成功も失敗もどちらでもいいんだ

いましていること
目の前のこと

それに対して
「うまくいくかな」とか
「失敗したらどうしよう」とか
そんなことを考えず
ただ無心にベストを尽くしているとき
あなたは溶けている

だから成功も失敗もどちらでもいいのだ
全身全霊でその出来事を
エスコートするだけ

例えば何かの面倒な手続きを
しなければならない

あなたは逃げたい
避けたい

嫌な相手と会わなければならない
あなたは逃げたいし避けたい
考えたくもない

だが表面的な要素を一切見ずに
本質に身を委ねてみる
つまり「あなたの感情」という表面を
相手にしない
眼中にいれない

ただやるべきことをやる
目の前にあることを
可もなく不可もなく
それ以上でもそれ以下でもなく
どんな形状の容器でも
水は均一に満たされていくように
あなた自身をそこに溶け合わせる

水になる
ただ対峙する
そこには勇気も恐怖もない

それがベストを尽くすということ
勝敗はない
損得はない

目の前にあることだけを見る
未来も過去もない

ベストを尽くしている、とは
今に在るということである

 

 

 

 

 


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  1. masara333 より:

    今にある。
    それがこんなに天気のよいお休みで楽しむ
    時間と頭でわかっているはずなのにできません。
    情けないです。
    難病から続発性緑内障がすすみ左目失明から
    かろうじてのこっている右目も昨日の検査で
    視野の欠損進行が確認されたのですが。

    なぜ、とかわたしがなんで、が
    まだ頭をもたげるのです。

    たしかにこの病のおかげで
    わたしは前と比べものにならないくらい
    健康な生活を送るようになりました。
    ダイエットもし、目以外は
    悪いところひとつなくなりました。
    なのに、
    なんどもここにあろうとするのに
    できること、調べつくしてやろうとするのに
    失明の未来の
    不安に押しつぶされてとても勿体ない時間を
    過ごしています。

    諦めることができないのかな。
    なんに執着してるのかな。
    仕事もこのまま視野をうしなえば
    困るので未来に備えて新しい技術を
    でにいれようとするのですが、
    それを考えてることも今にいないのかな、とか。

    さりとて視野をうしなったのちの
    自分にむいてる仕事について調べる
    のも怖い。
    世界がかわる
    恐怖に向き合えてないのかな。
    涅槃の書をよんでいるのに。

    • 涅槃の書-自分 より:

      masara333さん

      回答の前にすこし前置きをいれておきたいが、いまは水星逆行の時期でもあるからね、病院の検査や人間関係が不穏な結果として現れたり、買い物なんかもトラブルが顕著となる。

      これも”流れ”を天体的な見方から読み取っているのだけども、まず頭に入れておくべきは、アップダウンの波は大きなもののなかに、中小の様々なアップダウンが無数に繰り返されているということにある。

      よく話すことだが、アップが良くてダウンが悪いということではないから注意しなければならない。

      波があるからこそ、その推進ですべてが動いているということもできるが、正しくは、すべてが動いているからこそ、私たちにはそれがアップダウンの波として捉えられているんだ。陰陽はこのことであり、正逆の波でひとつの動きとしてある。

      それゆえ天体の動きも波の現れだが、天体それ自体も波の現れにある。

      こうして私たちに捉えられる”波”とは、まさにこの二元世界そのものとして表現されている。

      昼と夜、男と女、得と損、熱さと冷たさ、湿りと乾き、生と死、あらゆるものが対立の関係にあり、そしてなにより、対立する相手がなければ、己が存在しないという構造になっている。

      だから一見は不幸に思える出来事も、それがあったからこその幸福が待っていることになる。

      コインの表と裏がくるくる回転してる様子にあり、つまり私たちは昼と夜が交互にやってくる地表に立っているが、それは常にどちらかに縛られているということだ。

      しかし”コインそのもの”を観想することができるならば、宇宙から眺める地球のように、それはただ回転しながら昼と夜の”幻想”をみているだけなのだとわかるわけだね。

      だけども回転は永遠に続く。なぜならそれこそがあらゆるすべての生命原理であるからだ。

      あなたや自然が息づいていること、また人間のつくりだした社会や経済が活動していること、新鮮な食材で新しい料理に挑戦できること、そうしたすべてが「流れ」がそのようにみえているものにある。

