ハッピーな人になれば世界はハッピーになる

あなたの「知っている通りの現実」がそこにある
ここが重要なポイントだ

ではあなたの知らない現実とはどんなものだろう?
知らないものは想像もできない
言葉遊びになるが、
想像ができなければ創造もできないのだ

現実とはあなたの思考でできている
「思考は現実化」する、とは当たり前だ
現実とは思考のことである
思考を変えれば現実の見え方も変わる

つまりあなたの知っているものが変われば
その世界は変わったようになるだろう
「〜ようになる」の意味は後述する

「あのお嬢さんは世間も知らずに
遊び回っていいわね」と
オバサン達が言う

その言葉には羨望もあるだろうが
嫉妬やら劣等感やら
ある種の恨みやら怒りやら
様々な感情が渦巻いているのだろう

「私はこんなに大変なのに、
まああの子もそのうち苦労するわ」
そう自分に言い聞かせる

その通りだ

オバサンは大変だし苦労するのだろう
そしてその後も苦労し続けるのだろう

だが「お嬢さん」は何も知らない
オバサンの世界とは違う現実を見ているのだ

無論、何かが切っ掛けで世間に世知辛さを覚えれば
オバサンと同じような世界を見るのだろう
だがハッピーな人にはハッピーな世界しかない
それ以外ありえないのだ

ミーラーバーイーという
中世の時代に生きた姫がいる

彼女はクリシュナを崇拝し
どんなことが身に起ころうとも
自身を明け渡すことで光明を得た
彼女が踊るとき
そこには踊りだけがあり
彼女が歌うとき
そこには歌だけがある
苦難の世界を変えようとはせず
彼女自身の自己が溶けたことで
その世界が変わったのだ

当のクリシュナに至っては
地獄の底でも踊り狂っている
いつもバカ騒ぎのパーティピープルだ
彼はどこへ行こうが
何が起ころうがどうでもいいのだ

オバサンが常に保持し続ける一切の不安、恐怖、エゴ、
そんなもの知りもしない
聞いたこともない

あなたがその「現実」を変えたいのならば
それは諦めなさい
現実が変わるのではなく、
あなたの捉え方が変わるのだ
あなたが変われば
その通りに現実は呼応する
それは「変わった」のではなく
ごく当たり前にそこにあったと気が付く

いつもの通りだが
あなたがそれに気が付いたとき
それは決して「変わった」という自覚はない
最初からそうだったと何の疑問もなく受け入れている
以前に「一体何を追い求めていたのか」
すらわからなくなる
だから「現実」が変わることはありえない
あなたが変えたとき
その周囲は常に最初からそうだったのだ

覚えておきなさい
ハッピーな人にはハッピーな世界しかありえない
だからいまからハッピーな人になりなさい
そうしてあなたの世界をピンク色に染め上げなさい
ただあなただけがハッピーになればいい
誰かに何かをしようなんて思わなくていい
あなたの世界の住人たちもそれを待っている
あなたが神なのだ
あなたが染まれば世界は染まる
すべてあなたの責任なのだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. サボ より:

    自分さん いつもありがとうございます。

    同じようなことを繰り返し質問して申し訳ありません。
    まだよく理解できないのです。

    >あなたがその「現実」を変えたいのならば
    それは諦めなさい
    現実が変わるのではなく、
    あなたの捉え方が変わるのだ
    あなたが変われば
    その通りに現実は呼応する
    それは「変わった」のではなく
    ごく当たり前にそこにあったと気が付く

    ここで自分さんが言われている「現実が変わるのではなく、あなたの捉え方が変わるのだ」とは、現実の事象そのものは変わらないが、解釈が変わるということでしょうか?
    たとえば、財布の中身は相変わらず100円しかないが、貧乏万歳!!となるということでしょうか?
    それがハッピーになるということであり、捉え方を変えるということでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん
      こちらこそありがとう

      さて、あなたにとって
      「ハッピー」とはなんだろう?

      何らかの出来事が起こり
      それに対して
      あなたなりの解釈をする

      例えば私がハッピーだとしても
      あなたはバッドかもしれない
      つまり出来事自体には
      何の力もないということだ
      まずこの理解を深めなさい

      そして次

      何かが起こって
      あなたはハッピーになったとしているが
      実際はそうじゃない

      あなたがハッピーだから
      物事がハッピーに変わるのだ
      なぜならば
      物事に力はないからだよ

      「財布の中身が100円で万歳」ではなく
      「万歳!財布の中身100円だ」だ

      たぶんあなたがハッピーであれば
      財布の100円は意識にのぼらない
      つまりその現実は抹消される

      そして喜びに感じられる物事ばかりを
      キャッチするようになる
      人間的な解釈でいえば
      そういうことに目を向け出すということ

      だが何度も言っているように
      物事に優劣はない

      あなたがハッピーだから
      物事は喜びに変わるのだよ

  2. サボ より:

