世界とあなたが逆転するとき

「あの子俺のことどう思ってるのかな?」
「うわ、変な態度を取ってしまった」
「きっと誤解を招いている」
「どうしたらいいんだ‥」

不幸な人というのは、未来か過去に
意識が向いている人のことだ
上記の例も同じ

言葉を観察してみなさい
1番目と4番目は期待が込められている
つまり未来志向だ
2番と3番は過去に囚われている

このように外側に意識が向くとき
それは必ず未来か過去が対象となる

そのエリアは常に不足・不満足であり
現実と向き合える場でもない
妄想だけが膨らみ
打ち勝つことのできない何かに
いつも食われ続けてしまう

癒やされることも
満たされることもないから
常に渇望状態となる

「何で自分だけがこんな目に」
「誰もわかってくれない」

蜃気楼に向かう砂漠の旅人
オアシスが見つかることはない

あなたの日々の疲労はそんなところ

 

今ここ

充足とは”今ここ”のことだ
未来も過去でもなく
今という針の上にいる

間違えてはならないのは
時間的なものではないということ

意識が内側に向いている”状態”が今だ

つまり”今ここ”とは結果的な表現であり
意識が内側に向くとき、思考は止み
あなたと世界の関係が逆転する

一人称のテレビゲームで喩えるならば
これまでのあなたは
その世界の中を探索していた
そこには時間の経過があった

だが逆転するとき
画面の中を世界が動いているようになる
世界の時間の経過は
あなたとは無関係となる
テレビ画面は確固たるリアルタイムだ
それが”今ここ”という境地

世界の出来事は単なるドラマとなり
あなたという個人も
その中のキャストであることが判明する
つまりあなた自身をあなたは見ていたのだ

これが不死の証明であり
正体を特定できない「それ」の炙り出しだ
あなたを俯瞰する存在に意識が宿り
そこに光が灯されることが「今ここ」
文字通りの「超越」となる

ギリシアの哲学者、
パルメニデスが唱えた通り
「存在」にとって
未来や過去は意味を成さない

繋がった円環のように
はじまりも終わりもなく
生まれも死もなく
ドンとそこにあるだけだ

 

瞬間を生きる

あなたがいかにして
存在と触れ合うことができるかが
不幸という悪夢からの解脱手段となる

日々の中で問題事に関わるとき
意識を引っ張られないように
まず内側に戻すことだ

そうしてから取り組みなさい
すでに問題事は問題ではなくなっている
未来の展望と過去からの固執が消えるから
とても軽いものに変わる

あなたの目には
その瞬間の姿だけが見えるようになる

「あの子俺のことどう思ってるのかな?」

意識の向きを変えて”瞬間”に触れなさい
すると、問いは問いのままにあり
事の起こりだけを楽しめるようになる
つまり先入観や感情を通さず
正しく物事を見るようになる

そうして瞬間瞬間を生きる姿勢こそが
神との戯れなのだ

無知の子どもにとって
毎日が驚きの連続のように
先入観や思い込みを捨てて
生きるようにしなさい
フリでも構わない
姿勢が大事なのだ

あなたが正しく世界を受け取るとき
つまりいつも新鮮であるとき
そのレスポンスが起こり続ける

世界はあなたを躍動させるものに
どんどん移り変わっていくだろう

 

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コメント・質疑応答

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  1. マリー より:

    初めまして。1ヶ月ほど前知って、毎日読んでいます。自分さんの言われている意味が、段々とわかるようになってきました。しかし、わかっていても、その意識を内側に向けるという実践が出来ません。頭ではわかっていても、なかなか実践が出来ません。瞑想もなかなか続きません。具体的に何かわかりやすい方法があれば教えてもらえませんか?

