世界が暖かい光のシャワーになる

見てきたこと聞いたこと感じたこと
体験した出来事のすべて
それが「あなた」だったのではないかね?

散歩ルートに観音菩薩像が立っていたら
あなたは「願掛けしようかな」とか
「ここに像があるのは何か意味があるのでは」とか
そういう理由付けをするかもしれない

そうじゃない
そこに”仏像があること”
それが「あなた」だったのだよ
そこにあることがすべてだったのだ

あなたの見ているものは
あなたしか立証できない
あなたの世界にいる他者は
「あなたから見た他者」なのだ
すべてあなただけの世界

だから厳密に言えば
それらは実在していないことになる

ただあなたが
そのように見えているだけであり
そのように「見えていること」それが
あなたの生の中身なのである

だから世界にあるすべてのものを
大切にするべきなのだ

出会ったもの、聞こえた音、
嫌いな人や食べ物まで
何もかも「それ」をあなたは知覚している

知覚できるからこそあなたが在るのだから

すべてがあなたであるということ、
そしてこの世には
「あなたしかいない」ということを
よく理解しよう
そして世界を大切にしよう

すべてがあなたそのものなのだ

たとえば「あれは嫌い」ということも
大切なものだ
ハズレすらアタリなのだよ

陥ってはいけないことは
自分を見失うということだ
そのときあなたは
世界を大切に捉えていないからね

あなたが「あなた」を受け入れている
その意識が重要なのだ

関わるすべてが己自身だったということ
それを真に感じるとき
この世界は光のシャワーのようになる

 

 


Notes , , ,

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  1. creeper より:

    初めまして。いつも楽しく記事を読ませて頂いてます。

    死を感じ取ること、しばらく意識してみました。
    死を意識するとシムシティをプレイしている気分になります。

    気に入らなければいつでもぶっ壊せる = いつでも死ねる。
    たとえ死んだとしても、更地だけは残る。

    更地だけは残るということは、自分は決して死なないのか?など
    いろいろと面白い感覚が沸いてきます。

    この「いつでも死ねる」という感覚は妙に力強いですね。
    世界を簡単にON/OFFできる力が自分にはあったんじゃないか、
    だとしたら別にOFFにしなくてもいいやと。

    なんとなく「すべて自分」というのが見えてきました。
    ありがとうございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>creeperさん

      こちらこそはじめまして

      >>更地だけは残る
      そうじゃないよ
      それがビデオゲームならば
      ゲーム機やテレビも壊してみなさい

      更地すらも残らないが
      それを見ている人は相変わらず
      同じ場所のままだ

      生とは死のことだ
      つまり生まれた時点で死が同時に配置される

      だが死はゴールじゃない
      生と死はワンセットだ
      常に当時にそこに置いてある

      これはいろいろな表現が可能だ

      生とはエゴであり
      死とは世界のことだ

      生とは希望であり
      死とは諦めのことだ

      陰陽の印を見たことがあるだろう?
      太陰大極図というやつだ

      あれはそういうことを意味している
      二元対立、というよりも
      弁証法から見えてくるジンテーゼのことを表している

      つまり生も死もそれでひとつのものなのだよ
      片方がなければ
      片方は立証できない

      だがその「立証」を超えたところに
      すべての到達がある

      つまりテレビを破壊した状態のことだ
      そこに残るものは
      それを観察しているもの、となる

      いわば、観察できる様子、
      その様子だけが漠然と在る、となるのだ

  2. creeper より:

    >>自分さん

    こんばんは
    返信いただいてから2カ月弱になりました。
    最新の記事もおもしろくて結構読んでますが、
    やっぱり自分はこの記事が一番好きです。
    正直言って意味は全然理解できていないのですが、
    「熟睡」というキーワードがナイスな感じです。

    「熟睡らしき状態」って完全に力を抜いて全面降伏状態というか、
    「私は黙ってますんで、勝手にやってください」というイメージです。

    今までは思考や感情に意識を向けて「気づいていよう」と少し力みがち
    でしたが、最近になって、自分にできることは力を抜くことだけ
    じゃないのか?と感じるようになりました。
    「意識を何かに向ける」という行為すら余計だったんじゃないか?
    とも思います。

