偽りの世界を見破る(中編)

前編では、私たちの正体である「大いなる流れ」が”流れる”ことにおいて、それは唯物思想でいうところの前滅後生、生物学でいうところの細胞代謝、熱力学でいうところのエントロピー増大則、社会学でいうところの弁証法的歴史観などといった具合に「この世」はひたすら変化し続けること(諸行無常)がわかった。

何事も決して同じままではありえず、必ず別のもの、別の状態に移り変わっていく。私たちが「観念上」で捉えている生死というのも、大いなる流れの一環にすぎない。つまり死で終わりではなく、人間世界というひとつの眼差しのなかで、”そのようにみえているだけ”なのだ。

すべてが常に動きのなかにあるということは、それは言いかえれば「形あるものは実在ではない」ことを意味する。目の前にペンがあるとき、ペンそのものが実在ではなく、そこにペンが「在り続けている」という持続性、その「存在性」こそが、実在なのである。

だから私たちは真の意味での存在(=実在)を見ることはできない。日頃私たちが見ているのは、実在の「残像」であり、つまり真に在り続ける存在からの直感に対して、己の潜在意識(記憶)があれこれと様々なことに連関させ、常に遅れて現れている残像が「この世という形」を造形している。

17.心が囚われた世界

いま周囲を見渡して、存在(無形)と残像(形あるもの)として捉えてみよう。

私たちは残像(形あるもの)を見たり聞いたりする。小さな犬やその鳴き声を聞く。だがそのワンコの「存在そのもの(無形なるもの)」を見たり聞いたりすることはできない。その純粋なる存在を記述することは通常の人間にとっては不慣れなことであり、とても難しい。

だけども本当は私たちはその純粋なる存在と直接結ばれているのだ。自己意識が大いなる意識の部分であることはいつも話している通りだけども、じゃあどうして自己意識が大いなる意識と分離しているような状態にあるのかといえば、それは自己意識が存在そのものではなく、残像に同一化してしまっているからである。

つまりそこに見えたり聞こえたりする「形あるワンコ」に心が奪われ、そうして形の世界での因果関係に巻き込まれていく。だがそれは常に残像のなか、出口と思えるものさえも残像ゆえに、それ自体としては抜け出すことはできない。ここに「現実」の巧妙な仕掛けがある。

たとえば回転するレコードに針が置かれた地点(ゼロポイント)ではまだ音楽が現れていない。レコードに刻まれた溝を振動として拾うことで電気信号に変換され音声として出力される。つまり針にレコードの溝が通り過ぎていくことで音楽が流れるように、私たちが現実だと思っている世界も、己の自己意識(レコードの針)が通り過ぎたその後ろに、現実像は浮かび上がっている。

だから”時間の流れ”によって(レコードの回転によって)、事後的にこの世は現れている。だが真なる「いまここ」には、針という「先頭」のように、なにも存在していないのだ。

18.本当の体験はいつ起きたのか

目の前にあるものに触れてみよう。コップでもスマホの画面でもいい。「触れた」という感じがあるね。だがその触れた感触そのものは、いま起きているものではなく、起きたものを「事後的に知った」ということにある。

ではその「触れた」は一体いつ起きたのだろう?

生理学者ベンジャミンリベットによれば、それは0.5秒前だと実証している。またfMRI(脳内の活動を視覚化する最先端の技術)を用いた最近の脳神経科学では、知覚の部位によっては最大で10秒も遅れて「認識する」という傾向まで明らかにされている。つまり0.5秒や10秒も前に起きたことを、私たちはいま起きたことだと認識しているわけだ。

だが0.5秒にしろ10秒にしろ「人間的時間」が前提に置かれている。それは「ニューロンといえど体性神経からの距離があるのだから認識はきっと遅れているはずだ」「脳の処理もゼロタイムではないはずだ」という人間中心主義的な観測によって見出されたものにすぎない。

もちろん研究とはある枠組みのなかで行うものであって、その枠組みの前提にまで手をつけてしまうと、何も示すことができなくなる。たとえば高度な数学計算を打ち出すのに、数字の概念や公理などが揺らいでしまうと、その上で積み立てられているものは存在できなくなる(これこそが現実のカラクリであり、科学自体は世界の解明どころか、逆に制限を与え続けているわけだが、それについて後述しよう)。

とはいっても研究者の認識によって被験者のタイムラグを確認しているわけであって、それはバイアスを免れない。じゃあ研究者自体のタイムラグはどのように計測すればよいのだろうか。

たとえばいま家族が話しかけてきていることは、本当はそれは一体いつのことなのだろう? 単に脳認識の遅延(0.5秒~10秒)で済まされるのだろうか。それは話しかける家族と周囲の状況などの”相対的なズレ”だけを示しているだけではないだろうか。つまりその家族だけではなく「現実全体が遅れていたら」どのようにしてそれを知ることができるのだろう?

19.”この世”は実在ではない

量子力学では「人間が観察するまでこの世のモノは存在しない」される。

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