本当の自分を発見する(4)

13.言語とは己の世界観のこと

あなたの現実とはあなただけが知るものである。何万人もの来場者で溢れるテーマパークは一見誰もが楽しんでいるようにみえる。だがそこには楽しさ、苛立ち、憎しみ、嫉妬など何万通りもの光景がある。あなた自身もそうだろう。ずっと楽しい気分というわけじゃない。嫌なことを思い出したりすれば、光景はさっきまでとは違う様子になる。光景さえもう目に映っていないかもしれない。

そのように捉えてみれば、逆に「今ここに人々で賑わうテーマパークがある」という事実さえも、本当にあるものなのかと疑うこともできる。

つまり現実を見えさせているのは己の心であるわけだ。

じゃあ心はどうして「人間的な解釈」をするのだろうといえば、当然それは人間としての「考え方」を機能させているからに他ならない。動物や虫たちは、先の予定や計画に気持ちを焦らせたりはしない。

では人間と動物を分かつのはなにか。

同じ哺乳類であり、脳も体も構造はほぼ変わらない。近年の研究では脳の大きさではなく、体に対する脳の重さの比率で知能の差があるのではないかという説が出ている。確かにその見解においては人間が最も脳の重量があることになる。だがその研究は人間が最上位であるという”そもそもの思い込み”が前提になっている可能性は拭えない。

なぜなら天才物理学者といわれたアインシュタインの脳は同じ人間同士で比較した場合、とても軽かったからだ。また成長途中にある子どもが、大人よりも豊かな発想や表現ができるのはなぜだろうかともなる。

じゃあ脳という臓器そのものが人間世界を多様に描いている根本的な要因でないとしたら、さっきのテーマパークの光景のように、ぐるぐる変わる世界を描いているのはなにか。心というものを生成しているのはなんだろう?

つまりそれが言葉なのだ。ハードウェアではなくソフトウェアによって、物理的な光景も内的な心情も言葉によって描かれているのである。

14.ここは三次元?

言葉によって私たちは思考する。言葉によって他人と交流をする。言葉によって記憶を呼び覚ます。また言葉によってこの三次元世界が見えている。突き抜けるような青空と広大な大地があり、太陽の光が降り注ぎ、アネモネの花が風に揺れている。テラスでは犬たちがくつろぎ、私は淹れたてのコーヒーと本を傍らに置いて、この世界を楽しんでいる。

言葉といえば「会話」をイメージするかもしれないが、言葉によって私たちはこの世を三次元として捉えることができる。言いかえれば、言葉は「三次元までが限界」だということだ。より高い次元は言葉(つまり思考)では到達することができない。

よい機会なので次元について簡単に説明しておこう。スピリチュアルの理解について大事なところとなる。

現在の宇宙物理学は11次元、または26次元が上限だとしているが、よくある誤解は「高次の到達」がいまある世界とはまったく別の世界に移動することだというものだ。

そうではなく、いまここが3次元であり11次元であり、また1次元や2次元でもあるのだ。つまり「どのように認識しているか」が次元という”尺度“のことであり、だから物理学の現時点での「解釈の限界」が11次元、26次元なのであるということ、つまり別の宇宙を覗き込んでいるということではないことにある。

だからいまあなたのいる部屋は3次元でもあり11次元でもあるわけだ。

そのように捉えてみれば、”尺度を与えないとき”のこの宇宙は「無限」であることがわかる。私たちは無限の空間のなかで、三次元という制限されたスコープを通じて世界を体験しているというわけである。

15.時間の正体

ところで三次元というのは立体のことを意味するが、これにはまず二次元について学ぶ必要がある。

二次元というのは平面のことだ。幅と奥行きという「二方向」の概念のみで構成される。ゆえに二次元となる。そこに高さという「三つめの方向」が加わることで三次元となる。だから三次元に「四つめ」のなんらかの方向が加わると四次元になる。

あなたが二次元世界の人であるならば、立体を認識できない。世界は平面であり、そしてあなたも平面だ。もしその世界にボールのような球体が現れたらどうなるだろう。ボールは立体であり、あなたの世界にはありえない「高さ」という概念をもっている。

ちょっといじわるな世界となるが、あなたと私が同じ場所にいて、あなたは二次元のスコープを、そして私は三次元のスコープで世界を体験しているとしよう。

私がボールで遊んでいるとき、あなたの目には、コンパスで描いたように輪切りになった平面の円が、ボールの移動とともにだんだん大きくなって、そしてだんだん小さくなっていくようにみえる。目の前の机の下からボールが板を通過していく様子をイメージしてみるといい。机という平面に現れるボールの姿は「円」の拡大と縮小だけとなる。

このことから、二次元にとって”ありえない”はずの三次元の構造は「時間の進行によってのみ表現される」ことになる。球体という立体はそのままでは理解されず、徐々に大きさが変わる円としてのみ理解されるということだ。つまりこれが「時間の正体」となる。

16.本当はなにも失われていない

これをそっくり私たちの三次元世界におきかえてみよう。どうして私たちは時間の流れを感じるのか。それは四次元の構造が「そのままでは理解できない」からだ。平面世界にとって立体世界が時間進行によって表されたように、立体世界にとって四次元世界は時間進行によって表される。

だから時間とは「幻である」といわれるのだよ。「時間の流れ」というものがあるのではなく、私たちの認識に及ばないものは「時間としてしか体験されないだけ」なのである。

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