目の前の小さな穴を見つける

異性を追いかけるのも
好きな雑貨に囲まれるのも
それは楽しいことだったろう

だからあなたはまたそれを求める
そしてそれらが得られないと
苦悩しはじめる

そうじゃないのだよ

あなたはそれらを通じて
自分自身を感じていたから
楽しかったのだ

その相手が誰かであるか
それがなんであるかといったことは
あなたの幸福感には一切関係がない

それさえわかれば
あなたは何にも振り回されない
社会や他人の影響をまったく受けなくなる

誰かや何かに楽しませてもらうのではなく
自分が楽しむだけでいいのだと知る

実存というレヴェル
その小さな穴を発見する
あなたはそこに入っていく

するとあなたは
とても魅力的な存在となる
なぜならこれまでのように
誰かに素敵だと
思ってもらおうとするのではなく
あなたが素敵になるからだ

欲望や目標に支配されて
自分を見失うのではなく
いま「欲望していること」に
在り続けるようになるからだ

そうやっていまこの瞬間、いまこの場所に
自分を在らしめなさい
それが自分を受け入れるということだ
ならばすべてが変容する

 


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  1. A より:

    少し変容してきました。自分がです。
    エゴのリピートをevernoteに書いて、関連する感情からトゲを探すと世界の現実が何か反応するかリピートが終わる。

    そんな事をやってたら、今日のテーマは完璧主義と隠してる自分でした。
    昔からそうだった過去の自分。
    スーッと何が引けて行き、ふと感情に注目しました。
    湧き上がる嬉しさのような感情があり、思考の不安のエゴとは別エリアで、頭に沸いてくるセリフのエゴとこの感情は別物で。これがドミノの先頭?これが自分自身を感じるって事?
    セリフが無くて沸いてきて、でも気を抜く今はそれはいない。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      それでいい。感情を俯瞰できることはあなたの人生の最大の発見となる。あなたがそこにいる自分を完全に俯瞰するとき、現実のあらゆるものは手の内で転がっているだけとなる。それがわかるようになる。

      支配者になるのではなく、「選ぶ者」になるのだよ。無限に実る果実から好きなものを選ぶ生き方でありなさい。

      ならば「選ぶこと」が創造性であり、それが流れであり、そしてその一連の動きそのものが本当の自分だったことに気付くだろう。

      あなたが倒すべきドミノの先頭はない。流れに委ねているとき「ドミノの先頭」はあなたの後ろで、”すでに倒れていた”のだよ。

    • A より:

      自分さん、さっきちょっと面白いけど大事な発見をしました。

      一昨日新しいコスメを試してお肌の調子が良くて、今朝もルンルンして起きたのです。
      朝から自然にルンルンしてるって久しぶりだな~やっぱり私化粧好きなんだなって思って、「この感じでAさんかBさん現実に出現させてよ私」って思ったんです。

      そしたら本当に急遽Bさんが会社に現れる事になった。しかもBさんが来ると確定してなかったけど確信があったのでメイク直ししてまたルンルンして、出迎える前に照れたり見ないふりしないでちゃんと観てみようと思って出迎えました。

      確信通りBさんがいて、私の感情第一声「あれ?美化してた(笑)」
      それでも美化して可笑しくなった体験観てみて、エゴが見ないふりしようとか余計な事を言っていたので、ドキドキを感じてみよう、相手の目を見てみようと実行しました。
      やっぱり美化してた(笑)

      エゴが余計な事してて私、相手の事ちゃんと見てなかったみたい(笑)
      照れとか見ないふりとか余計なエゴ出すと→好きな人かどうかちゃんと見れない。
      ドキドキするの抑えたりしないで、ちゃんと照れてみるの大事。照れてる自分をじっくり感じてみるの大事。
      これって「隠してた自分」のトゲに通じた。
      そしてどうやら私は化粧が好きで思いのほか大事な要素みたい。

