悪の華

あなたがなぜ不幸かといえば
「悪」ではないからだ

だがその悪とは
他者を傷付けたり利用したりするような
利己的な悪意のことではない

あなたの「保身の影」のこと

エゴにはいつも影ができる
あなたはそれを自分の悪だとする

その悪とやら─

それは本当の悪ではない
あなたは「悪」だと思って
忌み嫌っているがね
これが不幸の種
あなたが自由を得られない種となる

よくある話だ

たくさんの豊かさに包まれて
幸せになりたい
その手段として金儲けをしようとする
だがあなたは思う

「これっていけないことじゃないのかしら」

あなたは自分が何かをするたびに
そこに罪悪感を感じている

それは社会に対する悪ではない
そこにあるのは
エゴというあなたを縛り付ける鎖
自分自身に対する戒め
悶絶するマゾヒズム

あなたは
「自分はこういう人格だ」という旗を掲げ
その下であらゆる方面に罪悪感を抱く
それが大きな勘違いを生み出した

あなたは食べるために生きている
何かを得るために生きている
どこかへ向かうために生きている

これらが不幸だ
この間違いがわかるかね?
このせいであなたは不幸になっているのだよ

いいかい
生きるために食べるのだ
生きるために得るのだ
生きるために歩くのだ

そうして生きるとき
一切の不幸は吹き飛ばされる

生きる、とは
よくいわれるような「貴重な価値」だとか
そんな寝ぼけた意味ではない

「生きること」と書けばあなたは
生き延びることと連想する
だがそれは希望と絶望の枠内だ
そうではなく
そこに生きていること、
それに気付きなさい

「生きる」があなたの宇宙、意識の中心点
すなわち「生きる」とは
行為や事象のことではない
「それ」の名、つまり「存在」のことだ

「食べるために生きる」から
「生きるために食べる」へ在り方を変えると
意識の位置が変化していることに気が付く

やってみなさい

「食べるために生きてきたが
これからは、生きるために食べる」

何かが変わったことに気が付いたなら
あなたは「存在」に戻ったのだ
おかえり

そうしてあなたが宇宙の中心に立つとき
視点の先に小さな隙間が見えることがある
理由を探してはならない
探せばとたんに見失う
なぜならば
存在そのものが理由だからだ

それがマハラジのいう「私は在る」だ
だがその「私」は日頃のあなたではない
宇宙そのもの
意識そのもの

肉体は机に置かれたペンと同じ
ペンがそこから消えても
あなたはそれを知っている
肉体が滅びようがお構いなしに
私は在る

意識の位置の変化で見た光景が
自己観照のエリア
つまり「あなた」ではない
あなたではない「あなた」に
あなたは触れている

「生きるために食べる」

これは他人を使おうとせずに
「自分」を生きるということだ
自分が生きるのではない
自分を生きるのだよ

人類が滅亡した世界にいるとしなさい
殺人鬼が目の前にいるとしなさい
あなたの行動はすべて
生きるためのものとなる
そのときあなたは「いま」に在る

期待せず
求めず
自分を生きる

そうして意識の中心にいれば
必要なときに人は手を貸してくれる
ならば借りればいい

モノが
社会が
お金が
向こうからあなたに力を貸してくれる
世界があなたをサポートする
その純粋さに悪意などないからだ

あなたにあった「悪意」とは
単なる”後ろめたさ”だ
エゴはそれを悪だとしてきた
目を背けてきた
自分の影を認めたくなかった

つまりその悪意とはエゴの別名なのだよ

先の例でいえば
金を稼ぐために生きれば
あなたは不幸になる
当然不幸になる
あなたの人生は
何かを追い求めるだけの薄っぺらで
失う不安と焦りだけのものとなる

そうではなく
「生きるために稼ぐ」だ

幸せを探し求めてはならない
探す場所にそんなものはない
あるのは不幸だけだ
不幸があるか、ないか、
そのどちらかだよ

だから幸せになりたければ
何かを求めて生きることはやめなさい
何も求めなければ
そこに幸せがある
あなたのその足下に埋めてある

エゴの影
罪悪感
それらを悪とするならば

悪の華になればいい

エゴが忌み嫌う華を
咲かせばいい
そうして大地に立ちなさい

見続けてきた悪夢から覚めなさい

あなたの”悪の華”は光輝き
見たことのない美しい花になる

生きるために何かをするとき
世界は自分のためにあったのだと
思い出すだろう

 


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  1. あいうえお より:

    なんとなく、中に浮いているような気がします。
    ずっとそこにあったような、ないような。
    それを見続けてきたような、目をそらし続けてきたような。
    不思議な感じがします。
    全てを愛しく思うような、空っぽのような。
    一見矛盾しているようですが、確かにあらゆる矛盾が同時にあることを感じます。
    そのままにしておけば良いのでしょうか?
    漠然とした不安感が謎の安心感と共にあります。

    • 自分 -涅槃- より:

      あいうえおさん

      よろしい
      そのままにしておきなさい

      意味を求めてはいけない
      求めると見つからない
      求めなければ
      いつもそこにある
      というよりも
      いつもそこに「あった」となる

      安心感とは何かね?

      例えば大金が入ったら安心だなとする
      だが今度はそれがなくなる不安が起こる

      愛する人がいたら満たされるとすれば
      その人がいなくなる不安に襲われる

      安心とは不安とワンセット
      幸福とは不幸とワンセットだ

      つまり安心とは不安のことであり
      幸福とは不幸のことだ

      ならばあなたのいう
      謎の安心感とはなんだろう

      根拠のない安堵感
      意味も理由も持たないそのエネルギー
      それが至福というものだよ

      探してはならない
      探せば
      それはネガティブの質を帯びる

  2. せいじ より:

    探したらみつからない、

    頑張っても、全然だめ、

    ただ黙って「それはそれ」

    このゲームにはコツがあるね

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      そう、コツがある
      だがコツを掴むためには、
      それなりの努力が必要だ
      自転車に乗るようにね

      1分でいいから
      「何もしない」をやってみなさい

      この矛盾を超えてみなさい

  3. さいとう より:

    昨日読み始めました。
    すごく良いヒントをありがとうございます。
    頭で考えたり、頑張ったりしたら逆効果と思いますが、楽にして良いのだと思えるようにはなれそうです。

    • 自分 -涅槃- より:

      さいとうさん

      人は独自の意味付けで世界を見ている
      自分自身に対してもそうだ

      では「意味付け」をやめたらどうなる?

      「意味付けしない」という遊びをやってみなさい
      何に対しても意味づけしない

      自分にも物事にも
      あらゆるすべてに意味付けせず
      「起きたままが、起きたのだ」としてみなさい

      あなたはそれでジャンプできる

  4. 普通さん より:

    上がってまいりました…。

    自分さんが釈迦や仏に見える時とデューク東郷にみえるときがある(笑)。

    ゴルゴ13は実は読んだことは無いんですけどね。
    よくコメディネタには使われてたけど。
    本編は劇画すぎて読む気が起こらない。

    漫画の孔雀王は若い時、友人からヤンジャン借りて読んでたけど。
    孔雀王に悪魔がついてきたのは、哀しみが解ったかららしいですよ。
    ケンシロウか、おまえはと突っ込みながら読んでた学生時代を思い出します。悪の哀しみは解らないが世間一般の価値観と共感力やら趣味嗜好にそれほど大きなズレはないから。いまいちパッとしない泥臭い自分のほうが怖い強敵(強敵と書いて友と呼ぶらしい)に巡りあわなくていいかなぁとアホ大好きとか思う時もあります。

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