あなたがあなたにしていることをやめるだけ

あなたの日常とは何だろう?
見慣れた光景、いつもの通り道
色褪せた退屈な日常、

「このままじゃダメ」
「何か変えたい」

そればかり思う日々

あなたの本質とは
その日常の光景そのものである
あなたが日頃
「自分」と思っている以外のすべて
本当のあなたの姿なのだ

ではその肉体のあなたとは一体何か?
それは「現実というあなた」を
“見るため”のあなたである
つまりあなたはあなたを常に見ているのだ

見たり、聞いたり、感じたり
あなたはあなたをいつも経験している

どこまで突き進もうが常にあなたの中だ
外を歩くときの足音、足にかかる体の重み
褪せたアスファルト、錆びたフェンス
自転車で通り過ぎるおばちゃん、風に揺れる木の葉、
風も音も温度もすべてがあなただ
そのあなたを体験するのがあなただ

体験しなければ
あなたは自らを知ることができないから
あなたはあなたを生んだ
だが「知る」も「生んだ」も
言葉の都合、便宜、
つまり人間としての感覚であり
それらの事象すら単なる「あなた」だ
そこに意味はない

だからいずれ
「あなたを見るあなた」という分離が
消えていく
もともとひとつだからね

何も変えるものなどないし
変えられるものなどない
「最初からあるもの」しか
あなたは知ることができない
あなたは知らないものは
想像すらできない
それはどういうことか
あなたがすべてだからだ

すべての物事を違う方向から見れば
人間や知識、言葉などの限界が見えてくる

目の前に一冊の本がある
そこには本文が書かれているが
文字から意味を受け取ることをしなければ
ただの紙とそこに付着した汚れのようなものだ
では科学とは何なのだろう?
幸や不幸とは何なのだろう?
そのあるがままを受け取れば
苦しみという概念すら単なる模様となる

ただ「あなた」がそこにあり
あなたはそれを見ているのだ

だからありのまま、ただそれだけなのだよ

許せない人がいるなら
あなたはその人から許されないだろう
だから苦しいのだ
許しなさい
そうすればあなたも許される

許そうとするのではなく
許せないということをやめるだけだ
つまり「まあ、いっか」だ
それだけであなたは許される
あなたはあなたから解放される

宇宙の法則とか鏡の法則とか
いろいろ名付けられているが
それらは単に
あなたがあなたにしていること
やめるだけのことだ

 

 


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