    • -自分- 涅槃 より:

      マリーさん

      はじめまして
      >具体的に何かわかりやすい方法があれば

      すべてを疑ってみなさい
      見えるもの触れるもの
      日頃から当たり前だと思っている、
      あらゆる事象に「なぜ?」と投げかける

      それを習慣としなさい
      あなたは過去から解き放たれるだろう

      あなたの理解を邪魔しているのは、
      つまり幸福への道を阻んでいるのは
      信念なのだよ

  2. 爽やかハンサム より:

    “あのお店”は今日も存在している。

    「あのお店、こんなご時世によく残ってるなぁ」
    「お客さんが入っているようには見えないけど・・」
    「きっと、お客様を大切にしてきたからだろう」

    いやいや理由など存在しない。
    「それ」がそこに起こっているだけだ。

    「それ」が起こっている以上、そのお店はそこにあり続ける。

    存在している企業も努力で残っているのではない。
    「それ」がそこに起こっているのだ。

    「その位置」にいること。
    それが現象界の「今」だ。

    「その位置」はチョチョットやって来てすぐいなくなる。
    チョチョリーナだ。

       ーーーーーーーーーーーーーーー

    もし、引き寄せの法則とかのマインドレベルではなく、
    「ハートが世界を創っている」を理解したら、体験したら、

    すごく怖いことだ。

    全ての責任は私にある。

    モーレツなパワーがあるのに気付いたなら、
    うかつな事は考えられないし、ましてや変な冗談など言えない。

    「もし、あなたの世界に不幸な人がいたら、責任を感じなさい」
    これは、まさにその通りだ。

    岩窟王とか言ってる場合じゃない。

  3. 青空市場 より:

    何かが起こったらその瞬間に完結してる…っていうような感じですか?
    すごく怖い。ものすごく怖い。今まで自分が経験してきた苦しい事が繰り返されるかもしれないと思うと、せっかく納得したはずの幻想システムなのにあっという間に現実ゲームに逆戻りです。このまま終わらせちゃダメって警告信号が点滅します。

    • -自分- 涅槃 より:

      青空市場さん

      >何かが起こったらその瞬間に完結してる…

      「完結」とは因果が前提にある
      そうではなく
      「そこにあるものがすべて」だ

      意味付けはあなたが後で行うということ
      つまり原因はあなたが見つけてくる

      瞬間に生きるとは
      その場に起きているものだけに
      対応していくということだ

      そこに恐れはない
      恐れという概念すら消滅する

  4. cube より:

    癒やされることも
    満たされることもないから
    常に渇望状態となる

    これ、まさに私です。
    今日も感情に振り回されてしまいました。
    妄想も止まりません。
    でも、多分癖のような物だと思うので、昨日教えて頂いた事にじっくり取り組もうと思います。
    有難うございます。

    子供の頃は世界が輝いていました。
    ただの雑木林が今思い出すと楽園の様でした。
    高校生の頃、ふと同じような景色を見ているのに、昔とは何で見え方が違うんだろう?と疑問に思ったことを思い出しました。
    小学3年の頃、私の何かが変わったと感じた事も思い出しました。
    幼い頃の目でもう一度世界を見てみたいです。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      >幼い頃の目でもう一度世界を見てみたいです。

      別の方にも書いたコメントだがね
      すべてを疑ってみることだよ
      見えたり聞こえたり触れたりするもの
      普段当たり前だとしている
      あらゆる物事に「なぜ?」としてみなさい

      するとあなたは蓄積された因習を捨て
      ゼロの世界に戻ることができる

      イエスの放蕩息子の話を調べてみると良い
      あなたはそこに戻るために
      旅をしているのだよ

    • cube より:

      お返事有難うございます。

      昨日、また疑ってしまって辛かった時にふと、
      それが嘘なのか真実なのか、本当に確認する術はない。
      嘘が本当に嘘なのか、真実が本当に真実なのかもわからない。
      それならどっちでもいいんじゃないか?
      と思い少々ですが楽になりました。

      また子供の頃の話ですが、テレビに映るタレントさんを見て、
      この人達って本当にいるのかなぁ?
      今家に居る…学校は今あるのかなぁ?
      なんて思っていたことを思い出しました。
      親に聞いてみたら変な顔されましたが(笑)

      疑ってみることもやってみます。
      放蕩息子のお話も見てみました。
      戻りたいですね…

      有難うございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      >嘘が本当に嘘なのか、
      >真実が本当に真実なのかもわからない。
      >それならどっちでもいいんじゃないか?

