あなたはすでに死んでいる

昔親しい人を亡くしてね
毎朝仏前で手を合わせると
生前の彼の姿が記憶が蘇っていた

話す言葉や動作
それらがリアルに再生される

ある日、妻と朝食を終え
いつものように仏間へ向かったときのこと

ひとり静かに手を合わせると
彼がそこにいる
記憶の中で彼はいる

私はふと、
妙な違和感に囚われた

さっきまで朝食を挟んでいた妻はどこだ

故人が記憶の中ならば
妻も記憶の中だ

両者は何が違うのだろう?

そして
いま手を合わせている私の動きすらも
記憶を見ているに過ぎないことに

気が付いた

 

現実とは記憶の再生である

瞑想的な暮らしが深まるにつれ
度々「いま」という針先に
在るようになった

そこでは何も起きておらず
過ぎた光景だけが再生されている

つまりいまコップを手にしたとしても
それは記憶を見ているのだ
私はコップなど触ってもいないし
私もコップも実在しない

記憶というヴィジョンが
再生されているだけ

古代の覚者は現実は夢だと説いた
だが夢や幻という言葉にしてしまうと
その中の”体験者らしき私”に同化が起こる
夢という言葉はリアルタイムな印象を
与えるからだ

そうではなく現実とは記憶なのだ
もうここにはなく、過ぎ去ったもの
その映像が流れ続けている

時間軸を前提とすれば
記憶は己が経験した過去のものとなるが
「いま」に見える記憶とは
“経験したこと”という映像が
ただ起きているのだとわかる

体験済みという体験映像が
いま流れているということだ

 

だから記憶を見ているという境地に立ったら
もうそこが到達なのだ

つまり、あなたはすでに死んでいる

そこでコップに触れたことでさえも
死の位置から生前の記憶を
見ているようなものだからだ

生や死というのは概念だから
この「何もない場所」というのは
不死であるといえる

あなたは生まれてもいないし
死ぬということもない
時間の経過もない

記憶という名の”生”が
ただ上映されているだけ

あっという間に月日が流れたり
とてもスローに感じたり
それは時間という進行は存在せず
記憶が紙芝居のように
再生されていることを意味している

 

ではすべてが記憶の再生ならば
日頃あなたが奮闘している
人生の問題解決とはなんだろう?
すべては「起きた光景」を見るしかないのに
一体あなたに何ができるのだろう?

いじめに悩む少年少女も
将来への不安も
そこで見ているのは
すべて記憶

過ぎ去ったあとのものを見ているのだから
掴むことはできない
コントロールする類いのものでもない

できることはただひとつ

「お前は記憶だ」
そのように喝破すること

日々の動きの中で
ずっと記憶を見ていることに気付きなさい

あなたは最初から死んでいた
生まれてもいなかった
ずっと生という記憶が再生されていたのだ

そのうち瞑想法として記しておくよ

 

不死より愛をこめて

ところで、記憶だけを見ているなら
この記憶はどこからきたんだろう?

そういった疑問があるかもしれない

だが注意しなさい
それは解釈だ
記憶に自己同化している

いずれ気付くから書いておくが
記憶はただそこにあったものだ

そのヴィジョンこそが
「今世のあなた」という設定となる
だからあなたでありながら
それはあなたではない

宿を借りているだけだ

だからそこで流れる光景を眺めていなさい
あなたの動きも
あなたが動かしているのではない
記憶が再生されているだけなのだ

人々も苦難も
それを愛さずして
他に何をするというのかね

眺めるという「不死」の位置に立つとき
現実からの目覚めを知る

それが涅槃
すべての瞑想はそこに辿りつく

 


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  1. 爽やかハンサム より:

    「ヒデブ」

    めちゃくちゃ解かりやすかったです。

    ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      自分自身の「存在」を見た後
      恩寵が起こる
      それは向こうからやってくる
      この手記はその表現となる

      すべては過ぎ去るとも表現できるが
      過ぎているものでもない

      いまそこで起きている
      見えることや触れることが
      決してリアルタイムではなく
      すべては記憶を呼び戻しているということ
      そこに気が付くことだ

      では記憶を呼び戻しているという「ここ」には
      一体何があるのか、となる

    • 爽やかハンサム より:

      少し前に自分の行為を、1秒遅れ位で見れていた時がありました。

      そしてまた違う日ですが、「なんだ これ」が起こった日に、お風呂場で自分が体を洗っているのを「意味がないのに何でこんな事をしているのだろう」と、「ふっふっふ」と見ていた事がありました。