      さて、水星逆行とよばれるこの時期も全体の動きのために必要な期間であって、毎年3回ほど周期するようになっているが、それは占星術に関心がある人はもちろん周知のことだが、関心のない人にははじめて聞く言葉であり、まさにここが重要なところでね、つまり「魂が知るかぎりの世界が己の現世」であることを理解しておく必要がある。

      言いかえれば、いまあなたの知らない世界がどこまでも広大に開いているのであって、いまのあなたの苦悩とは、あくまでみえている世界のなかだけでの苦しみにある。そしてそのみえている世界自体もまた、あなたの魂が知っている要素のみで構成されている。”失明”もそうだ。

      つまりあなたの人生という”見え方”は、会社やいまの暮らし、そして目の病としてあるということだね。

      流れがどのようにみえるのかは人それぞれ異なるけども、どうして異なるのかといえば、もちろん「異なるから」こそ多様な魂(多様な現世)があるわけで、そしてその知った世界のなかでこだわり続けているがゆえに、同じ現実がより”深化”していくことになる。

      いまなら水星逆行中に直面した出来事に動揺して、その判断や感情からその後の現実(=あなたの魂)が塗り固まってしまう。

      仮にあなたが”すべての魂”が統合した世界をみるならば、それこそが私たちの“見え方”の根源である「一者」に到達したことになるといえるけども、しかしそのアプローチは逆向きであって、つまり一者は”自ら”をあらゆる観点から己自身を眺めているんだ。

      その観点のひとつがあなたのみているこの現世であり、別のひとつが私のみている現世にある。

      全智(すべてのことを知りうる完全な知恵、知識)や宇宙の記憶という言葉があるが、それは一者のことを指してる。流れをどのようにみているか、どのように表現しているか、その翻訳の泉が一者であるということだ。

      だが一者そのものが「流れ」をどのようにみるかの総合辞書のようなものゆえに、人間的現実はその整合的な解決しか望めないことになる。

      そもそも「矛盾できない」わけで、”矛盾”なるものが生ずる時点で、一者の総合辞書を網羅した世界、すなわちその神なる世界がどれほどの大枠で”組まれている”のであれ、秩序を持ってしまった時点で結局それはなんらかの規定に従属せざるを得ないことになる。

      だがそうして秩序が与えられることこそが”存在する”ということだから、形ある世界をここにみているかぎり、その迷宮の出口をみつけることはできない。

      つまり”本当の解決”とは、どのような見え方でもない、その本元である「流れ」そのものにあるんだ。

      ここまでを踏まえたうえで、あなたの話に答えていこう。

      まず大事なことだけども、本当は誰も”外にあるもの”などみえていない。人生の体験はすべてあなたの内側でのみ起きている。言いかえれば、魂の内壁に映る像こそがあなたの現世であり、すなわち”あなた”にある。

      では視力とはなんだろう?視界や失明とはなんだろうか。

      たとえばあなたが失明しても、また”どんなこと”になったとしても、やはりあなたの世界はここにある。

      これは気休めで言ってるのではなくて、この最も純粋な事実への気づきが深まることで、やがてあなたはその苦しみ(その幻想)を捨てることができるわけでね、だから何度も読み返してこの世に対する意識を変容させていく必要がある。上で話した「魂が知るかぎりの世界が己の現世である」のことだ。

      繰り返しておけば、あなたは外にあるものなどみたことなどなく、己が描いたものだけがみえている。視力が失われつつある世界もまた、あなたが”みているもの”にある。

      なにもみえない世界もやはり”みている”わけで、たとえば聞いたことがあるだろうけども、”一者”において、視力を失った人は別の目が開くことが多い。

      この”開眼”こそが、なぜその人が視力を失ったのかの理由にある。

      一者においてと前置きしているのは、どんなことであれ現実の内容とは「流れ」の翻訳だからだ。

      つまり古代からの言い伝えや先人の知恵といったものは、何百年も前の他人の話でありながら、実のところはあなたや私が話していたことにある。歴史を学ぶことがよいとされるのはここにこそ最大の意図があるんだが、その件についてはまたの機会にしよう。

