偽りの世界を見破る(前編)

存在感というものがあるね。人だったり物だったり、ある特定の場所なんかもそうだが「オーラがある」なんて言ったりする。そのままひっくり返せば「オーラのない人」というのは、存在感のない人のことになるわけだ。

憧れていた音楽アーティストのライブに行ったならば、しばらくその興奮が冷めないだろうし、待望していた何かを得たり達成したときには、瞬間的でも「全能感」のようなものに包まれたりもするだろう。新しい恋人ができたときもそうだ。己のなかで何かが解き放たれる。そのきっかけは「存在感を持つもの」の圧倒的な力に触れたからだ。

美術展では「存在感」を何百年も保ち続けている作品に出会うわけだが、ネットでいろんなものが見れる時代であっても、わざわざそこへ足を運ぶ人が絶えないのは、その作品と自分が同じ空間にいるときに生ずる「何か」を感じるためであるといえる。つまりバーチャルでない実体験、海外旅行もそうだし、恋愛を求める気持ちもそこにある。

しかしそうした「存在感を持つもの」は良い影響を与えるものとは限らない。逆に圧倒的な威圧感をもって己を支配する力として現れたりもする。

たとえば同じ学校のいじめっ子だとか、劣悪な労働を強いるブラックな社長だとか、絶望的な暮らしを送っているときに立ちはだかる社会の構造なんかもそうだ。

良い意味での存在感はこの宇宙とひとつにさせてくれるが、悪い意味での存在感も己をこの宇宙とひとつにさせる。

この力(存在感)とは一体なんだろうか。今回はその不思議な力を解き明かして、己を支配するものを遠ざけ、代わりに自らの力として役立てていく話をしていこう。

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