      その時の私の行為は、いつも通りの行為で、それらを観ているのは、いつもと同じ頭の位置やや後ろ?のような感じでしたが、それは「す~っとやって来て」、「ぼ~っとモヤがかかった感じ」でした。

      その時に「私のボディや世界には実体が無い」というのが初めて分かりました。

      それが「記憶」を見ていたとしたら、すごく納得します。

      では記憶を呼び戻しているという「ここ」には
      一体何があるのか、となる

      ↑私の場合は、タイムラグで「私も含めた幻想」を見ていて、
      そこに在ったのは「もわ~っとした感じ」でした。

      自分さんは、それも観れているという事は、さらに上の「観察次元」まで行っているのではないでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      それでいい
      タイムラグは実在しないが
      タイムラグという概念を通じて見えるなら
      「タイムラグ」は道具となる

      私はもうずっと、記憶の映像の中だよ
      こうして文章に書いていることも
      書いているのではなく
      書いていることを見ている

      マインドは起こるが
      それすらもそのまま流している

  2. M子 より:

    いつもありがとうございます。
    スピリチュアルの導きにはいつもDoとBeの2つのパターンがあるなぁ感じます。自分の願いをかなえるために自分自身の思考パターンを変えることと、起こることに全てをまかせるという2つがあるように思うのですが、それはどちらも同じことなのかアドバイスをいただけますか。

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      思考パターンは変えるものではない
      あなたの在り方が変わるとき
      つまり意識が内側に向くとき
      次に起こる思考が
      それまでと別のカラーとなる

      覚えておきなさい
      思考はやってくるものだ
      あなたが生み出すものではない

  3. ONEPOINT より:

    自分の中を覗いてみると何もない。
    そういう意味ではわざわざ死んでみるまでもなく
    死んでいると言えますね。

    しかしもうこの場所には何度も訪れているのに
    恩寵らしきものは何も起こらないし
    苦手なものは相変わらず苦手ということは
    まだ気づけてないことがあるということでしょうね。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      「恩寵らしきものが起こらない」
      「苦手なものはやはり苦手」
      その映像が流れているのだよ

      映像を記憶として捉えてみなさい

      つまり過ぎ去った後のものを
      いま感じているということ

      理解を深めるには
      昨日起こった出来事を思い出すことだ
      その記憶と
      いまあなたがしている行動の
      合致点を見つけなさい

      どちらも記憶だったとなる

  4. ガルシア より:

    自分さん、私、13歳のときにふと思ったことがあるのです。
    本当の自分は老人で、今まさに死の床にある。その老人が死を迎える瞬間、それまでの人生の記憶を誕生から順に余すことなく辿っている。
    自分は今、その老人の13歳の思い出の中を生きているのだと。
    そしてその老人がすべての記憶を辿り尽くしたとき、初めて自分は自分自身と一致するのだと。

    大人になって思い返すと、私はなぜそんなことを考えたのだろう?とずっと不思議でした。
    当時の私は「そうだ、そうに違いない」と心の底から確信していました。

    この手記を読んだ今、何だか不思議な気持ちがします。

    • -自分- 涅槃 より:

      ガルシアさん

      すべては結果が先にあり
      原因が後から付いてくる

      最近は量子力学でも立証されてきている
      結果を望むことなど愚の骨頂なのだ
      いまが過去を作る

      死に立つとき
      生はその回想となる
      つまり13歳のあなたの状態は
      正しいものの見方だ

      その子はまだ汚れていなかった
      計算や予測の世界に溺れていなかった
      だからあるべき位置に立っていたのだ
      そこに戻りなさい

    • ガルシア より:

      子供の頃の感覚を正しかったと言ってくれた人は自分さんが初めてです。

      私が涅槃の書を読んでいるのは、こういった子供の頃に考えていたことや感じていたことと類似することが多く書かれているからなのです。
      そういう意味では、子供の頃の私の方が多くを知っていたし、感じていたようです。

      私の感覚では、6歳頃の私が一番冴え渡っていて一番私が「私」だったと感じます。

      しかし不思議なのです。その頃の私の方が今より強烈に「還りたい」と思っていたし、今より遥かに人生が苦しかったのです。

      地球と呼ばれる場所や自分の目に映る世界を嫌悪していたし、見下していました。
      現実感がなく、簡易的にこしらえてある空間に感じられて苦しくて仕方がありませんでした。

      子供の頃、他者や世界に存在を感じませんでした。自分だけが、自分こそが本物の存在だと思っていました。
      世界に6歳の私一人きりでした。

      物心ついたときから、気がついたらずっと思っていました。「ここは私の世界じゃない。本当の世界に還りたい」

      「帰りたいって、どこへ帰るというの?この社会しかないのだから、社会で生きられるよう努力しなさい」そう教えられ、努力してきました。
      社会で生きる分にはだいぶ楽になりましたが、私は自分の大切なものを失ってしまったようにも思います。