      よろしい

      人生に起こる「疑問」に
      あなたが答えを求めれば
      それは真理を遠ざけることになる

      解決しないこと
      真偽を追求しないこと

      起こる出来事とは
      循環の作用なのだ
      言葉を変えれば「神の動き」となる

      だがあなたが答えを求めるとき
      神を定義することになる

      定義とはマインドの範疇のこと
      つまりあなたは永久に
      心の世界に閉じ込められることになる

      真実はそうじゃない
      広大無辺のものだ
      だから定義をしてはならない

      いいかい、
      その相手さんについては
      自然に任せておきなさい

      循環が起きているのだよ
      それを眺めているだけでいい

      あなたは自分のことだけに
      目を向けていなさい
      自分を楽しみなさい

    • cube より:

      よくわからないままに、意識を内側へと戻すを実践していました。
      そして、私はコンプレックスが強いのですが、それをただ認めてみました。
      そうしたら何故か相手への執着が薄れて、コンプレックスも無くなりはしませんが気にならなくなりました。
      不思議なものです。

      まだ、最悪だと感じる事を考えて胸が痛むときもありますが、
      「まぁいいか、仕方ない」
      で済んでいます。

      それから、最近不思議な体験もありました。
      目の前が過去になった?というか何て言うのか。
      そして自分さんのおっしゃる針先の意味もわかりました。
      もうその感覚は消えてしまいましたが…
      でも、もう一度体験したいなーと思うものの、あまりこだわってはいないようです。
      それ以来、たまにですが当たり前の事が面白かったり、可愛くて仕方なかったりで。
      感情も、それを感じる事が出来る奇跡と言うかそういった事も感じます。
      どうしてこれがあるんだろう、感じるんだろうと。

      凄く楽になりました。
      有難うございます。

      お忙しいかな?と思ったのですが、報告したくなったので。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      例えば真理に到達するために
      「思い込む」という技法がある

      思い込むだけじゃ意味がない、
      そんなものリアルじゃない
      人はそう捉える

      だがよく考えてほしい
      一体誰が「思い込んでいる」のだろう?

      人生の光景、すべての体験とは
      あなたが主体となるものだ
      だからあなたがそこで思考すること
      想像を膨らませること
      自分は何だと思い込むこと
      それらも人生として刻まれる
      つまりすべてがリアルなのだよ

      聞いたことがあると思うが
      眠る前に願望が叶った自分を
      イメージし続けると
      その”思い”が現実化する

      あなたが見ている世界とは
      “あなたが見ている”からだ
      当然そうなる

      それは心を通じたコンセプト、
      思い込みの世界なのだよ
      そこに料理があるのもそうだし
      コップがあるのもそう

      つまり「否定」を取り下げることで
      肯定が起こるようになる

      いま遠いものに感じる事柄、
      例えばスカイダイビングとしよう
      自分には無縁だなとしていることも
      少し興味を持って
      検索したりして知識を蓄えてみなさい
      費用はいくらだとか
      体験した人の感想だとか
      その効能だとか
      いくらでも好奇心に火を着けてくれる

      何でもそうなるようになっている

      するとどうだろう
      小さな思いが
      いまじゃ現実化に向けて動き出している
      あなたが動いてるのではない
      世界があなたに向けて動いてくる

      本屋に入れば
      なぜかスカイダイビングの本が目に留まる
      テレビを着ければそういう光景が映る
      友人が栃木や埼玉の旅行話をしてくる
      (日本でスカイダイビングができるエリア)