    • A より:

      それとも、自分に無価値観をもっていると相手の粗探しをしてしまう、のトゲかな?
      確かに嬉しかったのは事実だし、粗探ししちゃったのかな?
      でも美化しちゃっててもがっかりはしなかった。むしろ現実の反応が面白かった。
      おいおい私!照れたり自分を隠そうとする前に良く見ろよ(笑)!相手の良さもちゃんと見れないよ!と感じたのです。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      最近の記事で書いたことだがね、あなたがそこで「ここはこういうシーンだ」と思うなら、それをその通りに演じ切ることだ。いつも「後ろめたさ」という障壁が現れて、あなたは思うがままのシーンを流すことができないでいる。だから「演じる」のだよ。そういう取り組み方であれば、あなたも軽くなれるだろう。

      さてあなたは恋愛の人だ。いつもラブを求めている。ゆえに求めるほどそれは遠ざかり、どうでもいいときに限ってそれはやってくる。

      「恋愛とはいったいなんだろう?」その答えはあなたの中にあるのだよ。お目当ての異性を見るたびに、その問いを自問してみることだ。

      自分はこの生で一体何を探しているのか、それを見つけることができるだろう。

    • A より:

      自分さんこんにちは。

      >「恋愛とはいったいなんだろう?」その答えはあなたの中にあるのだよ。お目当ての異性を見るたびに、その問いを自問してみることだ。
      自分はこの生で一体何を探しているのか、それを見つけることができるだろう。

      高校時代の元彼から連絡があり、結婚するなら私がいいと軽い話のなかで言っていました。
      彼は私の恋愛の良き相談者で親友のような存在ですが、結婚するなら彼だと上手くいくんだろうな、なんでも話せて全てクリアになってただただ安心のみがある。ドキドキも楽しさの感じもあまりないけど。
      結婚って何も違いが無くて、この安心が存在するかの違いなんじゃ。

      結婚は安心の顕現なのか。自分の中に安心が優位になると結婚する事になるんじゃないかと一瞬思いました。
      二元性の話はまだ分からないけど、ドキドキ(恋愛)の反対が安心(結婚)とか?

      仮に彼や彼のような存在と結婚するなら、安心感が広がって、どうせなら恋愛もっと楽しんじゃいたい、何をこの大事な時間におひとり様やってるんだと思ってしまう。ある意味今までと違う人格のエゴとでもいいますか。相手は関係なくて、自分の心に着火させる作業で、多分私にとってのそれは、デートでオシャレするのが楽しいから。ならば相手を意識しないでじゃんじゃんデートしたり付き合っちゃえばいいんじゃないのか?
      自分の意識が結婚じゃなくてドキドキや世界が広がる楽しい恋愛に向いていると自覚しました。

      これは間違っているのでしょうか?
      恋愛と結婚する相手は本当に違うのですか?

      嫌いな人と付き合う癖があるので、友達からは好きは人と付き合えと言われます。これがまた対立してしまいます。この結婚に対する安心は、「好きな人」に当てはまってない気がして。親友的な好きな人ではありますが、それはドキドキする相手にも時間が経つにつれて感じる事だし・・・上手く説明できません。

      私が変われば、高校時代の元彼のような存在に惹かれていくって事ですかね。何がそうさせないって、「好きな人と付き合え」が対立してしまって・・・

    • A より:

      おひとり様生活で得ることが出来たこと。

      我慢やトゲを吐き出せた
      自分と向き合えた
      自分をいじめなくなった 頑張ることを辞める事ができた
      親との和解 
      友達との密な時間を作れるようになった
      ゆったりした時間を感じれるようになった
      涅槃の書を発見した
      エゴの存在が分かった
      奥側を発見できた
      違う見方ができるようになった
      恐怖というものがあまりなくなった
      一人で食事を食べに行けるようになった