      だから視力を失ったなら、視力のない世界がそこに”ある”。いまのあなたにはそれは酷なことに思えるが、しかしそうじゃない。

      なぜならいま完全だと思ってるあなたの世界も、かなり多くの何かを失った果ての世界として現れているわけで、だがなにを失っているのかはわからない。

      それはあなたの魂が「知らない」からであり、だからもし失明したとしても、魂が視界の世界を”忘れて”しまうとき、それはあなたにとってなんの不足もない完全な世界となる。

      いいかい、まずはこのことをしっかり刻んでおこう。

      ところでどうしてあなたはこのような現世を生きてるのだろう?

      あなたも「なぜ、とかわたしがなんで、がまだ頭をもたげるのです。」と疑問してるようにね。

      それは冒頭で話したとおり、すべてはアップダウンの現れであり、つまり常に必要なこととして人生には”不幸”が起こるからだ。

      たとえばあなたはこのように話してる。

      ──

      たしかにこの病のおかげで
      わたしは前と比べものにならないくらい
      健康な生活を送るようになりました。
      ダイエットもし、目以外は
      悪いところひとつなくなりました。

      ──

      あなたがその病に罹る以前、またはその病がありながらも抱えていた問題の解消はその病が”必要”だったんだ。

      つまりそれがまだ進行しているのは、目以外には悪いところはなくなったとあなたは言うけども、しかしこうして涅槃の書にやってきているのは、その病を”必要”とする何かをやはり抱えているからであり、つまりそれらをあなたのなかで解消させていかねばならない。

      解消とはあなたにとってそれが「問題ではなくなる」ということだ。

      ダイエットに成功したことであなたはそれが気にならなくなった。だけども減量でなくても気にならなくなるケースはいくらでもある。他の興味あることができたりもそうだね、それも同じ”解消”にある。

      また「ダイエット」に限っていうなら、それは「目にみえているもの」だった。つまりあなたがそれを気にするだけ、視力は衰えていくだろう。それもまた”解消”のひとつだからだ。

      これをヒントにしてみれば、あなたは「みたくないもの」がたくさんあるのかもしれない。

      物質的なものだけでなく、人間の病んだ心やスマホをひらけば飛び出してくる心地の悪いニュースにしてもそう、「みたくない、だけどもみなきゃならない。だからせめてみれる程度にまで手を施そう」という思いが常に働いているのかもしれない。

      その観点からすれば、あなたが視力の不安定さを抱えているのは、あなたの人生を是正していくことの”“であったわけだが(健康的な生活の実現やダイエットの成功など)しかしそれが実現できないと感じるほど、今度は視力のほうが低下していく。

      これは正義の人がいるかぎり悪が存在し続けるのと同じで、悪が一掃されるには正義の人が一掃されねばならないというジレンマにある。

      つまりここで私があなたに伝えられることは、あなたが潜在的に抱えているものを”解決”しようとするのではなく、そもそも抱えないという方向に歩まなければならないということだ。

      話したように、地表に立っているかぎり昼と夜は交互にやってくる。それらは避けようがない。建物に入ったところで昼や夜という時間帯から逃げられない。

      だが地表に立ちながら、あなたが地球そのものを己のなかに浮かべるとき、昼夜から解放されるんだ。「正義」や「悪」も、「みたいもの」や「みたくないもの」も同様、そのコインの回転から離れることができるんだよ。