      しかし私が私である以上、核は残っているのです。
      「還りたい」という感覚は、今でも連綿と続いています。

    • -自分- 涅槃 より:

      ガルシアさん

      6歳の頃のあなたは
      ちょうど分離が起こり出していたのだろう
      それまであなたは世界とひとつだった

      だがエゴという果実が与えられ
      世界から孤立してしまう
      それがあなたの6歳の頃
      世界が大きく変わるピークだった

      精神の世界と
      物質の世界、その境目に
      幼きあなたは立っていた
      賞賛を贈るべき姿だ

      大人の我々ですら
      人生の岐路には怯えるものだ
      だが幼きあなたは
      現実という砦に
      果敢に向き合っていた

      誰もが子どもの頃を懐かしく想う
      誰もが現在は不幸だと呪う

      皆の心境は同じ
      「あの頃の勇気が欲しい
      でもいまは流されるしかない」

      もし人々が
      物質という虚構の世界に囚われず
      くだらない競争に巻き込まれず
      自ら幸福を生み出せたあの頃に戻れるならば
      世は変わるのだろう
      だが根付いたネガティブがそうはさせない
      社会という鎖は
      すべての人々の自由を奪うためにある

      本書に訪れるのは
      自分の力だけで生きている人たちだ

      誰かに頼ることなく
      自己を犠牲にしてでも
      その道を生きてきている
      手探りで闇の中を少しずつ
      たったひとりで生きている

      私もそうだった

      私が経済的にも肉体的にも
      死の寸前にまで陥って知った真実とは
      「安心していい」という境地だった

      そして私は救われた
      “そのままで良い”と知ったからだ

      私はそれをみんなに伝えたい
      だが言葉で伝えるには限界がある
      だから毎日内容を変えて伝え続けている

      いずれあなたが何かを得て
      そして救われたならば
      世界を導きなさい

      それがあなたの仕事だよ

    • ガルシア より:

      自分さん、ありがとう。なんと言ったら良いのか…。

  5. A より:

    私も2回あったドン底の時、可愛らしいおばあさんの映像がふと浮かんで、1度目は少し注意するように『ジュエリーを付けなさい』、2度目は少女みたいに可愛く嬉しそうに笑いながら『あなたの人生はとっても華やかでエキサイティングよ』と言われたのが浮かんできました。
    嵐が過ぎてしまえば悲観し過ぎて妄想だったのかと思うのですが、その時は何処かで確信とか親近感や安心がわくのです。
    動かず見ているのはあのおばあさんで、体の私は若い時のおばあさんの記憶を体験してる人なのかなって気がしたら、見るも見られるも今に在るも一瞬腑に落ちた気がして目に写る物がやたら新鮮な感じがしました。直ぐもどっちゃいましたが。

  6. A より:

    昨日エスカレーターで私の前にいた外人さんのTシャツに、意識を変えると世界が変わるって漢字で書いてありました。
    あなたまでそんな事言うの?とか思って一人で笑ってしまいました。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      現実はすべてシンクロニシティで
      できている
      だから偶然性の一致がシンクロではなく
      その外人のシャツのように
      すべてあなたの意識が作り出している

      大事なのは
      その外人は「人」ではないということだ

      あなたの見た風景の一部分だ

      意識はシーンを作り出す
      それは視界もそうだが
      音も思考も感情も
      そのワンシーンにすべて含めてくる

      そしてシーンを体験するために
      あなたという媒体がそこにいる

      だからおばあさんの映像も、
      それをいま思い出しているということさえも
      すべて己がシーンを作り出し
      それを解説しているということだ

      ゆえに何もかもが
      あなたにとって関連のあることばかりとなる

      例えば「何かを見たら、見える」などね

      あなたに関係のないことは
      一切その世界には起きていない

  7. A より:

    自分さんお返事ありがとうございます。
    一度自分さんにあのおばあさんを聞いてみたかったのです。
    私が作り出したシーンだったのですね。

    一度目のどん底の時海外に逃げるように行き、気力もなくボロボロのジーンズにスニーカー、危なくないように少年のような格好をして怯えながら暮らしていました。

    ふとジュエリー店のショーウィンドーにいくらするのか分からない宝石、宝石越しに映ったボロボロの自分とのコントラストが我ながら滑稽でした。
    私何やってるんだろう、こんな遠い国に来ても苦しい。