    >いわば、観察できる様子、
    >その様子だけが漠然と在る、となるのだ
    今の私の感覚だと「観察できる様子」というのは、
    完全に力を抜いて、何もない場(空間)を提供することだと感じてます。

    • 自分 -涅槃- より:

      creeperさん

      よろしい
      あなたの言うとおり
      一番大事なポイントは

      眠りにおいて
      「自分は何もしていない」ということだ

      ひとつ良いことを教えてあげよう

      朝目が覚める
      だがそれは眠りから覚めたのではない

      目覚めが眠りと同じように
      やってきたのだよ

      つまり目覚めといいう世界も
      眠りとまったく同じ

      私たちはずっと夢の中なのだよ

      だから良い心を持ちなさい
      眠りが勝手に起こるように
      出来事が勝手に起こるようになる

      眠りのように
      すべてを放棄しなさい
      完全に降伏しなさい

      諦めなさい

    • creeper より:

      >目覚めが眠りと同じように
      >やってきたのだよ

      これはつまり、普段認識してる人間としての自分も夢だった
      ということですよね?
      なんとなく感覚的にわかる気がします。

      今まで理屈で考えてしまって、結局無限ループになっちゃったんで、
      これからは「なんとなく」の感覚を大事にしていこうと思います。

      最近は上のコメントで書いたように、強い感情が出てきても意識的に力を
      抜くだけでリラックスできるようになってきました。
      リラックスというか、胸の辺りに空間が広がって、
      そこにとどまるのが心地よい感じです。

      小さな感覚ですが、その感覚を育てていきたいと思ってます。

      アドバイス、ありがとうございました。

    • 自分 -涅槃- より:

      creeperさん

      最も大事なところ
      それは
      あなたが在るゆえに
      すべてが在るということだ

      あなたが生きているその世界のイメージ
      それはあなたによるものだ

      つまりあなたは
      自分のイメージの中を生きている

      就業後の上司との接待が苦痛な人もいれば
      それが楽しみだという人もいる

      上司の対応が同じだとしても
      それぞれに世界が違う

      だからといって
      「じゃあすべて楽しむという方向で」
      そういうのとは違う

      いずれ手記でも書くが
      人には特質がある
      それは変えられない

      つまり向き不向きのこと

      あなたが特質に乗っていれば
      人生は「順調」に映る
      そうでなければ苦難だ

      あなたという人間が見ている世界、
      その世界をさらに本当のあなたが見ている

      つまり人間のあなたが
      いかに適した環境にいるかどうか
      そこがポイントなのだよ
      これはマインドレベルの話だがね

    • creeper より:

      こんばんは

      初歩的なことを伺いたいのですが、

      例えば扇風機の「ブーン」という音に強烈に集中してると、
      自分と音が一体化して「ブーン」だけが存在する状態になります。

      この状態中は思考や認識も出てこないので、
      後になってはじめて「扇風機の音を聴いてた」と
      後付けて気づくことになります。

      いままで安心感や幸福感を求めてましたが、
      本当に最強な状態って上記の「ブーン」だけが存在してる世界ですよね?
      ただその世界には何かを認識できる自分はいませんが。

      「今に在る」という言葉がいまいちピンとこないんですが、
      「今に在る」ってのは自分がいない状態のことですよね?
      「今に在る」と気づける自分はいなくて、
      上記の「ブーン」だけが存在してる状態だと思ってます。

    • 自分 -涅槃- より:

      creeperさん

      最近は「見る」から
      いまに入ることをテーマにしているが
      あらゆる五感から可能だ

      音というものをよく観察してみると
      あなたに向かって集まってきていることがわかる
      中心に向かって集まるという性質がある

      そして音とは
      音があるところに起こらない
      必ず無音の場所に流れてくる

      宇宙は真空を許さず
      必ず何かで埋めようとするからだ

      つまり「あなた」は静寂の空間なのだ
      それがどういうことかといえば
      あなたはいない、ということになる

      何もない空間だからこそ
      あなたはあらゆる体験ができるのだよ

      >「今に在る」と気づける自分はいなくて、
      上記の「ブーン」だけが存在してる状態だと思ってます。

      まさにその通りだ
      だがそこに解釈を求めると
      途端に外側に出てしまう

      だから気付こうとすることなく
      ただ気付いていなさい

      >本当に最強な状態って上記の「ブーン」だけが存在してる世界ですよね?

