個人的な主義での善し悪しとか
そういう判断を人は常に続けている

どちらが良いわけでも悪い訳でもないのだ
どちらの人も実在しておらず
あなたが見ているのは人そのものではなく
「それを判断しているあなただけの世界」だ
言い換えれば、あなたしかこの世にいない

あるがままの人々という「それ」はいるけれども
それを知ることはできない
なぜならば、それは人々ではないからだ
あなたが勝手に人々として見ている
知ることができないものは実在しない
だけどもあるがままの「それ」はある

以下をイメージしてみよう

何も聴こえない耳栓をして
誰かと会話をしてみる
目の前の誰かは笑顔だけども
笑顔で怒っているのかもしれない
笑っているのかもしれない
さらに目を閉じてみる
そこに誰かがいるのは触ればわかる
だけども表情も見えないし声も聴こえない
だから感情がわからない
男か女かもわからない
ただ肌の感触があるだけ
そして触ることもやめたとき
ただ気配だけが残る
それが人なのか動物なのか
無機物なのかも知らない
ただ「それ」がある
五感を排したとき
あなたは世界の真実を垣間見る
常に何かの気配に包まれていることに気付く
それが人々でも物でも気温でも
表面的な意味付けはどうでもいい
ただ何かが常にある
何かの気配が常にある

気配を感じている「あなた」
だけどもそのあなたですら
気配をそのように見ているに過ぎない
つまり気配だけが充満しているのだ
じゃあ本当のあなたとはどれか
そのすべてだ
あなたはあなたの中で生きている
あるがままの人々とは
あなたのことなのだよ
だから探しても見つからない

世界とは印象とか観念とか
そういう幻想でできている
あなたの見方で印象や姿形が決まるということ

つまり「受け取り方」が世界を形成している
だから全部「良いもの」にもできるということだ
このブログもあなたが見るから存在している
このブログを善し悪しとするのも
すべてあなたが判断することだ
猫が可愛いという人もいれば
怖いという人もいる
だが猫は可愛いものでも怖いものでもない
そして猫という分別を人間がしているだけで
それが一体何なのか、誰にもわからない
五感を閉じたとき
そこに気配だけが残る

すべての中心はあなただ
あなたがすべての気配に「これはこういうもの」と
定義を与え続けた結果が目の前に広がる世界

だがそのあなた自体も実在しないから
(あなたという気配を印象付けて見ているだけだから)
幸福も不幸もそれぞれが素晴らしく
ハズレもアタリなのだよ
幸福もハズレもすべて気配だ
それをそのように見ているに過ぎない

まあしかし
幸福、幸福、幸福と
誰もがそれを望む
そのような世界をあなたは作っている

いいかい
望むんじゃない

幸福になりたければ
そのように塗り替えるだけだ
たったいまからできるのだよ

始めなさい

 

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