    その時あのおばあさんがジュエリーを付けなさいと言ってきたので、私は「ここは外国で私は学生なんだから、そんなチャラチャラしたもの危なくて付けてらんない」と頭の中で会話したんですが、ふと「いずれ向こうからやってくる」と何故か理由なく浮かんだのです。それが欲しいとかでもないのに。

    帰国して数年後、そこのジュエリーが本当に向こうからやってきました。
    他のブランドのジュエリーは来ないのですがそこのジュエリーは何故か向こうからやってきます。婚約指輪もそこのでした。
    そして来る度に似合わないのです。

    その度にあのおばあさんに「フェミニンを取り入れなさい」と言われます。
    今ではフェミニンも得意なラインになりました。欲しいと思って自分で買いに行くと手に入りません。向こうからやってくるが適用されます。

    そう言えば帰国するきっかけになった日、何気なく無料新聞の占いに、今日あなたの人生を一変させる事が起きて問題が解決すると書いていて、読んだ直後に電話がかかってきて3年も苦しんでいた問題がその電話から嘘みたいに解決に向かいました。占いは人並み程度の興味ですが、シンクロは良く実感します。

    『ジュエリーを付けなさい』も『あなたの人生はとっても華やかでエキサイティングよ』も結構気に入ってたんですが自分で作り出してたんですね。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      とても良い体験談だ
      多くの人が参考となるだろう
      あなたの純真さが
      そのまま世界に投影されている

      スピリチュアルを知り始めた時
      多くの人がシンクロニシティを体験する
      それが惹き込まれる種となるのだが

      それはスピリチュアル自体に
      力があるのではなく
      それが神秘的であるという認識が
      本人の中の純粋を研ぎ澄ますことにより起こる

      だから最初はいいが
      エゴの欲求が露わになるにつれ
      神秘を逃してしまう

      森の虫たち
      空を舞う鳥たち

      彼らはいつも純真だ
      そこにない物を求めるのではなく
      満足を探すのでもなく
      ただその場に生きている
      自然の恵みの中だけに生きている

      人がそのようであるとき
      世界は祝福を起こす
      必ず起こしてくれる

      何か行為はしているだろう
      だがそれが真っ白なものであるとき
      奇跡の中に立っている

    • A より:

      自分さんお返事ありがとうございました。確かにあのおばあちゃん純真そうです。

      2回目のドン底の時、こちらのドン底をよそに、可愛らしく嬉しそうにあなたの人生はとっても華やかでエキサイティングよって言ったのです。
      あのおばあちゃんってもしかして私?とか思ってたのですが…

      だとすれば我ながらなかなかやるじゃんって位上品で可愛らしかったので、よく分からないけど妙に安心したりしました。私が作り出してたのかぁ〜なんかちょっと残念。

      自分的にはフェミニンが苦手だったりしたのですが、人生が何だか知らないけどそちらに引き寄せていきます。

      留学の時もそうですが低迷中はフェミニンの逆をいく格好や環境で1人何かから逃げています。
      なので別に派手が好きな訳ではありませんが今の環境も地味なのでこのブログを見るようになってから洋服だけでも華やかにと心がけてますが、何というか低迷してない時は勝手に周りも華やかになっているという感じなのです。

      私1人が華やかにすると言うより環境の方が華やかになるんですが、今が地味な環境って事はおばあちゃん何か物申してきそうなものなんですが。

      意識が変わればって言うけど、なんか強制的に華やかに軌道修正がかかる気がするんです。
      なのに地味…私が地味だからなんでしょうけど…

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      ひとつ秘密を教えておくよ
      時間は経過していない
      つまりそのおばあちゃんとの出来事も
      あなたが留学のときも
      ここでコメントを読んでいるときも
      ぜんぶ今というパッケージだ

      因果の法を超えたとき
      シンクロニシティは
      ごく当たり前の事実となる

      あなたの人間解釈として
      「これから起こること」も
      今起きている

      なぜならば
      すべてが回想だからだよ

      儚くもあるが
      そこに愛が見える

      すべてがあなたなのだ
      人生を愛してあげなさい

  8. ONEPOINT より:

    涅槃の書に当たり前のように出てくる「死」というキーワード。
    息苦しく感じるのはマインドの作用によるものでしょうか。

    しかし「私」は実は死んでいてその回想を見ているだけだろうが
    この世はただの幻想だろうが自由意思があろうがなかろうが
    すべては必然だろうが偶然だろうが
    今まで通り食べて飲んで寝る生活には変わりないのでどうでもいいかなと最近では思っています。

    • ONEPOINT より:

      追記ですが、過去記事にもすべてキーワードを振っているんですね。
      自分さんの手記は一貫してぶれないですね。
      この手記はもう現在の自分の考えとは合わないというようなことはないのでしょうか。