      素晴らしい
      それでいい

    • creeper より:

      >そして音とは
      >音があるところに起こらない
      >必ず無音の場所に流れてくる

      この言葉、ハッとしました。
      大事にします。

      少しずつ深く入っていきたいと思います。
      ありがとうございました。

    • 自分 -涅槃- より:

      creeperさん

      あらゆる音の裏側に静寂が感じられたら
      それがあなただ

      また
      そこで広がる光景も蜃気楼のように浮かんでいる

      音から入ってもいい
      視覚から入ってもいい

      その裏側を感じているとき
      あなたの中を覗いてみなさい

      それですべては解ける

  3. creeper より:

    自分さん

    こんばんは
    お久しぶりです。

    >その裏側を感じているとき
    >あなたの中を覗いてみなさい
    >それですべては解ける

    私なりに上記のアプローチを続けていますが、
    少し教えていただきたいことがあります。

    最近になって、自分が存在すること、
    目の前に世界が存在していることが
    不思議になることがあります。

    「えっなんで何かがあるの?」
    というような一瞬の感覚なのですが、
    新鮮で爽快な印象です。

    目の前に何かが存在している、
    その当たり前のことに一瞬だけ
    ビックリするんです。

    この一瞬よぎる「何かが存在してる!!」
    をもっと広げていきたいと思ってるの
    ですが、焦るマインドが邪魔して
    なかなか広がっていきません。

    「なかなか広がらない」というのも
    マインドだということはわかっているの
    ですが、何かアドバイスを頂けないでしょうか。

    「何かが存在してる!!」という
    一瞬のビックリ感、これ以上の驚きは
    ないんじゃないかとも思ってます。

    • -自分- 涅槃 より:

      creeperさん

      やあ、元気にしてたかね

      >一瞬の感覚なのですが、
      >新鮮で爽快な印象です。

      その一瞬が真実だ
      それ以降はマインドの解釈となる

      だがそれを広げていこうとする必要はない
      なぜそうしたいのかね?

      あなたは一瞥を得ている
      それだけで十分だし
      そしてそれ以上のものはない

      大事なのは
      常にその”一瞥”が起こり続けていることに
      気が付くことだ

      広がるのではなく
      常に新しいものが起こり続けているのだよ

      ほら、いまもそう

      ほら、いまもだ

      またきた

  4. creeper より:

    自分さん

    こんばんは

    >だがそれを広げていこうとする必要はない
    >なぜそうしたいのかね?

    いつも、どんな時もその状態でいたい、
    何も無くて解放的だから、という思いからきています。
    でもそれって、時間が存在していることが
    前提になっていましたね。

    やはり「時間」の概念は根強いです。
    そこを超えるには、超える前と超えた後が
    存在しない「今」に在り続けるしかないのかな。
    (在り続けるって言い方も時間か)

    記憶をつかんでる間はどうしようもないですよね。

    >広がるのではなく
    >常に新しいものが起こり続けているのだよ

    このような自分さんのお言葉やたくさんの手記を
    読んでいて疑問に思ったのですが、
    文章を考えているのは自分さんのマインド(エゴ)だと
    思いますが、そのマインドはある時を境に何か
    ガラッと変化したのでしょうか?

    自分さんのマインドは、「時間は幻想だ」という
    認識を、なぜ素直に受け入れたのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      creeperさん

      私が手記を書くとき
      いつも起こるがままに任せている
      コメントやメールの返信もそうだ

      思考的に何かをするのは
      書き終えてからだ

      誤字脱字を修正したり
      文章を簡潔にしたりね
      マインドが動き出す作業の方が
      時間がかかるし
      疲労がある

      >「時間は幻想だ」という認識を、
      >なぜ素直に受け入れたのでしょうか?

