すべては思い出

人生とは夢であるとか
幻想であるとか
あなたはそういう表現が
しっくりこないかもしれないね

人生とは「思い出」のことなのだよ

ひとつひとつが思い出なのだ
そのためにあなたは生まれてきた
だから今にありなさい

あなたが何かを始めようとして
準備の為にたくさんの時間とお金を使った
だけども結局何も始められず
無駄に終わっていったとしよう

あなたのマインドは
「これは失敗だった」と嘆く
多大な時間とお金、
そして労力を取り戻したいと言う

疲れ果てた精神
灰色に染まる世界

こんなことに手を出さなければ、、
とそんな後悔の念

すべてが歪み
色彩は褪せ
街ですれ違う人々から
置いてけぼりにされた気分

どこかの誰かが
「いいじゃん、思い出になったでしょ」
そんなことを言ったところで

成功か失敗か
幸福か不幸か

そのどちらかしか見えていないあなたは
聞く耳を持たない

よく聞きなさい
人生とは水が染み渡っていくようなものだ

水はどんな隙間にも流れ込んでいく
あなたの人生という容器が
何の無理をすることもなく
フラットに満たされていく

その満ちた水が思い出
すなわちあなたの人生
あなたは思い出で溢れている

「すべては過ぎ去る」という格言があるが
それはすべてが思い出だからだ
実体があるようで本当はない

過ぎ去ったあとのものを
あなたはいつも見ている

いつも笑い合っている夫婦
互いに相手の姿が思い出なのだ
そこにいる可愛いペットも
あなたの着ているお気に入りのシャツも
思い出である

すべては実在しない

なぜならば
あなたの察知とは記憶によるものだからだ
過ぎ去ったものしか
あなたは知らない
というよりも
あなたが察知しないものは
知ることはできないのだ

「すべては過ぎ去る」
正しくは
「すべては過ぎ去ったもの」

どんなことも
すべてあなたの思い出のひとつなのだよ
だから何かをやろうとして失敗したら
そういう思い出を見たのだ
思い出の観点は成功も失敗も超越する
ただ満たされた水
つまり二元性を超える

思い出はカタチがない
目の前にいると思っているその人
そっと触れてごらん
触れたという思い出だけが
あなたに残る

触れずに触れることはできるかね

すべてが思い出であり
過ぎ去ったものだから
何かに執着するということは
影を相手に戦っているということだ

その目の前にあるもの
それは実在しない
そこに「あった」のだろう
あなたの遠い記憶の中にね

そのように紐解いていけば理解できる
実は何もないところに
あなたはいる
ずっとそこにいる

そこで思い出にただ耽っている

人間的な解釈では人生とは思い出作り
だが作ることはできない
最初からそこにあるからだ
それを見ている

だからこうだね

人生とは思い出を見るためにある
いまに在りなさい

 


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  1. さばみりん より:

    読んでいでスゥーっとしたといいますか、こころの涙が流れました。

    過ぎ去ったもの、過ぎ去るだけのものに固執して苦しまないようにしようと思います。
    そして、その苦しんでいるという感情や状況ですら思い出の一場面なのでしょうか。
    とすれば、苦しんでいると思っている自分がただの思い出であり影と自覚すれば、
    自然と苦しみそのものもなくなるということなのでしょうかね…。。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん

      コメントありがとう
      すべては過ぎていくように感じるが
      実際に過ぎているのは
      あなたの方なのだ

      過ぎていく主体ゆえに
      不動であるともいえる

      植物が種から育っていくように
      あなたはあらゆる循環の中にいる
      それが人間にはドラマとして映る
      あらゆる苦を超えるには
      あなた自身が循環に乗ることだよ

      それそのものになるとき
      “自分”は落ちる

  2. さばみりん より:

    そうだ、なんでこんなことに気付かなったのだと……。
    人は本当に当たり前のことに気付かない。
    自分さまのお言葉は心に染み入ります。
    いずれ、こちらの手記すべて読ませていただきます……そして、なにかを言葉を超えたところで感じます。

