懐中電灯で照らした先

あなたにとって最も大事なこと
太古からの教えも
現代の自己啓発から精神論、

形而上学やら
スピリチュアルなメソッドも含めた
様々なテクニック

それらが何を言っているのかといえば
「視点を変えなさい」
ということだ

ただそれだけなのだよ
あなたが変われば世界は変わる
つまり世界は良いも悪いもなく
あるがままにそこに在り
あなたの物の見方ひとつで
いくらでも違って見えてくる
だから積極的に世界とやり合うべきだ
どんどん関わりなさい
宝箱の中をくまなく探るようにね

「視点を変える」の本質は深い
見方を変えると
見方を変えたという世界も変わる
ただ「見方が変わる」だけではないのだ

あなたが視点を変えるとき
意識の向かう場所が変わる
つまり作られる世界が変わるのだ

視点が変わる=世界が作り変わる

あなたの生とは
すべてあなたの主観であるがゆえ
あなたの視点が変われば
その生そのものを変容させる
これが無限といわれる所以だ

元禄時代の美人も
宇宙飛行士も
彼らの人生をテレビで見るとき
すべてあなたの中の人達となる
あなたの認識の中にすべてがあるのだ
彼らの事細かい日々の出来事すら
あなたの手中だ
つまり彼らはあなたのことなのだよ
お釈迦様の手のひらの上とは
よくいったものだね
無論、釈迦とはあなたのことだ
その中の人々もすべてあなただ
あなたは元禄美人であり
そしてガガーリンだ

しかしこれが多くの人には難しい
目の前に問題があれば
苦悩を感じてしまう
苦悩を取り除くことにエネルギーを費やし
いつも疲れ果てている

そうじゃない

あなたに不幸があるのならば
その不幸を住処にしなさい
その王国のキングになるのだ
それがすべてなのだから

何が起ころうと
どんなに悲惨で無残で不幸であろうと
そこから出ようとするのではなく
そこに残るのだ
その不幸があなたなのだ
そこに入りなさい

右を見る
すると右にあった風景が見える
マインドはそう解釈する
それが限界だ

だがあなたの主観があなたの世界である
右を見た瞬間に
右が作られているのだ
つまり右の風景など
もともとなかったのだよ

見たら見える、とは
見るという行為
つまりあなたの意識を向けた先には
必ず何かが作られるということだ

これが与えるものは与えられるという
イエスの言葉
あなたが見れば
見えたものがあなたに贈られる
だからどこにも「隙間」がない

あなたがとても寛容に
そして積極的に世界に取り組んでいったら
どうなるだろう
世界は同じものを返してくる
あなたの見るものだけが
世界に現れる

例えばずっと流れていたBGM
あなたはいつも聞こえているわけじゃない
耳を向けたときにだけ
そのBGMは存在される

真っ暗闇で懐中電灯を照らしたようなもの
懐中電灯があなたの意識だ
向けたところだけ見える
壁の落書きがLightの範囲だけ浮き上がる

だがそれは
そこにあったものが見えたのではなく
あなたが照らしたところが作られたのだよ

五感とはあくまで反応という概念の上に
成り立っている

だから「五感があるから」ではなく
あなたが作ったものが最初にあり
その解釈として五感があるのだ

言ってみれば
視覚や聴覚などはすべて嘘である
ただそのようにあなたは教えられてきた
それが前提にあるとして
その世界の中で生きているとしてきた

だから大きな勘違いをする
あなたは圧倒的な世界から
いつも何かを受け続けているとしている

確かに人間という肉体への憑依
その檻から見ればそのようになる
だが五感が単なる後付けで
説明としての表現に過ぎないことを知れば
あなたの生は一変するのだ
圧倒的なのは
あなたのほうだ

スマートフォンを触る指の感触
そして動かしていると思っているその指さえ
すべては自然現象なのだ
それを見ていることもありえないし
指先の感触すらも
物理的、医学的な「説明」という嘘を
暴くことができる

あなたが不幸とするその世界
そこには不幸などなく
そして幸福もない

ただ漠然と存在しているのだ
ならばあなたは
その「不幸の王国」を治めればいい
そこに君臨すればいい
不幸の国の帝王だ
それでいい
それが最高なのだよ

この理解はその現実を瞬時に超越する
理解とは視点が変わるということ

部屋にいても東京にいても
地球にいても銀河にいても

すべて同じ
部屋にいるならば
隣町の友達とは離れているが
銀河にいるとするならば
どこに寂しさがあるのだろう
みんな同じ場所にいるのだ
同じ空気を吸っているひとつの生命体

これはファーストステップ
このようにして「視点を変える」を備えなさい
いずれ誰もが浴びている大気のほうこそが
生命だったのだとわかるようになる
大気とは光のことだよ

だからどんなに偉そうな人が
「ノーマインドだ!
瞑想こそ、無の境地」などとしたところで
風俗店に予約する中年男性と同じ

人間という枠組みの行為である以上
外部に起こる行動に目を向けていれば
同一のレベルなのだよ
同じ視点ということだ

脳内への安堵な刺激も
性感マッサージも
なんの違いもない

そうではなく
瞑想する修行僧や
風俗通いのオヤジを察知する
あなたの主観がどこにあるのか

そこを探りなさい
みんなを照らしている光であること
そこに気が付くことだよ

それが視点を変えるという法
つまり天上天下唯我独尊である
あなたが生命の源なのだ

あなたしかいないのだよ

 


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