第六の鍵

0320
今回は究極の鍵のひとつだ
鍵にはこう刻まれてある

「あなたは何をしてもいい」

そう、何をしてもいい
このシンプルな意識の置き方が
あなたの制限の扉を開いてしまう
だがその扉は鋼鉄製で重く
開くためには慣れが必要となるがね

何をしてもいい─

それは「やりたいことをやる」
というのではない

そうではなく
“常に何でも可能だというスタンス”、
“私は何をやっても全然構わない”
そういう境地に入るということだ
よくスピリチュアルでいわれるような
「やりたいことをやる」とは
希望を見てしまっているゆえに
制限の檻の中だ

望みを一切持たず
「私は何をしてもいい」
そういうエリアに入るのだ

道ですれ違う人をじっと見つめてもいい
目を反らす必要はない
あなたの自由だ
何をしてもいい
あなたも彼も実在しないのだからね

いつもなぜ目を反らすのだい?
「相手の心境を考慮してる」
とか言うのかね
明日じっと観察してみなさい
肉体が「見ること」を望むなら
振り返っても見てみなさい
すべて自分が作り上げていた
世界だということが暴露されるだろう
相手からではなく
自分の中から湧き起こるだろう

そこに入れば途端に世界が変わる
意識が後ろから全体へ広がっていく
直立している足が
地面にのめり込んでいく
肉体の重みを実感する
何でも自由にできるゲームの世界に
立っていることに気が付く

己は何かを体験するための媒体であり
思考はなく研ぎ澄まされた感覚のみ
醒めた意識で
あなたはスタンバイされている
その状態こそが究極なのだよ
難しいものもなく
手強いものもない
それらは確かにそこにあるが
ただそこにあるだけとなる

そこに人間的な分裂はない
あなたはいつも
「あれか、それともこれか」と
“あなたではない何か”になろうとする
今日よりも明日だとか
この問題を克服せねば、だとかね

犬は犬でありバラはバラのままに在る
だが人間は人間であることができない
その分裂性が制限の檻を作り出す
つまり不幸の世界に染まる

早めに気付いておきなさい
何をしてもいいのだよ
なぜならばあなたのその世界には
実のところ、

あなたしかいないのだから

 


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  1. aratame より:

    昔の記事だけどコメントしちゃお!何しても良いならいいよね笑

    道ですれ違う人をじっと見るをやってみたけれども、どうしても相手がこっちを振り返ると目をそらしてしまう。反射的に。瞬時に思考が過去の経験とか未来の予測とかを勝手に弾き出して判断してるみたいですね。
    そんな人のことジロジロみたらあかん。不審者やんって。やってみると意外とムズイすわー。そんだけ自分に枷をはめてんでしょうね。

  2. 涅槃の書-自分 より:

    aratameさん

    それは相手を見ているつもりが、自分を見ているからだよ。「自分が見える」ということは、あなたの意識は他者という存在に注がれているということだ。つまり他者を作り出している。「自意識過剰」の意味はこれにあたる。

    己に意識が向けられているとき、自分を見ることはできない。

    この話をよく理解してみることだ。ならば正しく見ることができるようになる。

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