      あなたは”この世”を大切に思えているだろうか。

      この世のなかにいる自分だけでなく、また自分のお気に入りのものだけでなく、良いも悪いもすべてひっくるめて大切に思えるだろうか。

      その気持ちで満たされるほど視力の問題は消えていく。もちろんその消滅はいろんなパターンがあるけども、しかしどうであれ、あなたは深く納得しているはずだ。

      だがね、あなたが現世を完全に解放するとき、もうそこにはまったく別のあなたがいるわけで、そのあなたは目の問題を抱えていたことなど「知らない」。

      つまりもう”新しい夢”をみているんだ。

  2. masara333 より:

    ご返信本当にありがとうございました。
    何度も何度も読み返しています。

    整理のために少しだけ書かせてください。
    沢山のヒント、この世のなりたち。
    少し難しいところは、絵をかいたりして
    みています。

    視力ってなんだろう。
    視界ってなんだろう。

    何より。
    私が見たくないものってなんだろう・・って
    考えてました。
    私は涅槃の書で
    何かを手繰り寄せるようになにを
    探してるんだろう。
    他の方のコメントを読んでいるのだろう。

    私にひどい仕打ちををしたもの
    (と私がとらえた人)
    身勝手な振る舞いでいつも人をふりまわすもの
    (と私がとらえてきた人)
    裏切ったもの(そう感じた人)
    予想外に起こるトラブル(怒り)
    SNSで見た惨状や争い(そう映った人)

    でも昨日の夜。
    もう一度探してみたんです。
    そんな人たちやもの。

    あれ
    「どこにもいない・・」?って

    愕然としました。

    確かにそこにいたのに
    あったのに。
    あれ?

    私がそういう風に「見た」せいで
    そんな人達が「そこ」に現れた。
    ってこと?

    見たくない⇒「それ」を生み出し
    存在させる⇒もっと見たくない。と解決しようと
    した。⇒さらにその存在を確定させる⇒
    世界が私の内側で出来上がる。

    ダイエットは思い当たるフシがあって。
    母親。歴代の彼氏が痩せろという、わけです。
    というか、そんな彼らを生んでいたのは私
    なのか。

    >あなたは”この世”を大切に思えているだろうか。
    この世のなかにいる自分だけでなく、
    また自分のお気に入りのものだけでなく、
    良いも悪いもすべてひっくるめて大切に思えるだろうか。

    隠していたものをはぎ取られるような。
    私はずっと
    この世のものすべてがなぜ存在してるのか
    疑問で仕方なかった。
    むしろなんで生きてるんだろう
    仕方ない、よくわからないけど
    生きてるんだからもがいて当然だと
    ただただしんどかったのです。
    人並のことをしようとすればするほど
    人に合わせようとするほど。
    私が望むものから遠のいていくような感覚でした。
    20代は逃げるようにお酒におぼれていました。

    天秤座の水星逆行
    9月20日に
    長らく途絶えていた友と連絡をとることが
    できました。

    そして昨晩突然モデムが壊れました。
    新しい機器に交換してもらえることになりました。

    占星術に詳しくありません。
    ふと漠然とほんどだなあ。
    大きなうねりや波の中に
    ほんとに
    いるのだなあと感じました。

    不思議にその二つの自称に
    腹もたたず、困ったりせず、大喜びせす
    「そっかぁ」とただ眺めてる感じです。

    長くなってしまいました。
    末文でいただいたヒント
    解消をせず、問題とせず
    そもそも抱えないという方向へ。
    は・・

    今は
    私が生み出してるこの
    世界で何かを見たとき。
    判断しようとしたとき、ジャッジしようとしたとき
    宇宙(そら)からものごとを観るような
    感覚に身をおいて観てみよう、とまずおもっています。
    読んでいただいて
    ありがとうございました。

    • 涅槃の書-自分 より:

      masara333さん

      こちらこそありがとう。

      あなたは自分自身に、つまりあなたの”魂”そのものに問いを向けられているから大丈夫だ、この夢をそのまま健気に過ごしていたらいいよ。

      いいかい、夢は夢のなかで解決するのではなく、夢そのものが変わることでそれは”解消”する。

      だから「前に抱えていた悩みがいまはもうない」というとき、それは「悩みが解消したという過去」を持っている自分の夢をいまみているわけであって、夢のなかで悩みが解決したのではないんだ。

