仏像と石ころ

石でできた仏像や地蔵がある
そしてその傍らに転がる石ころ

さて、何が違うのだろう

あなたは地蔵に手を合わす
だけども石ころには手を合わさない
なぜだい?
どちらもただの石だ

あなたが地蔵に
「これは崇高なもの」と
意味を与えているだけのこと

あちらはよくて
こちらはよくない
そう意味を与える
だけどもどちらも同じものだ

地蔵のようなフォルムにカットすれば
崇高になるのかね
鉄の塊も地蔵カットにすれば
たちまち崇高な鉄のできあがりだ

地蔵を踏みつけることと
石を踏みつけることに違いはない
どうせならば
石ころにも手を合わせてみたらどうだ?
その方がより真理に近づける

 

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では本題に入ろう

釈迦やイエス、老子など
歴史上多くの覚者と呼ばれる人物がいた
だが彼らもあなたが「覚者」と
意味付けしているに過ぎない

ただの人だ

あなたが精神世界に興味がなければ
ただのつまらない人々に映る
ギターも弾かないし
ファッションセンスの欠片もない

あなたが「これは素晴らしい人」と
意味付けすることで
あなたにとってのブッダは光を放つ

だが繰り返すけども
それはただの人だ

そして「人」も人という意味付けをしている
だから人ではない 石もそう
それらは、ただの「何か」である

もしあなたが苦から脱したい
つまり幻想世界を幻想と見極めたいのなら
そうして釈迦やイエスを
自由に生み出せばよいだろう

しかしすべては「あなたの中」の絵空事
そういうことがわかり始めたとき
釈迦を”釈迦”とできなくなる

なぜならば
それはあなたが作ったものだからだ
あなたが意味を与えた教師
それが釈迦だったことを知る

 

 


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  1. ワモノ より:

    こんばんは
    涅槃の書に辿りついて初めて読んだ手記からコメントさせて頂きます

    今年もあと3時間を切りましたね
    私にとって今年一番の奇跡はこの涅槃の書に巡り会えたことです
    今年は大変お世話になりました
    ありがとうございました

    皆さん良いお年を

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      こちらこそありがとう。最初に触れたものがあなた自身を現している。良い記事がスタートだったようだね、これは神の世界を意味するものだよ。すべてはあなたの中にある。

      だからいつもハッピーでありなさい。世界はその通りとなる。よい1年を。

  2. munetoshi より:

    教えて下さい。
    では、全て幸福と捉えればいいですか?
    例えば、家畜や魚などは、何の目的で存在しているのでしょう?私達に食べられる為ですか?よく、スピ系で悪い事をすれば返ってくると聞いた事があります。
    私は生き物(家畜や魚)を殺して食べるという行為に少し罪悪感を最近覚えてしまっています。何の罪もなく殺され私達に食べられる。これは悪い事なんでしょうか?それに、もし悪い事なら私達は罰を受けるべきなのでは?
    そんな事を考えてしまいます。
    他にも、私は他人にムカついた時、思わず殴ってやりたいと思う事があります。他にも愚痴も言いたいし、文句も言いたいです。でも、そういった行為(喧嘩、文句、悪口)は、自分の中では悪い事だと思ってしまうので中々口に出せませんどうすればいいでしょうか?
    自分を解放して、殴りたい時は殴る。
    愚痴を言いたい時は言う。
    文句を言いたい時は言う。
    それは、やっていいんですかね?
    もしくは、全ての行動を「悪」と捉えるのではなく「善」と捉えれば、何でもやっていいのでしょうか?
    教えて下さい。

    • 涅槃の書-自分 より:

      munetoshiさん

      まずあなたがそのように質問をしている時点で外の物事に囚われている。だからその問題のなかで何を解決しようとしたところで、あなたは問題から抜け出ることはできない。

      たとえばある人が自分の部屋の写真を見せたとしよう。一見したところ、ごく普通の部屋だ。あなたはそう思う。つまり完全な状態としてそれは映し出されている。

      だがその人はいう。「足りないんですよ、あれもあれも。」

      聞いてみると、そこにあるはずの大きなぬいぐるみや、窓際の置物がないという。

      苦悩というのは、そこに完全性を「求める」ときのみ起こる。つまり空白を自ら作り出し、その穴を埋めようとすることが苦悩だ。そしてその穴埋め作業に可能性をみる。ゆえに方法を見つけようとする。

      あなたがその人の写真をはじめてみたときのように、それは完璧だった。そのままで完璧だったのだ。だが足りない足りないとわめくその人には、その写真が穴だらけに見えている。

      同様にあなたの暮らしはそれと同じで穴だらけなのだろう。それを埋めようとこうして疑問している。だが埋まることはない。なぜなら最初からそれはどこにも空白のない写真、完璧にすべてはフラットであるからだ。

      いつも話していることだが、その困惑の世界から外へでなければならないよ。世界のなかにいる限り、いくらでも謎だらけとなる。

      あなたの質問に対して、いわゆる自己啓発や道徳的な現実世界としての返答はいくらでもできる。そんなものは私に聞くよりも探せばもっと専門的な本や情報がでてくる。だがそうしてありもしない穴を埋めたところで、また見えない穴を作り出すのがオチだ。

      あなたがこのコメントから学ぶのは、その疑問はどうやったら解決されるのかではなく、なぜその疑問がそこにあるのかという離れた視点を持つということだ。

      異性にしろお金にしろ、人間関係にしろ、問題と正面から向き合うというのは、問題のなかで溺れることじゃない。ギャラリーで絵画を眺めるように、離れた位置からあなたの心の中で観賞することにある。

      私のこの言葉はあなたの理解によりその意味が変わる。それは承知のうえで書いている。だから私が何を伝えようとも、あなたが固執を捨ててその問題を超えること(いまよりも理解を高めること=高い視点に立つこと)が重要なのだよ。

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