      嫌な事ばかりじゃない。大事なこともたくさんあった。
      必要な時間だった。全く違う人間になった部分も多い。
      嫌だと言っているのはエゴで、むしろ現実は良くなってる

    • A より:

      今日は昔からの友人と食事。昔は忙しくて頭も疲れてできなかった。
      ずっと気軽にこんなことできるようになりたかった。なんでできなかったのか良くわかった。しかし今まで出来ていた事が今度はつまずきだした。なんでか良く分からない。

      今って本当は喜びの中にあるのかもしれない。
      恋愛したいのはエゴなのか。
      むしろ落ち着く結婚ならまだしたくなくて恋愛をしたいという20代男子独身貴族のようなエゴが隠れていた。
      実存はただオシャレしたいだけのよう。多分ただただそれだけだ。
      結婚してもオシャレなんてできるのでは・・?結婚したらオシャレしなくなるのは思い込みなのでは?聞き入れてくれないのは独身貴族のエゴ?

    • A より:

      プレイヤーが友達に口にしてたのは、私もう出会う自信ない。
      本当はアラフォーの結構年上がいい。
      そうだと独身に出会わない、出会いに行ってたのはアラサー。全く好み違いに行っている。それでもトライしてみたけど、本当は40代がいい。でもどう出会っていいか分からない。なんでこうなったんだろ。今までこんなことなかったのに。どうなってこの現実なんだろ。
      全部自分の中、今日も友達と話しててそう思った。彼女との時間は楽しかった。もう出会うとか本当はどうでもいい。本当はやりたくない。

    • A より:

      >今まで出来ていた事が今度はつまずきだした。なんでか良く分からない
      今まで出会いを探しに行ったことがなかった。昔は人見知りが激しすぎて初対面が嫌いだったから出会いを探してGETするという思考回路がなかった。
      婚約破棄して初めて出会いを探しに出歩いた→好きになれる出会いがピタリとなくなった。
      これか?これなんじゃ?

      昔:出会う為には出ておらず、好きな人が流れるようにできていた
      今:出会いに行き、好きになれない

      出会う為に出るのではなく、そのため好きになれない状態は特に気にならず、そこに行くことでオシャレに敏感になるのが楽しかったから、好きな人ができていた、のかな??

      意味ないことしてたー

  2. Aslan より:

    私は、(職場などでは)時間の経過とかエアコンの温度を感知できないんですよ。
    完全に、浮き上がってしまい、感覚が遮断され、頭の中に引きこもるので、
    時間とか温度とかを感知できない。
    真夏の暑い日に、上着を着て仕事をしたりしている。1時半を2時半と間違える。
    自然に、生活の流れに溶け込めれば、家族や職場の誰かが、「明日から衣替えだね」とか「そろそろおやつでも食うか」なんつって、当たり前のように生活のリズムの中で、思考など使うまでも無く、自然に、物事がすいすい流れていく。
    これは、小学生、中学生、まぁ高校生まではそうだった。
    その後、エゴを基点として、エゴの力で人生を進めようとした結果、全体と切り離されてしまったわけですね。すなわち「日にち」とか「曜日」「年齢」「気温」すらも、自分の思考や記憶から計算して割り出さなくてはならなくなった。今日は何日で、何曜日かなども、考えて割り出さなければ認識できなくなった訳です。
    非常に困りますね。

  3. komatta より:

    エゴに助けられた部分を持つ人だけに。

    私は幼稚園から小学生の時は大人しく絵ばかり描いてる子でした。
    先生にももうちょっと自己主張するようにと、通信簿にかかれるくらい。

    そのかわり感受性は高く、プールの水面に反射する光をみてキラキラ輝いて、そういう表現を擬人化したりするのも得意だったから作文や詩の分野ではよく表彰されました。風と会話できる気もした。いつも空想上の精霊とかと妄想で会話して。祖父母はよく可愛がってくれて私の欲しいドナルドの安物の時計などは買ってくれなかったけど猫に小判のような子供には価値の解らない高級時計など買ってくれて、違う、とよく泣きました。