      私など最初から読ませていただいているのにほとんどの手記の内容は忘れてしまった。
      コメントでやりとりしたこともほとんど覚えてないです。
      時間をかけてコメントしてくださっているのに申し訳ないと思います。

      しかし私ではなくて新たに涅槃の書に訪れた人の役に立っていればそれでいいのかもしれませんね。

  9. -自分- 涅槃 より:

    ONEPOINTさん

    >食べて飲んで寝る生活には変わりないので
    >どうでもいいかなと最近では思っています。

    よろしい
    本書が投げかけるものに対し
    あなたは答えを求めていない
    つまり”問い”を超えている

    少し小話をするよ

    学生の頃、熱中していた趣味があってね
    毎日そればかりを考えていた
    どうすればもっと深まるのだろう、
    どうすればもっと上達するのだろう、
    先へ進めばもっと楽しめるはずなのに、
    寝ても覚めてもそればかり

    だが社会に出て、結婚し家庭を持ち
    熱中していた趣味からは離れてしまっていた

    そうして何年も経ったある日、
    その趣味を偶然、思い出す切っ掛けがあり
    久々に触れてみた

    するとどうだろう
    「問い」が「問い」のままにあった
    当時探し求めていたものは
    なんと、その目の前にあったのだ

    なぜそれに気が付かなかったのだろう
    私は不思議に思ったものだ

    だが次第にそれを求めるようになる
    その日感じた至福がもう一度欲しくて
    また探求が始まる
    答えを求めて、ね

    >自分さんの手記は一貫してぶれないですね。
    >この手記はもう現在の自分の考えとは
    >合わないというようなことはないのでしょうか。

    よく聞かれる質問だが
    私の思考が関わるときは
    手記が”書かれた後”だ

    だから、ぶれることはないし
    いまの自分と違うということ自体が
    ありえない
    ずっと同じことを書いているからだよ

    >ほとんどの手記の内容は忘れてしまった。
    >コメントでやりとりしたこともほとんど覚えてないです。

    それは素晴らしいことだ
    過去を持ち越さないことが
    「いま」を開く鍵となる

    しかしどちらにせよ
    あなたが数年後に何かを質問してきても
    以前と同じ返答を返すだろう

    そのまま自由でありなさい

  10. さばみりん より:

    しかし、まだ瞑想を「やっている」己がいますね。真実から外れれば外れるほど、瞑想することを思考し、気が付けば己の幻想に入っているという、迷路から抜け出せないのも事実……妄想100%で生きられるのならばそれこそが至高の境地だと求めに求め続けていたかつての影がいつまでも憑依し続けますな。

    生とは死の記憶、その再生に過ぎない、ですか。
    なぜ、一体いつの日から生と死は分割されてしまったのでしょうか。
    生とはよろこび、
    死とはやすらぎ、
    共に分け隔てられないものであったはずなのに。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん
      何でもそうだが、主体と客体がある。瞑想ならば、瞑想と瞑想する者だ。あなたはどちらかに定着してしまい、そしてそれを消し去ろうと努力している。

      そうではないよ。”どちらにもなる”のだ。あなたがその生で行うこと、笑うこと、痛むこと、感じること、何もかも全部が、

      あなたなのだよ。

    • ZENON より:

      主体と客体、そうですね。
      頭では分かっているので、最初は馴染むように身体全体に定着し意識的な状態が続くのですが、頭で分かり過ぎてしまう分、己の価値観・判断による世界に切り替わり、気がづけば妄想が始まっているという始末です。
      どちらにもなる、というお言葉が強く響きました。
      もっと実践を深めていきたいと思います。
      しかし強固だ。我が唯一無二の妄想の世界。

    • -自分- 涅槃 より:

      ZENONさん

      色々なことがある。善とか悪とか、成功だとか失敗だとかね。だがすべてはあなたの体験の中で起きてるのだ。あなたというグラスの中で、安い酒も名酒も注がれる。氷は溶けて消え去る。

      すべて「あなたの中で」ね。

    • Xenon -ewigkeit- より:

      あなたの中、ですか。
      実に胸に迫ってくる表現でした。何故こんなにも迫ってくるのか、自分でも分からない。

      ただ、何となく心からすべてを許せるように、ありのままに浮かせるようになった気はします。これは魔法の言葉だ。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん

      たとえば私はあなたの中で生きている。それはあなたの人生で絶対的な事実だ。そのように自分の存在を世界に委ねてごらん。

      このパズルは途中にたくさんの難題を与えてくる。だが行き着く先には一枚の美しい絵が完成するのだよ。

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