      あなたは以下のように捉えているから
      それが見えなくなっている

      >そこを超えるには、超える前と超えた後が
      >存在しない「今」に在り続けるしかないのかな。

      「いま」とは時間のNOWではない
      時間がないから「いま」なのだよ

      つまり現象界を超えているということだ
      別の方にも伝えたコメントだが、

      5分前の光景を思い出してみる
      記憶が再生される
      つぎに目の前のコップを持つ
      その光景と5分前の記憶の違いを
      探してみる

      違いはないのだよ
      どちらも同じものだ

      なぜならば
      いま手で触れている感触すら
      リアルタイムではないからだ

      注目すべきは
      それら記憶を見ているこちら側だ

      あなたがそこを覗けば
      時間は存在せず
      ただ意識を向けた先に
      そのシーンが流れているだけであり
      連続性は錯覚であることがわかる

      あなたがやろうとしているのは
      幻想の中での探索だ
      それは同じ場所を巡り続ける
      問いの中を歩んでいる以上
      どこまで進んでも「問い」しかない

      ————————————–

      いまこのコメントを返信している私を
      私は見ている
      観照やら難しい理解をしなくとも
      誰もがその状態にあるはずだ
      「何かをしている自分を見ている」とね

      その思考、その体の動き
      本当にあなたがコントロールしてるのかね?

      いまここで起きているのは
      私とあなたとのコミュニケーションだ
      ただそれだけがある
      その循環が流れているだけなのだよ

      “私”も時間にも金にも困るときはある
      棒で頭を殴れば痛い
      なぜならそれらは幻想の中だからだ
      すなわち循環過程の途上にいるということ
      現実と対峙すれば
      循環を流していくことでそれらは解決される

      だが「覗いている私」は
      そこに”訪れたまま”でいるのか
      それとも一時的な訪問にするのか
      選ぶことができる

      つまりあなたの問いのレベルから
      私は離れることができるのだよ

      あなたも問いから離れなさい
      そこに答えはない

      奮闘している自分を見つけなさい
      それを見つけたときが「いま」だよ

  5. creeper より:

    こんばんは

    ご返信ありがとうございました。
    それと最新の手記「世界とあなたが逆転するとき 」
    も読みました。

    いろいろと疑問が出てきて質問しようと思いましたが、
    上の方に書いた「何かが存在してる!!」という
    一瞬のビックリ感、これをシンプルに感じていこう
    と思います。

    >奮闘している自分を見つけなさい
    >それを見つけたときが「いま」だよ

    ここの手記を読んで答え合わせをしようとしている
    マインドに注意します。

    ちょっとまた、私なりにやってみます。
    ありがとうございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      creeperさん

      生きるべき世界とは
      いまそこにある場所だけだ

      1秒前でも1秒後でもなく
      ゼロのいまここだよ

      常にそこに在りなさい

      手にした懐中電灯で
      照らされたものだけがリアルだ

  6. creeper より:

    そうか、自分がここに存在してるから2016年なのか。

    中心がここだから今2016年なんですね。

    熟睡や死もただの概念でした。

    本当に私は何もわかってないけど、それでOKです。

    • -自分- 涅槃 より:

      creeperさん

      よろしい、実に素晴らしいコメントだ。

      その通り、あなたが「いま」なのだ。それが2016なら、それはそうなのだよ。死なら死だ。

  7. creeper より:

    以前、自分さんに「無音な場所(私)に音が集まって
    くるんだよ」というお言葉を頂きまして。
    それをさっきハッと思い出しました。
    音だけじゃなくて視覚も嗅覚もすべて私が静寂
    だから存在できるんだなと。
    そうすると私はバッターじゃなくてキャッチャー
    しかあり得ないと思いました。
    全ての出来事は私に向かって飛んでくるだけ。
    このブログも私が見てるのではなくて、向こうから
    勝手に飛んでくるだけですね。

  8. 普通さん より:

    そんなにスラっと「死」を受け入れられる人ばかりにいつも驚く。
    見知らぬ赤の他人としてでなく目の前にあればパニックになってジタバタしますよ。虫だったそうですよね。肉体の死は明けの静けさ死んだような静かな精神の静寂と違うのに。

    • 普通さん より:

      >>どこに行き着くか?