    自分さん お返事ありがとうございます

    さて

    >あなたがハッピーだから
    物事がハッピーに変わるのだ

    >「万歳!財布の中身100円だ」だ

    なるほど 理屈はわかります。自分が万歳ならば万歳な出来事が引き寄せられる?ということですね。
    ところでここでの万歳は本当に万歳でなくてはならず、万歳と思い込もうや万歳と思い込むは違うような気がします。
    ここに自分さんの話のむずかしさがあるように思えます。
    つまり自然状態で万歳であることの難しさです。
    ここの部分についてもう少しアドバイスをしていただけますでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      まず理屈を超えることだ
      本書もそうだが
      ウパニシャッドや禅、
      空思想や形而上学などの哲学でもね

      「これはなんだろう?」
      「これはどういうことだろう?」

      思考が何かを解決することを
      超えさせるためにある

      あなたは思考で物事を算段する
      これはこうしたらうまくいく、
      損や得、リスクに対する警戒心など
      「自分にとって良い手段」を
      考え出そうとする

      だがもし思考の算段なく
      ただ生きていればどうなるだろうか
      出来事や行為はあなたの選ばずとも起こる

      起こるものは次々と起こり出す
      そうした中で一切の算段をせず
      起こった物事を順に対応していくだけ
      そんなスタンスで生きていくと
      どうなると思う?

      あなたはいう
      「そんなことできるわけがない」という

      自分にとって良い手段を選ぼうとしてきたから
      八方が塞がっているだけではないかね?

      道に生える雑草ですら
      自然の法則に則っている
      彼はそこで生えて成長している

      あなたが同じように
      自然の法則に委ねた生き方をするとき
      あなたが求めている希望は失われる
      だが同時に絶望も失われる

      先のコメントの「万歳!」は喜びではない
      そこに起こった出来事を
      ただ認めているということだ

      一日だけでいいから
      思考の算段を組み込まずに暮らしてみなさい
      何かを掴めるかもしれないよ

  3. kaikai より:

    物事には何の力もなく、自分の捉え方次第だという事がようやく分かりました。
    良い所に目を向ければ良いんですね。良い風に解釈するというか。
    癖の問題ですね。今まで人にも自分にも足りないとこばかり無意識に目をやり続けたからしんどかったんだ。
    つまらんとこばかり、世界をくだらなく見てしまってた何と勿体無い。
    意識して焦点をプラス面に向ける感じですね!!
    たったこれだけの事で地獄にも天国にもなりうる人間のこの仕組み恐ろし

    • 涅槃の書-自分 より:

      kaikaiさん

      >良い所に目を向ければ良いんですね。良い風に解釈するというか。癖の問題ですね。今まで人にも自分にも足りないとこばかり無意識に目をやり続けたからしんどかったんだ。

      >たったこれだけの事で地獄にも天国にもなりうる人間のこの仕組み恐ろし

      よい気づきだ、その通りだ。

      さらにアドバイスをしておくならば、これまで自分が当たり前だと思っているすべてを「逆転させること」にある。

      つまり世界のなかで自分が四苦八苦して活動しているのではなく、世界という枠があって、そのなかで「自動的に動いている自分がいること」を理解しなければならない。観点の転回をすることだ。

      あなたが何を思考しても行為をしても、それはその原因となる切っ掛けがあったからだ。どんなことであっても自分が独自に発想していると思っているだけで、まったくのゼロからではない。

      いま私がこうして返信を書いているのは、もちろんあなたがコメントを書いてくれたからだが、あなたがコメントを書いたのは、それもまた何かが引き金となっていたからだ。そしてコメントに書かれる内容にしても、やはりどこかで経験して頭に残っていること、そのアレンジとなるわけだが、そのアレンジにしても様々な要素に対する反応となる。

      つまりいま置かれている人生の状況とは自分で選択してきたのではなく、選択させられてきたものにすぎない。

      たとえば「なぜ働くのか?」と聞かれて、誰もが明快な答えを出せないのは、それは自分で人生を選択してきたと思い込んでいるからだ。しかもその前提に立っている限りは、己がいかに自動的なレールに転がされているのかさえ気付くことができない。

      なぜ働くのか、それは働かざるを得ないからだ。生活があるからとか、欲しいものがあるからとかいうのは派生的に作り出された要因にすぎず、最も根底的な原因は自動レール上では決して見つけることができない。