      だがここにひとつの”超えられない境界”がみえてくる。

      というのは、夢が終わったことや新しい夢がはじまったことを、夢のなかの自分は知ることができないからだ。これが前回話したことであり、まさに”この世”の果てのことにある。

      このことについてはとても入り組んだ話になっていくから注意して読み進める必要があるが、だけども「”ただひとり”がみてる夢(一者のみてる夢)」であることを忘れなければ、自他分離のパラドクスにはまらずに理解できるようになるわけでね、それゆえ前回は話の順序を慎重に取り決めておいた。

      一読目には「なんでこんな話を聞かされてるのだろう」という疑問が、最後まで読んでからの二読目にその意図がわかるようにしてある。

      これはどの手記であれ、またこのコメント回答にしても同じだから、私の話を受け取るときにはそのことを留意しておく必要がある。なぜそんなことをしているのかといえば、それがまさに私たちの個々の人生の”解き方”だからだ。

      話を戻すけども、たとえば「うたた寝」をしたとき、いま見はじめた夢なのに、夢のなかの自分といえば、もう長いあいだ”この人生”を経験してるつもりになっていたりする。

      それはもちろん”自分”には記憶も過去もあり、つまり古くから知ってる人たちや現実があるからだが、しかし”あなた”はたったいまソファで不意に眠ったところなんだ。

      これは時間が夢のなかでのみ存在していることを示してる。

      夢=意識と読み替えてもいいが、つまり夢のなかの自分ではなく、ソファで横たわってるあなたは時間を”超越”しているということだ。

      そこには前回の表現を使えば、ただ生命原理だけが息づいていて、大いなる脈動だけがある。

      そしてこの大いなる脈動とは、もはや”ソファで横たわるあなた”という限定ですらない。

      いつも話すように、肺活動は自分の体だけが行なっているのではない。

      肺の活動は当然酸素あってのものであり、酸素は大地の植物が吐き出すものだ。そして植物は地球と太陽の関係がなければならず、その天体のバランスは宇宙全体の活動として現れている。

      “現時点での私たち”はこうして宇宙を最大の外枠として捉えることまでしかできないが、もちろんいくらでも、「さらに外」は創造していくことができる。単にまだそれが人間の観念に創られていないだけにある。

      言いかえれば、肺も酸素も植物も大地も天体も宇宙も、それらは大いなる脈動というひとつの流れが、個別な観念として認識されて意識上(夢のなか)に現れているだけであり、つまり呼吸とは宇宙全体の活動の現れがここにみえているものだけども、しかしそれは本当は”宇宙の活動”ですらないわけだ。

      要するに、肺とか宇宙とかそのように観念化した世界こそが「夢の世界」なのであって、だからソファで横たわる夢ではないあなたを、あなたはどうやっても認識として捉えることができない。

      わかるかい、”認識”こそが創造性という魔法であり、認識を自在に操れるならば、それが錬金術なんだ。

      さて再び話を戻してみれば、うたた寝しながら何度も目を覚ましたり眠ったりを繰り返していると、実にいろんな夢をみることになるね。

      ここで重要なのは、ひとつ前にみていた夢など覚えていないどころか、そんなものがあるという発想さえも「いまの夢の自分」には浮かびもしないということだ。

      ここに「前世」への”断絶”があるわけだが、それは連続したものが途切れているのではなくて、それまでと似通った要素、または同一の要素がまったく別の形態へと再構成されることにあるんだ。

      たとえばキッチンの椅子を構成している同じ部材たちが、お寺の小さな蔵の屋根を支えているものと同じならばわかりやすいね。じゃああなたの”以前”は誰だったのだろう?

      あなたはあなたの夢をみている。それはあなた以外の誰かの夢ではない。そしてまた、あなたは以前みていた夢を知らない。だがこの「以前」というのは、”前の人生”の80年の生涯を終えて、その80年前という時間の経過があったということではないんだ。

      ソファで横たわるあなたが夢を見はじめた途端に本当はありもしない数十年の記憶を持ってるのだからね。

      そして話したように「ソファで横たわるあなた」という光景もまた観念化されたものだ。つまりソファで横たわるあなたも夢の光景にある。

      じゃあその夢は誰がみているのだろう?