    小学生では同じ柄のノートを誰かが間違って自分は忘れたことにされて怒られて間違ってる男の子は解ってるのに、ただ、それ間違ってるから返してさえもいえなくて一人で泣いて抗議するだけのような大人しい子でした。けどそれが災いして足をひっかけられたり、だんだんと「泣くもんか」「泣いたら負けだ」と喧嘩はできないにしても「泣かない沈黙」の抗議を覚えた。空想好きも馬鹿にされたから、以前より現実的になってエゴを基点にして自己防衛に走ったら少なくとも虐めはエスカレートしなかった。

    また父が死んだのも10歳で緑も昼間みる月も語りかけてくるような感受性が強い時期で優しい大人しい子だった。では一体、その映像は誰がつくったんだよと。現実としてエゴが敵は矛盾があるから素直になれない部分もあります。

  4. Aslan より:

    エゴも必要なのかもですが、例えば、世界とか他者は《水》のようなイメージですね。エゴが強くなると、水の無いプールみたいな感じで、浮力が使えない。ガシガシと自分の足で歩いて目的地に向かうような感じですね。

  5. Aslan より:

    気が付いたらこの記事を開いておりドキッとした。
    好きな環境に囲まれて楽しさの中に居たからだ。
    或は楽しさを感じた結果、好きなものが集まってきたのもかわからん

    貴方が楽しくあるのだ

    全ては反応だ。
    この記事を見て、「楽しくなろう」も反応である。
    そして、確かにそれを見ている実存のレベルもあるが、そこから物事を見ることが究極の悦楽と言う話なのかな?

  6. komatta より:

    今日も天気がよかったから散歩がてら神社よって帰り小さい定食屋でお昼食べてると、テレビが流れててマツダのコンセプトがワクワク。
    楽しさを取り戻せと志、泥臭くはあるけど普遍の価値観とか語ってて
    ふーん。とりあえず親戚の自営の関係からずーっとマイカーはマツダさんだから。頑張れーとは言っておきましたが。これもシンクロですかね。

    ただマツダは一度、入ったら買いかえらないマツダ地獄ということわざがあります(笑)営業さんの保険こみサービスがいいし他、車種に乗り換え難しいです。

    • komatta より:

      ちゃんと見てないけど5感がどーのこーのとか。
      開放感やら爽快感がどうのこうのと感覚重視とか語ってて。
      ぼけーと見て他の番組に切り替わるころコーヒー飲み終わって帰りましたが。ネタのタイミングわりとあうもんですね。

  7. komatta より:

    今、調べたら
    広島放送局  「フェイス “楽しさ”を取り戻せ~マツダ くるまづくりの挑戦~」 これでした。NHKの再放送だったんですね。
    「瀬戸内アルバム 鳥になって神の島へ~広島県 宮島~」
    あとの番組はオープニングの段階で帰ったけど。
     

    • komatta より:

      一番、納得いけないのはプールの光がキラキラ光って、まるで金色のビーズを流したようでした。のような表現に、いくつも当時は賞状もらったり本人恥ずかしくて嫌なのに、教室の後ろに貼られたりして先生には、そういう才能あると激誉めされたけど…。

      だっせ~、こんなのマジだっせえよ。もっとリアルで行こうよ!と
      もうちょっとええ格好したいから、ささやいてきたものならエゴでのささやきでそういう物から遠ざかったんでしょうけど。

      あんたの詩やら作文、ちょっと人に例えすぎててオーバーでお母さん、好きでないわ。と母が悪気はなくとも言ってたから。
      これはエゴの分野でないんでないでしょうか。

  8. komatta より:

    家族仲はいいけど今日はベランダから火星が目立ちます。
    自分さんは天体にもお詳しいから
    こういう時の心の持ちようとかも尋ねてみたいです。

  9. Aslan より:

    涅槃の書を読むと、現代思想の流れの中で「とっくに乗り越えられた」などと言われる『実存主義』と言う思想を再検証する必要を感じますね。
    サルトルは「実存主義とはヒューマニズムである」などと、どこかで書いていた気がしたが、涅槃の書などで語られる《実存》とは、そんな生易しいものではないような気もしますね。

  10. komatta より:

    そんな気するから嫌気もさす時多いですね。
    なぜなら「死が視てる」のでしょう。
    無感情、つめーたくみつめてるー、つめーたくみつめてるーの
    イメージ。タイトルから「涅槃の書」ですから。

    よほどカルマ持ってる人以外は
    目指す必要案のかなあと感じることもあれば
    気づいたことに後悔することもある。

  11. Aslan より:

    たまのアルコールは良いものかもしれない。
    と言うのもやたら愛の衝動が押し寄せてきて、全ての人間を許し、愛することを容易にする。
    今も、ほんのり酔っぱらっているが、コンビニの店員と仲良くなってきた。
    素面だと、巨大な壁が出来るのにね。
    勿論、アルコールに力があるわけではなく、実存が愛なのかもしれないが、程よく利用すればその秘密の扉を開けるきっかけにはなるかもしれない

  12. komatta より:

    なんでそんな冷静なのかな。皆さんとか思いますね。
    恐怖に震え上がりますよ。何回、真言唱えても。
    首筋から耳のあたり、頭のてっぺんまで鳥肌というか電撃つきぬけたみたいに恐怖感走りますし。

    昔、イギリスのホラー作家で詩的な表現と哲学的な表現で、ホラー描写が好きというより文体が好きでファンだった、クライブバーカーって作家さんいたのですが。その方が仰ってた
    「恐怖に勝る楽しみはない。『それが他人のものである限り』」
    たにかにな。他人ごとの作り物の映画なら楽しいけどと。

    神仏の愛染明王様にしたって神仏も怖い。

    みなさん、切り替え早すぎ、成長はやすぎ、冷静に変換しすぎとか。
    今は何も脅威も無いでしょと何度も回り見晴らしたり見えるものだけに集中しても感じ取るものは、刺すと痺れるが混ざったような恐怖感。

    よくそんなものを淡々と、そのスピードで。と疑心暗鬼さえでてきてる今日このごろです。

    • komatta より:

      大袈裟でなく本当に死ぬ覚悟もってないと挑めない部分もある。
      本気でするなら茶化せるような集中力でもない。
      だからマインドの世界のほうがよほどいい、
      帰りたいとも何度も思いますね。

    • 色即みっちゃん より:

      困ったぴーよ…。

      本当に良く理解しているね…。

      真面目に…。

      捨身飼虎ってあるよね…。

      まさに、その通りだよ…。

    • 色即みっちゃん より:

      一つ忘れてた。

      真言を唱えるときは…。

      不動明王になりなさい…。

      不動明王そのものになりなさい…。

      それが大切だよ。

  13. 色即みっちゃん より:

    雪山童子にしろ捨身飼虎にしろ、

    それを越えた時に覚醒があるの表現だよね。

    飛び込んで天に昇る…。

  14. komatta より:

    神仏を彫刻する方や描く方、
    愛染明王様など、いかほどかの神仏は命がけと見ました。

    宗教関係なく恐怖感から頼るのも、生半可な気持ちじゃ
    かえって仇になる。
    神社の緑や神様の雰囲気に癒してもらう程度までなら
    ともかく。これは凄い覚悟がいる。

    • 色即みっちゃん より:

      道のりは一つではないよ…。

      毎日毎日、瞑想を続けることだよ…。

      諦めるくらいにね…。

      それが、もう一つの道のりだよ…。

  15. komatta より:

