世界に応答する

世界に応えるとは
他人の要望を聞くということではない
だが要望は聞けばいい
要点はそこじゃない

あなたの心がどこにあるかのこと

誰かの手助けをするとき
あなたは”自分を守ること”で必死だ

こうしたらこの人は助かるだろうか?
こうしたらこの人は喜ぶだろうか?
こういうとき、自分はこうであるべきだ

そんなことばかり考えている
これは求めていることと変わらない
人を助けているつもりでありながら
あなたは自分をフォローし続けている

人との関わりは
多くの学びを与えてくれる
なぜなら人と関わるとき
とても深い幻想を起こすからだ
それに気が付くことができる

世界に応えるとは
いまそこで見えるものを
「見る」ということに他ならない

そこに見えているものを
あなたはちゃんと見ているかね?

例えば異性とすれ違う
あなたは気になっている
気になるがゆえに
違う方向を向いたり
チラっと少しだけ見たりする
その時の自分の心理に注意しなさい

気になるならなぜまっすぐに見ないのだろう
あなたはいつもこれの繰り返し

「じっと見たら変な人に思われるかもしれない」
あなたは自分の思いの中から
抜け出すことはできない
自分で作り上げたというよりも
それは外側に操られた結果だ
あなたは関わるすべてに操られている

それが幻想だ
もし変な人だと思われたならば
それはそうなのだろう
だがそれは世界の起こりであり
まだ起こっていないことに意識を向けるのは
影を相手に戦っていることと同じ

つまり
「どう見られているかを見る」のではなく
「あなた自身が見ているかどうか」なのだよ

先の手助けの話もそう

あなたはその人をまったく助けていない
自分を助けることでいっぱいだった

あなたが何時間も費やして
その人の世話を続けた
精一杯の世話だ
だが果たしてその彼は救われたのだろうか?
彼が”世界に応える人”ならば
つまりあるがままに物事を見る人ならば
彼にはあなたがこう見えている

「こいつは自分を助けている
目の前の私は見えていないな」

彼にとっては別に構わない
世界中の人々がそういう幻想に囚われている
それをいつも見ているからだ

だが彼があなたに
「あなたは自分のことばかりだね」と言えば
たちまち、あなたは腹を立てるだろう

「ここまでやってるのに、なんてこという人だ」

このようにあなたは自分の手助けで一杯なのだ
いわば偽善と変わらない

これは本書のいう
「自分の為に生きる」とは意味が違う
悲惨なものだ

世界に応える、とは自分自身を生きるということ
そこに見えるものを見て
そこに触れるものを触れ
そこに聞こえるものを聞く

あなたは人助けをするとき
“人を助けよう”とする
それがそもそもの間違いだ

人は実在しない
そこにいるのはあなたの心の象徴

つまり名目上、それが「人助け」だろうが
「バットの素振り」だろうが
そこにあることに
ただ応答するだけなのだよ

世界が何かを示し、それに応えるだけ

とある殺し屋が
ターゲットに近づく
何の躊躇もなく目的を遂行する

ダメージを負おうが
状況が危険だろうが
そんなものは関係ない

ただ行動規範に従い
その通りに動く

世界に応えている
それは彼が動いているというよりも
世界そのものになっているということを
意味する

それがサマーディ

繁華街で意識が向くままに
すれ違う人々を見てみなさい

あなたが世界に応答するとき
目はキョロキョロしなくなる
猫が何かを見つめているように
ただ一点を追い続けるようになる

意識は研ぎ澄まされ
一点の集中に注がれる

そのとき、意識が内側に向いていることが
わかるだろう

「私が見ている」

それがはじめてわかる
つまりいつもあなたは
「自分が」見ていなかった

意識はあちこちに飛び
周囲に惑わされ
そうした外部の目で
“見さされて”いた

そこにあるコップを持ち上げるように
椅子にスッと腰掛けるように
人々を見てみなさい

世界が見せようとしているものを
そのまま受け取りなさい

人が話しているとき
話の内容を聞くのではなく
「話していること」を受け取りなさい

あなたは世界が見せようとしていたものを
無視し塞ごうとしてきたのだ
だから外に意識を掴まれ
振り回されてきた
それをやめよう

世界があなたなのだ
あなたはあなたのメッセージを受け取ればいい
それがあなたが生きるということ

一匹の虫になりなさい
世界のメッセージを受け取り続けなさい
いまこの光景は何を伝えようとしているかと
それを探りなさい

すぐにわかるはずだ

それに応えることが
循環に乗るということであり
本来のあなたという「様子」のことだ
世界が光であり
それに背けば、当然闇となる
そうして人々は暗闇の中で格闘している

人助けをして
心のないことを言われ
理不尽を感じる

実にくだらない

見る見る見る!だ
それが自由だ
娯楽も刺激もいらない
そこが最高の場所なのだよ

意識が外側に囚われるのは
癖みたいなものだ
内側に留めておけるよう
習慣付けなさい

 


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コメント・質疑応答

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  1. 素人 より:

    相手から自分がどう思われているかという自分を見て萎縮してしまう。
    ナンパなんてまさしくそうですね。
    自分がどう在るかという境地になるにはどうしたら良いんでしょうかね。
    自分さんは素敵な女性を見かけて普通に口説いていらっしゃると思いますが、自分をどう在ると捉えていますか?
    自分さんも自分がどう見られているかを気にされていた時期もおありなんでしょうか。

    • 自分 -涅槃- より:

      素人さん

      私はいない
      それを知っているよ

      あるのは
      目の前に広がる光景だけだよ

  2. より:

    自分と言う檻から出たいのに、コンビニの店員はいつものマニュアル対応である。
    私が客としてのマニュアル対応だから?
    じゃあ全裸で、「ズンドコベロンチョ!ズンドコベロンチョ!」と叫びながら買い物をすればいいか、間違いなく対応は変わるだろう。

  3. 五月雨祭 より:

    雑誌の懸賞でコメントするネタが思い浮かばない時に「雑誌が教えてくれるさ」と丸投げして読んだら本当に教えてくれて当選したのを思い出しました。
    相手という世界だろうと自分だろうと自由にすればいいのさというネタばらしですな。
    やりたい事を空気吸う事か願望という暇潰しゲームにするかそれだけの事です。

  4. 爽やかハンサム より:

    夢の中で、夢の中の主人公として、夢をどうにかしようとしている「私」。

    これは、どう考えても大変だ。

    全てが「私の思い」とは関係なく進んでいくので、「夢の中」では「思い通りにならない事」ばかりとなってしまう。

    しかし、「私」がリアルに体験していると感じられることは、夢を創っているモノには出来ない。 
    (そちら側は「体験されている」になるのか?)

    だから、「私」は「夢の中でわたしが創った先の分からない遊園地のアトラクションを楽しんでいる」としてみる。

    後は、
    そのアトラクションをダイレクトに楽しんでいるのか、
    よそ見をしているのか。
    のどちらかになる。

    ダイレクトに楽しむ「私」は、安心して「ここにあるもの」をプレイして(応えて)いる。

    よそ見をしている「私」は、「そこにないもの」を創り出してそれと戦ってクタクタになっている。

  5. 爽やかハンサム より:

    「私」は、わたしに応えている。

    「応えるもの」と「応えられるもの」。
    これでゼロ。

    しかし、応えなかった「私」は隙間に残る。
    だから事あるごとに「私」が顔を出してくる。
    これがカルマか。

    この「私」はさらにコントロールしようとする。
    いや、「私」がコントロールそのものだ。

  6. 爽やかハンサム より:

    「私」の名は「コントロール」。

    だからコントロールするのだ。

    楽しい人生。
    思い通りになる人生。

    しかしそのうち「私」は自分がやったコントロールと出会うことになる。

    「私」が、「コントロール」にコントロールされてしまう。

    じゃあ「私」は、もうコントロールを止めて何もしないでおこう。
    それもコントロール。

    コントロール自体が、元々「そこにないもの」。

    「私」が「コントロール」なのだ。

    だから「私」が世界に溶けた時、コントロールも無くなる。

    その時、世界は本当の姿を現す。

  7. 自分 -涅槃- より:

    鯤さん
    五月雨祭さん
    爽やかハンサムさん

    まず、自分の中に意識を灯すことで
    他者が他者ではなくなる

    やってみれば瞭然だ

    日頃我々はその対象に意識を引っ張られてしまう
    つまり、自分の中に存在が「不在」となり
    意識という明かりがそこにないので
    文字通り「闇」となる

    その闇がエゴだ

    不安や憎しみ、理不尽、
    そういったものは
    妄想が発端となる

    なぜ妄想というそこにないものを
    作り出してしまうかといえば
    真っ暗だからだよ

    部屋に明かりを灯しなさい

    すべてが見える
    見えれば妄想は起きない

    そうして自身の中に意識の光を灯すことで
    それまで妄想として作り上げていた「他者」が
    そこでただ動いている光景のひとつとなる

    簡単なメカニズムだよ
    まずは、自身に光を宿すこと

    それを定着させることだ

  8. より:

    自分の中に意識を灯すとは、具体的に言うと、目の前にあるものを見ると言うことですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      ひとつメソッドを送ろう
      いまそこで視界に入るなにか
      それを見てみる

      ではその見ている何かを指差して
      あなたの方にその指を向けなさい
      つまりその何かが
      あなたを見ているということだ

      その瞬間
      あなたの視界はその対象に固定される
      そのとき意識がどこにあるか
      チェックしてみなさい
      いつも向こう側にあったものが
      自分の中にきているはずだ

      あなたがいつもしている対象への解釈、
      知識の引き出しのようなもの
      それらが捨てられ
      ただ「見ていること」が純粋に起こる

      見えるものは、見えるためにある
      この意味がわかるかもしれない

      これが理解できるとき
      世界とは何なのか、
      あなたは実感することになる

  9. より:

    昨日同僚が片付けものをしていたところ、物音をガンガンたてるので、何か怒っているのか?私に言いたいことでもあるのか?
    と、ドギマギして聞いていたのですが、話してみると機嫌良く、単に片付けに熱中していただけのようだった。
    私は正しく相手を見れておらず、闇の中で妄想していたことになる。

  10. より:

    『Lucy』見ました。
    難しいこと抜きに爽快で面白かった。
    ルーシーもさることながら、コリアンマフィアの親分も肝が座っていてGTDでも実践してるんじゃないかってくらい、タスク処理のスピードが速い。
    脳の20%とは言わないが、15%くらい使えたらと思いました。
    でも、ルーシーも数々の問題を解決しても解決したことを起点に新たな問題が生まれているわけで、問題が本質的に解決されることはなく、問題が生じると言うことが生きていると言うことなのかもしれないですね。

  11. より:

    自分さんに直接メールすることは出来るのでしょうか

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      メールはPCならば上部の問合せ
      スマホならばMENUから問合せだ

      だが現在毎日40通近いメールを頂いており
      なかなか追いついていないのが現状だ

      生死をさまよっている人々の
      緊急を要するメールが多いものでね

      しばらく返信できないかもしれないが
      それでも構わないなら待っているよ

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