      世界が動きだし
      あなたは常に刺激が起こる

      少し長くなったがね
      “気付き”も同じことなのだよ

      いま目の前の光景を
      「これは記憶だ」と喝破してみなさい
      途端にあなたは死の扉の向こう側にいる

      そうして人生の秘密を解いていくといい
      すべて「あなた」なのだ

  5. 爽やかハンサム より:

    内にある「あるところ」にアクセスできたのかもしれない。

    そこである事を「思ってみた」
    すると「そうなった」。
    普通では無理だと諦めるところなのに、だめもとで思ってみたら
    動きが変わってそうなった。

    え~これって現実を創造したのではないか?

    これは引き寄せの法則なんかではない。

    で、また普通に過ごす。

    ふとまた「そこ」にアクセスしようとしてみた。
    その時偶然「車の事故らしきもの」を見た。

    するとカーブを曲がった先に「事故が起きていた」
    え~っと思った。

    で、また普通に過ごす。

    今度はこれをやってみよう。
    「そこ」にアクセスして思ってみた。

    今回は、ところどころ「エゴ」が邪魔をしてくる。
    「あ~だ、こ~だ 邪魔をしてくる」
    でも一応「思った」。

    すると「ゴチャゴチャしながら、そうなった」
    ゴチャゴチャまでもがそうなった。

    怖い。

    「そこ」にアクセスして思ったことは、3回連続でそうなった。

    だから「そこ」にアクセスさえしなければ、
    変な事を考えても、いつも通り願いは叶わない。笑

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      ひとつ後ろに下がってみなさい
      するとあなたの思考と現実が
      完璧にリンクしていることがわかるだろう

      時間のラグを考えるから
      偶然やらシンクロニシティやら
      引き寄せやら、そういう見解になる

      いいかい
      すべては同時発生している

      あなたが1週間前に
      ふと頭に浮かんできた考えが
      今日、カタチとして目にすることになる

      あなたは何も思考していない
      思考はやってくる
      出来事もやってくる

      どこから?

      そこからだ

      つまり「そこ」にすべがあるのだよ
      時間もなければ
      あっちやこっちという距離もない
      一定の場所が「そこ」だ

  6. 青空市場 より:

    真実を知るには苦しさを通り越さないとダメなのかな?
    なんか、こうバーンッ!!て、全てがいっぺんにひっくりかえるように知ることは無理?
    時間の観念とかシャバにある色々な観念にどっぷりつかっていても「超幸せー」と思いながら生きてる人だって山ほどいるし。
    そうなると真理って一体何かな?七転八倒したから真理に近づくわけでもないみたい…。むしろ真理とか悟りとか考えたことすらないような人のほうがよっぽど一体化してる気がします。

    • -自分- 涅槃 より:

      青空市場さん

      >時間の観念とかシャバにある色々な観念にどっぷりつかっていても
      「超幸せー」と思いながら生きてる人だって山ほどいる

      彼らは実在しない
      あなたの見る彼らが
      あなたの世界にいるのだよ

      つまりあなたがそうなのだ
      だから、

      「こうバーンッ!!て、全てがいっぺんに
      ひっくりかえるように知ることは無理?」

      あなたはすでにそうなっている

      >そうなると真理って一体何かな?

      あなた自体が真理だ
      そこに気がつくとき
      あなたは「悟りとか考えたことすらない人」になっている

  7. 爽やかハンサム より:

    わたしが「世界」をつくっている。

    その中の「私」が体験している。

    「その世界」を、わたしは覗いている。

    さあ、どれを選ぼうか?