    ありがとうございます。入我我入ですね。

    畏敬の念とかなり謙虚を忘れずにですから
    いまエゴ、マインドの世界で休憩してるので
    寝る前チャレンジしてみます。

  16. komatta より:

    私の涅槃への達成以外の願望についての
    恐怖感は「必ずポジティブだけ最終的には叶うのか」です。

    ちょっとした失恋や転職の困難とか転んだ程度の怪我ならいいけれど。

    上記であげた、そのホラー作家さん映画もだしてて血みどろだから
    映画は薦めないけど「ヘルレイザー」って本だしてんですが。

    映画の中では魔導士、ですが原作は魔修士(キリスト教の厳格な苦行を
    すすめた修士を皮肉ってるらしい)

    一見、スプラッタなんですが原作者が哲学科だけあって、2元を超えたような話もよくでてきます。快楽の根源は苦痛にあると、その元にカオスと苦痛のもとに道徳があると。

    話は主人公の女学生の叔父が探求心強くエゴまみれの子悪党で、ある外国の市場でパズルを解くルービックキューブのような箱を手にする。
    それを説けば究極の快楽を得られるらしいで解いてしまう。
    だがそれは<地獄への扉>であり、この世と地獄をつなぐツールだった。そして魔修士たちが訪れる、探求者の魂を地獄へと連れて行こうとする。
    という話。

    たとえば大変な渦中て無意識にネガティブな映像なども浮かんでしまうけど、ネガティブな願いは絶対避けられるのか。
    とか怖い疑問と恐怖が強いですね。

    • komatta より:

      この話はホラー映画だから最終的に救いないけれど
      パンドラの箱の神話と似た部分や死と再生がテーマだったりと
      すこし似たような話の怖さがでてきます。

      ライト系なら…ともかく瞑想が深くなり気づきがすすむと妄想ひとつとっても恐怖感はすごいです。

      気づいて浄化、科学を見て。掃除したり散歩したりラブコメ読んだりと。
      あと神仏の真言となえながら寝る前に瞑想したりと。そんな感じで対策してます。

    • komatta より:

      この人の本にはまって読んでたのも20代、映画みたのも20代。
      ずっと忘れてて普段は意識することはなかったし無い。

      ですが瞑想中、邪魔、誘惑してくるように、忘れてるはずの映像や記憶が
      ふ・・・とよみがえり調べると最近の話の負の側面としてなんとなく辻褄が合ってしまったりする。

    • komatta より:

      ヘルレイザーという名前は映画用で原作は「ヘルバウンド・ハート」ですね。映画のほうは友達と茶化しながら見たり、特撮のチャチさを笑ったりと余裕もててみれたけど原作はとてもホラー描写もエグイけどテーマやら表現がとても深い。その箱はどこかの外国から東洋人から手に入れたものだし、元ネタにしたのこのへんなんだろなとか。

      地下に追いやられた見た目は怖い怪物が実は人間より優しくて真面目で人の闇部分から避けるようにひっそり暮らしてたが迫害にあって戦うとかファンタジーアクションぽいのも描いてました。

      大抵は、周囲を見渡してテレビのワイドショーや漫才見て、普段の日常にビバ!ビバ!現実。ありがとう、物理法則!とか言ってるけど。
      意識してホラー映画を見ることは今はない。映画もここ最近見ないですね。漫画を読むのも白鳥麗子でございますのような鈴木由美子さんコメディー漫画系やOL系が多い。ふと来た時や間違ったリンクに繋がらないかぎり。

      あとwin10のスクリーンセイバーがタイミング会いすぎ。
      一時は歯車の映像だったり標高の高い絶壁を登る登山者だったり。
      山の間に鉄道が走って汽車がすすんだり。満点の星空だったり。
      たいていは綺麗な映像だけど、この前は3つの丸い火柱の映像で、おいおい、別に映像はどうでもいいけど状況と絵のタイミングが一致しすぎ!とかよく突っ込みますね。

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