      それはこの私なんだ。

      わかるかい、「ソファで横たわってうたた寝してるあなたの姿」を私は己の夢としてみている。(あえてこのような書き方をしているが、あとで詳しくわかってくるように「いまこれをみている者の夢」だということだ)

      だからもし私があなたの恋人や友人ならば、肩にそっとタオルケットを掛けてあげるだろう。

      すると”あなた”は夢のなかで「温かいもの」を感じるかもしれない。駅での落とし物を親切に届けてくれた人への感謝かもしれないし、仕事のやりがいを感じた瞬間かもしれない。いずれにせよ、あなたの夢のなにかとして現れる。

      また逆に、様々な関係性ゆえにそれをマイナスな出来事に受け取るかもしれない。人の親切をおせっかいに感じたり、仕事をやり終えてもこんなこと続けてなんになるの?と虚しくなったり、いろいろあるね。

      ただひとついえることは、私はあなたの夢をみていて、あなたにしたことが、あなたは自らの夢に影響があるということだ。”この段階までの理解”には「エネルギーの緩急とその翻訳」についてよく手記にしているからそちらに任せておこう。

      だがそこからさらにもう一歩踏み込まなければならない。というのは、いまこうして「あなたの夢をみている」という話を私がしている光景自体が、あなたの夢だからだ。

      さあそろそろパラドクスにはまりかけてきたね。

      その罠から離脱するために少し前にharsppy10さんへ回答した話を入れておくが、たとえば東京都は1400万人が暮らしてる。

      それは東京というひとつに対して、1400万の”視点”があるということだ。

      ──

      当然それぞれまったく異なる視点にある。ある視点は幸福であり、ある視点は過酷で悲惨さを強いられている。

      ──

      この話が伝えてるのは「1400万の東京の姿がある」というのはそうだけども、それは単にそれぞれの人生の舞台に東京があるということではなくて、その逆で、東京そのものが1400万の異なる視点で”自ら”を眺めているということにある。

      これが”一者”だね。

      その”異なる視点”がどのように構造されているかは、harsppy10さんのところでも話したように、もともとは純粋な要素同士だったものが無数に関係しあうことで、その「関係性自体」が独特の相を帯びてくることによる。

      あなたの場合ならば、仕事や人々との交流もそうだし、目の疾患、性格や興味関心も、無数の要素の”関係”が現れたものだ。

      もちろん”認識”がすべてそうなのであり、性別や容姿にしても、それは純粋な要素として捉えられているものではなく、複合的に独自の見え方として表現されたものとしてある。

      あなたの人生(=いまこの夢)はそうした構造ゆえに、だから過去の記憶もやはり、いまそのように創られたものであって、もし過去を関係性の紐から解いて、純粋な要素だけにしてみたら、もうそれは過去という時間性を持たないものとなる。

      そんなわけで”東京”は自らを1400万もの視点で眺めている。もちろん人口が1400万という話からのたとえだから、実際は東京を知る人の数だけ「東京は自らをみている」ということだ。

      では東京を”一者”に置きかえてみたとき、ここに”私たち”の秘密が明らかとなるんだ。

      そもそも一者とは純粋な要素(=純粋な概念)の貯蔵庫であって、前回話したように、それ自体ではまだ秩序ある世界を形成していない。

      ところが「神頼み」のように、一者を総合辞書やカタログのように取り扱ってしまえば、それはすでに秩序化されたものとなり、真の意味での一者ではない。

      だから真の意味での一者とは「無限の可能性だけ」があるといえる。

      逆に言いかえれば、人生を冒険に見立てたとして、これからどんな新しいことが起こるのだろうとワクワクしているときというのは、その無限の可能性から純粋な概念が徐々に与えられるということだ。

