幻想から目覚める

この世界はすべて夢である
棒で頭を殴ってみなさい
痛いだろう
その痛いことも夢の出来事だ

つまり夢こそが
人間的に感じ取れるすべてであり
あなたは最初から最後まで
夢の中にいる

古代インドから伝わる経典がある
ウパニシャッドや
バガヴァッド・ギーター

これらは以後に出現する仏教、
現代スピリチュアルの元ネタとなっている
キリスト教も根本にある教えは同じだ

何が書いてあるかといえば
目覚めること、についてだ

つまり世界は幻想だから
そこに囚われている限り苦悩しかないよ
そのように書かれている

だが先にも書いたとおり
夢がすべてなのだ
すべてが夢なのである

 

夢から覚める法

では夢から覚めるとはどういうことか
それは「夢から出る」ということではない
“あなた”は決して夢から出ることはない
なぜならば、あなたですら
夢の産物だからだ
あなたがあなたでなくなったときに
夢から追い出されることになる

だから”あなた”である以上は
夢を夢だと知ったうえで
生きていきなさい、ということ
それを経典は伝えている

夢だと知っているとき
あなたはその存在に光が灯されている

思い込みでいいから少しやってみなさい
いまそこで見えているもの
聞こえているもの
感じているすべてを「これは夢だ」と
捉えてみなさい

夢の中にいるような気分に浸ってみなさい

するとあなたの意識はいつもより後ろに下がる
そして自分の体の動きが見えてくる
指の動きから話す言葉にまで
すべてに意識が照らされるようになる
これまで無意識に行われてきたそれらの行為に
光が宿る

外を歩くことですら
天空と大地の狭間に
自分は立っていると気が付くようになる
足は大地を貫き
頭は天空に引き上げられている

いつもそうだったのだ
それだけの存在感をあなたは放っていた

それが目覚めだ

 

すべては残像

あなたが”目覚め”を
定着させることができるようになれば
様々なことがわかるようになる

例えば、日々の体験について

体験はどれもこれも
過ぎ去ったものの残像だったことに気が付く
リアルタイムに実感できるものなどなく
いましていることですら
記憶の中を見ているに過ぎないことがわかる

つまり、全部夢であること
やはり夢なのだということへの
納得が深まっていく

棒で頭を殴ると痛いが
痛いのは決して「いま」ではなく
その記憶だけがある、となる

記憶とはなんだろう
それが夢の別名だ
この世界を作り上げている原材料

ここでわかる事実とは
あなたは過ぎ去った情報の中に
生きているということだ

いまの自分も
いまの思考も
それらはすべて
いま起きているものではなく

「置き去りにされた絵」を
観ているに過ぎないのだ

 

あなたという”絵”

ひとつ小話をしよう

赤い国と白い国があった
両国は武力で争い合っていた
あなたは赤い国での兵士
毎朝ベッドで目を覚ますと
壁に吊られた赤い鎧と兜、赤い剣が見える
いつもそれらを備えて戦いに挑む日々だ
机の上には、両親と写った写真がある
赤い鎧を着た父と
赤いワンピースを着た母
兵隊学校の卒業式に先生が撮ってくれたものだ
写真を見る度に先生の口癖を思い出す
「赤こそ正義だ、力を合わせて白を追い出そう」

あなたは死闘の毎日を過ごしている
多くの白い兵と戦ってきた
そして今日も疲れ果てた体をベッドに横たえる

朝、鳥のさえずりで目が覚める
壁に吊られた白い鎧と兜、そして白い剣
いつもの装備だ
支度をしながら机の写真を見る
兵隊学校の先生が撮ってくれた両親との写真
白い兜を被った父と、白いワンピース姿の母
3人で笑顔で写っている
撮ってくれた先生の口癖を思い出す
「白こそ正義だ、今日こそ赤を蹴散らそう」

日々繰り返される死闘の日々
多くの赤い兵士たちと剣を重ねてきた
疲れた体のままベッドに潜り込んだ

さて

あなたはさっきまで
本当に同じ性別だったのだろうかね?
それは決してわからない

いまそこにある「絵」がそうなのだから
あなたはそれに従うしかない
同じ顔だったのか
日本で暮らしているのか
すべては「絵」に描かれている通りだ

あなたがいまそこで何を考えていようと
それは、そこでそうであるから
そのように考えが起きているのだよ

ここであなたは疑問する
じゃあ自由な意思はないということか
人生は決定されてこのままだというのか

いいかい
その「思考」ですら
そこの絵の通りに起きている

気が付いたら赤い国の兵士だ
だからあなたは白い国と戦うわけだ

気が付いたら白い国の兵士だ
だからあなたは赤い国と戦う

なんの疑問もなく
あなたはそうする
だって「そうなのだから」ね

 