      なぜなら「働くこと」によって、働くことの「理由」が同時に作られ続けるからだ。言い換えれば、働くほど働かなければならないというサイクルにはまる。

      つまり原因と結果は常に同一のものとして回転し続けているというわけだ。どこに発端があるのか、いったいどうして自分はこの人生を歩んでいるのか、レールの上にいる限りはわからない。

      ぐるぐる回り続ける電車の模型があるけども、その電車に乗り込んでいる限りは、原因と結果は同一のものであり続ける。人は因果の法則に縛られて、それを避けたいがために様々な戦略を練りながら生きているけども、実はそれは「ひとつのもの」なのである。

      だいたいは人生の半ばあたりで、自分がずっと操られていたことに気づくわけだが、それでも当人はどうすることもできない。働いて、食べて、体を壊して、入院して、終わりとなる。

      となれば現実はどのようにして変化させることができるだろう? つまり「運命」から逃れるにはどうすればよいのか。

      それには先にも話したように「観点を転回」させる必要がある。

      自分は世界に自動的に”動かされている”のだから、己ひとりが世界に対抗するのではなく、世界の方を変えれば、あとは自動的に自分もその変化に従属することになる。まずこの仕組みを理解しておこう。

      じゃあどうすれば「世界の方」を変えられるのか。

      ここで問うべきは「世界はどうして”このよう”であるのか」だ。つまり世界を認識しているあなたが世界の色味を決めているということ、そしてその色味の世界に「自分」は従属していることを頭に入れておこう。

      この「色味を決めているのは己自身」という捉え方が”できていること”自体が「観点の転回」となる。

      つまり会社で、あまり好きではない相手があなたに何かを話しかけてきて、彼の発言がどういう意味であるのか、その意味を決めるのは「あなた自身である」ということだ。

      だがすでに確定された意味のなかで「自分」が反応するのであれば、それは「観点の転回」は起きていない。自動レール上でぐるぐると走り続けている状態に留まっている。

      そうではなく、あなたが彼の発言の「意味を決める」とき、世界が変わる。

      すると「自分」はそれまでとは違う枠に流れるようになる。もちろん誰かとのやりとりだけではなく、いまそこで流れている「すべての瞬間」がそのチャンスとなる。

      枠が変わればそれまでになかった新しい分岐が現れる。もちろん自動レールに走り続けている限りは、選択しているようで選択させられていることになるが、だが以前とは違う光景を楽しめているだろう。

  4. kaikai より:

    返信ありがとうございます!!
    自分さんの言葉は読んで頭に入れておくと、ふとした時に この事を言ってたんか と納得できる時があります。
    それが大事ですね!

    最近、天才と発達障害 という本を読んでいて、人間には映像で思考する視覚優位と言語で思考する聴覚優位という捉え方が人によって違うという考え方があるんですけど、ご存知ですか??面白いですよー!!

    • 涅槃の書-自分 より:

      kaikaiさん

      こちらこそありがとう。

      ああ、その本は知っているよ、ガウディとルイスキャロルのやつだね。己が「いかに世界を独自的に認識しているか」を知る、その扉となる本だ。そこからまた研究を広げてみるといいだろう。以前とは世界が違ってみえてくる。

      だが大事なのは「どうして違ってみえてくるのか」という問いを忘れないことだ。つまり視聴覚の差異はあくまで「鍵」であり、そうした「諸々の鍵」によって、あなたはあらゆる科学的論拠を超えた領域に立つことができる。

      世界が白といえばそれは白であり、薔薇といえばそれは薔薇である。またその本のように認知特性というものがあるといえばそれはそうなのであり、つまりあらゆる物事はあなたの「知る世界のなか」にある。

      ふと気づいたときには、すでに己はこの「知られる世界」にいるわけだ。世界があってそこに己が登場したのではなく、世界とともにあなたは現れている。

      だからたくさんのことを学ぶほど、すべての「学ばれるもの」は人工的なものにすぎないことがわかってくる。そのことを真に理解するとき、あなたはこの意味世界(人間関係や仕事や生活など)から解放される。

      もちろんすべてが消え去るというわけではなく、それらの意味に「閉じ込められないまま」に、世界を楽しめるようになる。

      そして死さえも超える。なぜならこの”常に認識されている生の世界”自体が人工的なものであるからだ。

  5. kaikai より:

    さすがです。読んでましたか。

    この本の中に出でくる、感覚などからの刺激を受ける脳の神経の結び付きの強さが人によって違って、神経の結び付きが強いところへの刺激を人はおもしろいと感じる
    って自分さんの言う特質じゃないのかなあと思います。

    世界をどう捉えてもいいという自由を持ってるって感じですね!!涅槃の書も こんな捉え方ありますよ って教えてくれてる感じですね!!

コメント・質疑応答

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