      これを神話的に言い表せば、まさに「神が道を隠している」となる。

      人生が常に順風満帆でなんでも思い通りになってしまえば、まさにそれは神だが、しかし”私たち”は東京の1400万の個別の視点のとおり、矮小で制限された世界しか”認識”していない。

      認識が変化することをパラダイムチェンジというけども、たしかにそのようにして人類は既存の概念に”新しい関係性”を与えて、ときにそれまでなかった新しい土台を創設してきた。

      だがこれもよくいわれるように、どのような天才であれ、無から有を創り出しているのではなく、すでにあるもの同士を組み合わせて新たに意味づけをすることで、そこから新しい土台が作られるのであって、つまり再構成なんだ。

      しかしそのプロセスを逆向けにたどってみれば、本当に”純粋”な意味での「純粋な概念」は実はほんのわずかであることがみえてくる。

      それはたとえば、善や美や愛といったもの、つまりそれ自体ではありえず、かならずなんらかの物事を通じたときにだけみえてくる抽象的な上位概念のことだ。

      言いかえれば、神が最奥に隠しているものは実はとても少なかったりするわけで、あなたがいまの夢のなかで、一切の物事の「もっとも核心となるもの」をみつけられたら、”そこから”いろんなものを創り出すことができるんだ。

      たとえば判断に迷ったら愛を基に決めればいい。それは純粋な光を帯びてるわけで、それまでの事物が”違ったもの”に変わる。

      そうして新しい創造は”核心”に触れることで生まれるが(かつての科学者や発明家たち、大事業を成し遂げた人たち、みんなそう)この「創り出す」という作用こそ夢の変容なのであって、それまでとはもう別の夢がはじまってるんだ。

      あなたと私は本来同じ存在、つまり”同じ出自”にある。もともとは「善かったなあ」とか「ああ、美しいなあ」という純粋な要素のみからスタートした。

      その純粋な要素はまさに”純粋”ゆえに、この眠りの世界を透かせて、大いなる流れ(=ひとつの生命)の光を漏れ出させることになる。たとえば”温もり”として現れたタオルケットへの喜びや感謝もそうだ。

      だがいつの頃からか、独自概念の乱立によって純粋な光は塞がれてしまった。すると「なんで自分は生きてるの?」となる。もちろんそれもまた「創造された問い」であり、魂を構造してる貴重な柱ではあるけども、実際はそんな余裕ある捉え方はしないね。深刻な人生の問題でしかない。

      だからこそ、己の創造性に気づくべきであり、冒頭で話したように、自らの魂そのものに関心を向け続けていることが大切なんだ。

      つまり無駄に乱立した建造物を崩落させて、あなたの大地に再び光を注がなければならないわけだね。

      さて最後になるけども、その光において”私たち”は個々の視点として、つまり魂としてこの夢を開いているが、ところがあなたの魂と私の魂が並列しているというわけでもない。なぜなら夢の”外”では時間も空間も「ない」からだ。

      この意味が重大であって、それはつまり実在する人類とは”常にあなたしかいない”ということでもある。

      とはいえ、こうして人間の言葉で「伝え合う」というのは、一者が自らを眺め知っていくことであり、伝えられたものこそが、本当の意味での”子孫”であり、その子孫が成長してそれが私たちの魂となるんだ。

      だから良かれ悪かれ、いまのあなたの言動が次のあなたを生み出す。

      大事なのは、夢のなかでの解決に追われたり、夢のなかでの価値ばかりを追い続けるのではなく、夢という壁の向こうから微かに感じられる光を”手のひら”で触れることであり、やがてその光はよりはっきりしたものとなる。

      つまり繰り返しとなるけども、積み上げられた人工的な概念が洗練されて、この夢を生み出している”核心”をみつけたということなんだ。

      というわけで、この夢を酸いも甘いも、不幸も幸せも、すべてひっくるめて深く味わっていこう。

      そうして味わい尽くしたとき、抱えている問題や苦しみは夢のなかでの解決ではなく、夢そのものが変わるがゆえに解消するんだよ。

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