道は無数、でも行き先はひとつ

古代インドの経典は
真実はそういうものだから
それを超えた意識でありなさいと伝える

それが目覚めとなる
悟りでも超越でもいい

大事なのは
赤い国だろうと
白い国だろうと
それらの「内容」は
どうでもいいということだ

例えば本書がAと伝えた
だが次の日にはBと伝えている
あなたは混乱する

どっちが正しいのだ?とね

いいかい
どちらも正しくもあり
どちらも正しくはない
すべて方便なのだ

月を指さしている

本書があなたをご案内しているのは
指のさし方ではなく「月」なのだ
月は絶対的なものである
正しいとか正しくないとか
そういう質を超えている
すべてはその上に並べられているからだ

だがあなたは「月」を知らない
知らないものを
教えることは難しい

見たこともない色を想像できるかね?
私はその色を知っている
だがどうやって伝えよう?

それは○○のようで
それは○○ではなく
そして○○的だ

これが方便となる
方便は手段だ
だから何百万通りの”道”がある
それが現存する宗教の数
そしてそれら宗教の中でも
教えは多岐にわたっている

しかし伝えようとしているその根本は
たったひとつなのだよ

仏教では神などいないと言われる
キリスト教では神の側に来なさいと言われる

だがどちらも同じことを伝えている
禅のようにわざわざ矛盾を与えることで
言葉での理解を超えさせる教えもある

そして最後はすべての教えを捨てろという
つまり師匠すら、幻影だったのだよ
「超える」とはそういうことだ

本書が伝えられるのはそこまでだ
あなたはそこから
自分で歩いて行かなければならない

まずは夢を見破りなさい

すべてが幻想ならば
その経典とやらも幻想なのでは?
あなたはそう思うだろう

経典という意味づけが
それを重要なものと見てしまうが
実はすべての物事が
夢だと気付くためのヒントなのだよ

ヴェーダもギーターも恋愛J-POPも
そこに転がるアスファルトの欠片ですら
すべてが”同じ”だったことがわかるだろう

 


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コメント・質疑応答

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  1. ONEPOINT より:

    この世が「現実」ではなくて「夢」と見破ることが「目覚め」とは面白いですね

  2. 岩窟王 より:

    ん? ちょっとうずきましたぞ。

    私にとって「幻想」は未知の領域。

  3. より:

    全てが夢ならば夢と言う概念の意味が成立しないような。現実があるとするから、非現実=夢が対置される。
    夢しかないなら、もはや夢とは言えない。

  4. 29歳 より:

    ちょうど昨晩、「すべては夢である」と思って
    過ごしてみようと考えて、今日の1日を過ごしました。

    思考により形成されるものを現実、それ以外を幻想(夢)と定義した上で、
    思考が私であると同一化しない空の状態で、
    思考による意味づけや解釈を行わないで、
    視覚や聴覚などから感知する世界のことを、
    「すべては幻想」と呼んでいる。

    自らが崩壊した世界においては、かつて一個人として持っていた
    「内面」が無くなる。いわば「顔ハメ看板」化する。
    それは、自らを強く客観的に見るという経験の後に起こる。
    自らを顔ハメ看板とすることで、同様に他者のことも
    個々人ではなく背景としてみなす認知へと移行する。

    内面が無くなる、それは同時に外面が無くなることも意味する。
    すべての光景は、まるで眠っている時の夢の世界にいるように、
    包み込んでいる。

    なるほど、外側が無いことに気付きやすくなるためには、
    「すべては幻想である」ことを理解することは、
    必要なのかもしれないと思いました

    が、うーん、どうなんでしょうね。
    まだまだ理解力が足りないです(笑)。

  5. 自分 -涅槃- より:

    ONEPOINTさん
    岩窟王さん
    鯤さん
    29歳さん

    現実と夢
    その区分けを外してみなさい

    あなたにとっての現実か夢かは
    水中のバケツが満杯かカラかということだ

    一枚のカードの表には
    現実と書かれ
    裏に夢と書かれている
    カードをひっくり返すことが
    あなたが前提としているものだろう

    だがね、その前提自体がすでに夢の中なのだよ
    カードが置かれているテーブルに意識を向けなさい

    あなたのいう現実だろうと夢だろうと
    すべて、あなたの意識の中にある

    凝り固まった観念を崩す良いチャンスだ
    あなたが定義するすべての概念は
    自分でそう決めつけているものだということ
    そこに気が付くことだよ

    机の上にコップがあるならば
    それをそのように見ているからそうなのだ
    だがコップに触れずに消し去ることもできる
    あなたの意識上からコップは抹消される