    物語と一体化し流れになれば、雁字搦めに私を固めていた私という思考がまるでなかったかのように注ぎ落されるのでしょうかね。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん

      あなたの生きている世界とは
      霊的なものだ

      霊的と行っても怖い物ではなく
      単に次元の交差が起きているだけだ

      例えばいま部屋にひとりでいるとする
      あなたがそこにいるが
      同時に多くの人がいる

      数秒前のあなたも昨日のあなたもいる

      さらにいえば
      「言葉」がそこにいる

      人は現実という”内容”に翻弄されるが
      それらを読み取れていることに
      注意を向けるべきなのだよ

      なぜあなたは現実を知ることができるのか、
      そこに鍵がある

  3. さばみりん より:

    自分さん、ありがとうございます。

    一人でいると思っているのに、独りじゃない……。
    次元が交差し複数が同居している。
    不思議な感覚です。

    わたくしの人生はとにかく何の起伏もない……と少なくとも自分では思っています。
    そう思っていること自体が思考のノイズなのでしょうか。

    独りでいるとすごく安心できる性質なのです。仕事先で何となく仕事して、何となく同僚と話を合わせたりしてその場凌ぎの盛り上がりを見せたりしつつ、何となく帰路に付き、家に帰ったあとは喉が渇いて飲み物を飲むんです。そして食事。
    そしてそのあと自分の趣味に密かに没頭する。
    小説作り。絵。など、何でもいい。
    でも時々思うのです。一人でこんなことして結局楽しいのかなど……
    楽しいのは事実、ただ楽しいと思ったことがふとした瞬間急に、気持ちにストップが掛かったように落ち着き過ぎてしまい、どこか言い知れぬ虚しさが漂います。
    ネットのBBSやSNSなどでそれらの話題を通して人と交流を取ろうともします。
    結局、私は独りがこの上なく好きと想いながら、どこかで人と何気なく話題を共有し繋がろうとして、そしてそこに安心を求めようともしているのでは、と。

    どうやらまだ答えを求めようとしているようですね、私は……。

    言葉とは世界のことなのでしょうか。
    世界がカタチ作っているのが現実とするなら、
    現実とは言葉であり、言葉とは思考なのでしょうか。
    言葉が世界を切り開くのでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん

      そう、言葉が世界だ
      だが切り開くものではない
      「言葉の世界」にいるということだよ

      あなたが世界に浮かべている概念のこと
      思考も感情も、目の前のコップも
      それらの正体は言葉となる

      だからあなたが言葉を捨てるとき
      ひとりの時間、その趣味に没頭できる

      だが言葉があなたを惑わせている
      そのコメントに対応するなら、
      同僚と過ごしているときや
      ひとりで空しくなったりなどね

      あらゆるものは言葉が
      カタチを作り出しているから
      それを見破ればよい

      同僚といるときも
      言葉を捨ててみなさい
      ただそこで起こっている様子に
      浸ってみる

      肉体感覚は思考とは違い
      必ず「いまここ」にあるものしか
      受け取らない

      あなたが誰かといるときに
      居心地の悪さを感じるならば
      それは主義主張が渦巻いているからだ

      誰かといるよりも
      ひとりの方がいい、
      だが誰かと関わりたい

      自分で線引きをしているからそうなる
      思考的である限り
      どんなコミュニケーションも
      あなたに満足は起こらないだろう

      だから肉体感覚で接してごらん
      川に流される落ち葉のように
      くるくるとゆらゆらと
      受け身の生き方をしてみなさい

      それがわかってはじめて、
      ひとりの時間が心から楽しめるのだよ

  4. さばみりん より:

    ありがとうございます……浸みわたり、何かがひらめいたような気がしています。
    未だ思考のマジックに踊らされておりますが、心からすべてを享受できるように「無努力な努力」それを実践していきたいと思います。。

コメント・質疑応答

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