  8. -自分- 涅槃 より:

    爽やかハンサムさん

    良い表現だ

    心が世界を作る
    つまり心=自分

    そしてその檻(現実)の中を
    四苦八苦して生きている
    つまり自分は自分の中で藻掻いている

    だが、その一連を察知している何かがいるから
    それらはそうして”存在”を与えられている

    コップがあることに気が付いて
    コップがそこにあるようにね

    何か=わたし、、ではなく

    いまそこにあるすべて
    それが神だ

  9. さノかな より:

    自分さん、はじめまして。

    どうして自分さんは手記を書いていらっしゃるのですか。覚醒をしても、まだ救われるべき者が存在するのですか。自分さんの夢の世界にも起こしてあげるべき住人がいるのですか。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      はじめまして
      >起こしてあげるべき住人がいるのですか。

      “あなたの世界の私”については
      私はわからない

      私の世界については
      自分のために
      やるべきことをやっているだけだよ

      私の特質が楽器の演奏ならば
      みんなに聴かせているだろうし
      織物工ならば
      それをみんなに提供しているだろう

  10. さノかな より:

    自分さん、こんばんは。

    幻想の世界で苦しんでいる人たちは、自分さんにはどのように映るのですか。自他一体の認識を持っていると、苦しんでいるようには映らないのでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      >幻想の世界で苦しんでいる人たちは、
      >自分さんにはどのように映るのですか。

      あなたに分かり易いよう、
      「私」を前提とするならば、

      私が見たり聞いたりするために世界がある
      つまり私なのだよ

      例えばあなたが
      「自分のためにコメントをした」と主張しても
      私には
      「私が見るためにあなたがコメントした」となる

      「苦しい」という人がいれば
      苦しさを見る私がいる
      私が苦しいのだ

      他者という私があり
      ゆえに全一的な愛だけがある

      言葉での表現には限界があるが
      まあそんなところだ

  11. 爽やかハンサム より:

    「私」がやっているのではない。

    「それ」がやっている。

    いま、「それ」がやっている

    「私」がやることは「それ」にピントを合わせるだけ。

    「涅槃の書」おそるべし。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      そう、それでいい
      あなたは眺めているだけだ

      1分だけでいいから
      体の動きをごく自然に任せ
      それを眺めてみなさい

  12. さノかな より:

    自分さん、おはようございます。

    共感や理解できないものがあると、分離しないのですか。

    相手を、自分と対等の立場だと考えると、分離感を感じます。
    自分と関わる人たちを、私が創った、ただの映像だと思いたいです。 私と関わる時だけ存在しているので、私と出会う前と、離れたあとに、その人には‘いのち’が宿っていないとするのは、独断的で良くないですか。 でも たとえば、私が3日間その人と関わるだけのために、その人は、私と出会う前の苦しい過去を生きてきて、離れたあとも、この地球で生きているというのはあまりに酷なことのように思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      やあ、おはよう

      さてあなたの書いている話は
      すべてのあなたの解釈だ
      この意味をよく考えてごらん

      あなたがそうならばそうなのだよ
      これが悟りであり真実となる

      「それじゃ理解できません」といえば
      「理解できません」が真実だ

      つまりあなたは
      「個人という自分」から見た世界を生きている
      だからあらゆるものが複雑で
      意味不明で理不尽で不条理となる
      そのコメントのような疑問も出てくる

      疑問を解決した先に光明があるのではないよ

      疑問を解決しないときに
      光明があるのだ

      世界の人々を愛しているならば
      あなたがまず真実への理解を深めることだ
      あなたが満ちれば
      同時に世界も満ちている

  13. さノかな より:

    自分さん、おはようございます。

    なんとなく、わかりそうな気がします・・・?

    夢の世界なら、自分がそう思ったらそうなのだと思いますが、夢から覚めたら、すべてのものに共通の真理というものはないのですか。 夢の中で何を考えてもつかめないですか。 でも 目覚めるために、もう少し考えてみます?…

    • -自分- 涅槃 より:

      さノかなさん

      夢見と日常は一本の線上で並んでいる
      つまりどちらもリアルなのだよ

      どちらの世界も
      あなただけが登場しない

      これをヒントに熟考してみなさい
      考えるのは良いことだ
      答えに到達しないということを
      深く知ることができるからだよ

      だから考えなさい

コメント・質疑応答

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