      病院ではないですか?ふざけてるわけでなく。
      肉体の死を意識出来る時って大抵、入院中とか病院にいる時だから
      実際、そうでしたし記憶から怖いことを思い出して精神で戦うのでなく
      本当に死にかけたら大抵、病院内だから。
      その苦しみを後で思い出してトラウマとの格闘ならやったけど、どこにも辿りつきませんよ。全部、自分だと思っただけ。

      本当に死にかけ最中はたいてい息もたえだえで点滴なんか受けてますから。だからそんな「どこかに悟りのようなものに辿りつく」だけのために死の苦しみがあるなら「病院」なんて必要ない。

    • 普通さん より:

      本当に死にかけたら体が汗やらふきだして全身で抵抗するだけで潜り込む精神やら意識やらほぼ無いですからね。考えるというよりただ浮かぶことも早く時間過ぎてか、先生!程度だから。あと意識なくすので俯瞰も内観も。

      高僧の瞑想のような意識を研ぎ澄まして無我を目指す精神の静寂としての死を目指すと全く違う。本当に死んじゃうと思いますよ。大病した人らや事故した人や揉まれた人に達観してる人は多いけど死にかけただけで悟るなら皆、死にかけ中は120%必死に死に向き合ってるし死にかけた体験持つ人全員すべて悟ってる。
      覚悟決めて飛び込んだって、思い通りになったとか幸せになったって話もきかないし極一部の人が楽になったとか以前より直感が冴えたとか聞く程度で。

    • creeper より:

      もちろん死にかけたら病院に行くべきですし、
      事件に巻き込まれたら警察を呼ぶべきです。
      苦しみを突き詰めたらどこに辿り着くか?
      もちろん「苦しみ」に辿り着くはずです。
      1歩も進みません。苦しみしかありません。
      悟りもないです。
      私はようやくそこが見えてきたんです。

  9. creeper より:

    普通さん

    おはようございます。

    私も肉体の死に直面したら強烈に苦しむと思います。
    恐怖で泣き叫ぶかもしれません。
    そのような状況では、「抵抗する」か「苦しみに飛び込む」かの
    2択になると思いますが、一瞬で楽になる特効薬は無いはず
    なので、覚悟を決めて苦しみに飛び込むしか無いかなと。

    普段の生活でもそうですが、苦しいのがデフォルトなんですよ。
    そして自動的にその苦しみに抵抗するシステムになってると
    思います。

    そのシステムに気づいて覚悟を決めて苦しみに飛び込む。
    苦しみを追いかけて中に中に入っていく。
    どこに行き着くか?ですね。

  10. Wizkids より:

    それなら、自分さんとは?
    私の中から発している声なのですか?

  11. zechariah より:

    熟睡というものは存在するのでしょうか?
    私が直接知っているものは、眠りにつく前の状態、夢、世界が現れる感覚位で、熟睡という状態は知りません。
    直接体験が真実で他は概念に過ぎない、というのと同じレベルで、熟睡は概念なのではありませんか?
    時間、物質といった概念と同じく、外部の世界というモデルと自分の体験の辻褄を合わせるために捏造されたものではないのでしょうか?

  12. zechariah より:

    「体験そのものですらあなたではない。あなたは体験の背後にある不変のものだ」「熟睡中には体験のない純粋な真我だけが存在する」というような旨の事をニサルガダッタ・マハラジという方が述べられていました。
    熟睡を信じられない私にはとても理解できない話です。
    自分さんはどう思われますか?

    • 涅槃の書-自分 より:

      zechariahさん

      >直接体験が真実で他は概念に過ぎない、というのと同じレベルで、熟睡は概念なのではありませんか?時間、物質といった概念と同じく、外部の世界というモデルと自分の体験の辻褄を合わせるために捏造されたものではないのでしょうか?

      あなた自身で答えを出しているのに、そのあなたが自分の答えにはまりこんでいるようなものだよ。つまり外側に構造はないと言っているのに「外側に構造はない」ということを外側をみている。

      >熟睡を信じられない私にはとても理解できない話です。

      あなたのみていることがすべてだ。「そんなの信じられない」ということが、あなたの信じている世界なのだ。マハラジにせよ、 熟睡にせよ、それはあなたのなかで生まれているものだよ。

      よく喩えにあげることだけども、どのようなフィクション小説も、それを読んでいること自体はノンフィクションなのだ。

      自分があり、対象がある、とうふうに二元性をもとにすると堂々巡りとなる。あなたは「一元について考えている」のだ。この矛盾に気づかなければならない。ならば問いは崩壊する。

  13. zechariah より:

    返信ありがとうございます。
    ですが、よく分かりません…
    もう少し解説を願えますか?

    私の見ているものが全てなのでしょうが、私にはこの全ての中に、体験ですらない気づき、真我なんてものがあるのか、わからないのです。
    この一切、今、絶えず動き続ける一切の感覚が私で、他に何があるというのでしょうか。体験そのものですらない背景、見る人、真我?
    熟睡というものについて色々な人が似たような事を言っていますが、どうにも腑に落ちません。

    • 涅槃の書-自分 より:

      zechariahさん

      >私の見ているものが全てなのでしょうが、私にはこの全ての中に、体験ですらない気づき、真我なんてものがあるのか、わからないのです。

      「〜なんてものがあるのか」ということをあなたは考えているのだよ。

      その体験でないすら気づきも真我とやらも、すべてあなたの概念だ。 それがあなたにとってあろうとなかろうと、それは「あなたが考えている」にすぎない。

      つまりすべてが概念なのでは?という疑いの根源にある、ある種の期待感でさえも概念なのだ。

      いつも伝えていることだが、こうした概念を浮かべている「背景(=それ、神、愛、不死)」は存在しているものではない。 最後にそこに残っているものだ。

      たとえば見上げる空のように、それはそこにあるのではなく、そこには「何もない」のだ。だが雲や大地があるからそれは「ある」ことになる。

      つまりすべてが取り払われたときに、それはなかったことが判明するといえるが、そのときは「自分」も取り払われているゆえに「何もなかったこと」だけがここに残る。

      その「何もなかったこと」を知ることはできない。無論、知る者がいないからだ。

      ここから逆説されるのは、あらゆる概念を生み出している自分が「すべての概念」なのだという実態であり、つまりそれが「すべてあなたのなか」だということにある。

      だからどれだけ神秘的で崇高な事柄であろうと、それについての思考的なアプローチしかできない。というより、そこには思考しかない。ゆえにあなたはどれだけ悩んでも、どれだけ私から返答を聞いても、やはりそれは問いとして漂い続ける。

      ならば、聖も俗もすべて同一であることがみえてくると思わないかね。世界遺産として収められている仏典も古本屋でワゴンセールされる1円の漫画本も同じものだ。善も悪もなく、増えるも減るもない。

      それらに意味をみて、そのなかに入り込めば(考えれば)それは善であり悪となる。それが人間の世界なのだ。

      だからいいかい。

      すべてが概念だが、「なぜ概念がここにあるのか」、それを問うことだ。 ならば善と悪のなかを歩きながらも、あなたは人間を超える。なぜならその問いが「疑問そのものを疑問する」からだ。

      つまりその疑問を抽象化させることがが重要なことなのだ。あるひとつの問題についてなぜそれを問うのか、つまりそれは「現実世界をそこに自ら見出している」のであり、本書はそのことを気づかせるために特殊な書き方をしている。

      揺れた波の上にいるから世界が揺れてるように見える。それがあなたの思考世界だ。つまりあなたが「そのように考えている」から「考えられる世界がそこにある」ということだ。

      だからこの話に無意識に「反応」してすぐに返信をしてくるのではなく、話をゆっくり消化させてから「返信するべきかについて自分自身を洞察すること」だ。そうでなければまた同じ話が私から戻ってくるだけだ。あなたは堂々巡りとなるだろう。

      まずあなたが知るべきは「なぜ自分はそのように考えるのか」という思考のプロセスであるのだ。

      だがありがとう、この話は大事なポイントであるので、また手記にまとめておくよ。

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