    現実も夢も
    あなたがそこに囚われる限り
    その幻想は確固たるものとされたままとなる

    苦は苦であるが
    それは苦ではなかったということ

    その世界を見破りなさい

  6. りお より:

    自分さん
    最近、大嫌いだったはずの母のことが好きになってきました
    大切に思えるようになってきました
    というより、もともと大好きだったみたいです

    超越の話をされているのにこんな話ですみません
    なんだかとても幸せです

    • 自分 -涅槃- より:

      りおさん

      よろしい
      あなたに関わるすべては
      それがどんな色味を持とうとも
      すべてあなたなのだ

      いわば「色味」があなただ
      その関わり合い
      互いの間で生まれている何か

      それがただそこにあり
      それこそが
      あなたなのだよ

      そこを掴むとき
      必ず幸せというエリアに”戻る”ことになる

      なろうとせずに
      そこにあるものに戻りなさい
      そのままを認めるとき
      あなたの世界に「不幸」は存在できない

  7. より:

    夢だけど、寝れば疲れが取れるとか、まったくの出鱈目ではなく、因果はあるような気がするな。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      逆だよ
      因果という呪縛から抜けなさい

      スッキリした体がそこにあるのだ
      そうして、その「理由」を
      あなたは「過去」に作る

      科学でいえば量子力学という分野に入り込む
      ある現象があり
      その理由を探れば
      その瞬間に「理由という現象」がそこにある
      常にゴールの中だ

      見たら、見えるのだよ
      そこにあったはずのものを見たのではない

      つねに「いま」だけが起こる
      気が付いたら「そうなっていた」だ

      あなたは永遠に完成の中にいる

  8. 岩窟王 より:

    さっき、車を運転していて、
    この車も「夢」。
    このハンドルも握っている手も「夢」。
    前の景色も、おじさんも「夢」。

    そして私自身も「夢」。

    って、やっていたら
    訳が分からなくなってきて、思わず「なんだ これ?」って声が出て大爆笑してしまいました。

    前に「なんだ これ」って言いなさい。というのがあったのを思い出して、さらに大爆笑です。

    まさに「なんだ これ」だと思いました。

    • 自分 -涅槃- より:

      岩窟王さん

      よろしい
      本当のことに気が付くと
      そこには「笑い」しかないのだよ
      その通り

      これまで白か黒か
      そんなことばかりに囚われてきた
      あなたはそこから抜けた

      このジョークなる世界を
      存分に楽しみなさい

  9. kouiti より:

    現実が夢、そして「無計画でありなさい」にあった(すべてを放棄する)にあったように現実で起きたことは流されればよいのですね。されど自分がもし例えばの話ですが泥棒、セクハラ、DVなどそれらの被害にあっても
    夢であるし、流されるまま眺めていれば良いのでしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      kouitiさん

      そうではないよ
      あなたは要点を逃している

      あなたの話では
      常に自分が基点だ

      そうではなく
      自分をやめなさい

      あなたに起こるすべて
      例えば泥棒、セクハラ、DV
      それらはあなたが起こしているのだよ

      それを認識しているのは誰かね?

  10. 藤雅 より:

    今日ウォーホルの電気椅子シリーズを観賞してきました。
    10枚程の美しいシリーズに囲まれしばらく動けませんでした。

    1+1=1+1
    全てに意味はない
    全ては光の渦

    ウォーホルが電気椅子をモチーフにしたこと、表現にシルクスクリーンを選んだこと、なぜウォーホルの作品がこんなにクールに感じられるのか理由がわかった気がします。
    これもマインドの解釈ですが。

    涅槃の書はいつもフィルターを外してくれます。
    ありがとうございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      藤雅さん

      「ウォーホルがいる」
      それだけを経験しなさい

      彼がどういう人物で
      どういう作品を残し
      それに対して自分がどう感じたか

      それが「あなた」を生んでしまう

      だがあなたが今日感じた「何か」とは
      ウォーホルという実在に
      ただ動けなかったということだ

      それは個人的な解釈ではない
      その存在を受け入れたから
      あなたは動けなかったのだ

      理由を探してはいけないよ
      探したら
      個人的な見解が延々と続く
      そこに真実は覆い隠されてしまう

      その場でそこに起こった感覚
      それだけを覚えておけばいい

      あなたは「良い体験」をした
      それだけだ

      それがあなたの実在
      それがあなたという証明なのだよ
      そのこと以上に理由を作ってはいけないよ

      気が付きなさい
      ウォーホルがあなただ

    • 藤雅 より:

      わたしがウォーホル。
      わたしはわたしの中にいるのですね。
      わたしがわたしに対峙して常に生み出される世界がこの現実でしょうか。あなたの人生なんて壁のシミと同じという章を読んで思わす笑い、なぜか安堵しました。意味や意義なんて考えず自分の思うまま熱く生きればそれでOKですね。

      その感覚を忘れないようにします。
      ありがとうございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      藤雅さん

      それでいい
      あなたが自分のハートのままに生きていくとき
      いずれ「自分」が消えていることに気が付くだろう

      体験していることだけがそこにあり
      自分はいなくなる

      それでもあなたはいるのだ
      自分はいないのに
      あなたは在る

      あなたなら
      これがどういう意味かわかるはずだ
      その理解を深めなさい

  11. kouiti より:

    有難うございます、目が覚めました。
    自分を勘定に入れてはいけないのでしたね。
    なにやら爽やかな感じです。
    全部自分で起こしている。
    すっきりです。

    • 自分 -涅槃- より:

      kouitiさん

      あなたの生きている世界から
      あなたを抜いたとき
      そこに残るのは何かね?

      一体誰がその世界を見ているのだろう

      これをよく考えてみなさい
      食べるときも
      眠るときも
      誰かと話しているときも

      このことを思い出してみなさい

  12. 岩窟王 より:

    まだずっと「そこ」にはいられないけど、とにかく可笑しいです。

    お風呂に入っていて、横を見れば石鹸が置いてある。
    笑けてくる。
    まるでこれを使えと言わんばかりだ。

    タオルが掛かっている。
    これも使えと言わんばかりだ。

    で、わたしは一生懸命タオルで体を擦っている。
    笑ってしまう。
    まったく意味がない。
    けど一生懸命擦っている。
    それが滑稽でしかたがない。

    蛇口の上に、水滴が付いている。
    「この水滴、なんでこんな所におるんやろ」
    笑けてしまう。

    これ、相当面白い人が気まぐれで作っていると思う。
    見事な「珍プレ~名人」だ。

    そして、ここは矛盾が存在していない。
    矛と盾がないから。(でも今までの私の世界からみたら矛盾だらけとなる)

    これが「完璧だ」になるのかもしれないけれど、「なんだ これ?」が一番ふさわしいと思う。

    まさにここは、「ジョークなる世界」のようです。

    • 自分 -涅槃- より:

      岩窟王さん

      そのまま瞑想を深めていきなさい
      何度もマインドがあなたを邪魔する

      あらゆる理屈をつけて
      あなたを邪魔してくるだろう

      だが覚えておきなさい

      あなたはその感覚に触れたのだ
      それは間違いない
      それだけが真実なのだよ

      迷いが起こる度に
      あなたが実際に体験した「それ」を
      思い出しなさい

    • 岩窟王 より:

      自分さん、ありがとう。
      私には師がいなかったので、師と言えば「本」でした。
      翻訳している本です。

      でも、「涅槃の書」と出会ったときは、あまりにも「ダイレクト」に記されていて、さらに「プラスα」まであったので、しばらくは頭の中が整理できないくらい驚きました。

      それからどんどん読んでいくうちに、この「プラスα」が、どんどん気付きをくれて、ほぼ10年間、同じ所で止まっていた私を引っ張り上げてくれました。

      読むだけで覚醒する「涅槃の書」。 
      こんなのどこにもないぞ「涅槃の書」。
      本当にありがとう。

    • 自分 -涅槃- より:

      岩窟王さん

      こちらこそありがとう
      私にとっての師とは世界のすべてだ
      もちろんあなたもそう

      自分とは自分以外のすべてであること
      すなわち体験が起こり消滅するゼロの流れ
      諸行無常

      そういった現象、様子が
      己であるのだよ

      何万年もあなたは孤独に歩いてきた
      それは旅なのだよ

      旅を続けなさい

      道中に関わるすべてと
      触れ合う気持ちを忘れないようにしなさい

      旅はまだまだ続く
      ずっと続く

      世界と触れ合う旅
      世のすべてを知る旅
      冒険活劇

      旅は続く

  13. より:

    こんな夢を見た。
    会社で、ある業務をしていて、その件を上司や同僚に話したら、変な顔をしたり、微かに苦笑しているような気がする。
    何かおなしなことしたのか、何だろう何だろう、嫌がらせか?なんだ?と思いながら仕事をしていると、ある時間違いに気が付いた。夢の中の他者は、夢の中の私がわからないことを知っていた。
    夢の中の他者は私の夢だし、自分も私の夢なのだから、この出来事は全部、自作自演だ。自作自演の夢なのに余りにも現実そっくりだ。
    やはり、現実も私が見ている夢なのかもしれない。
    もっとも夢から覚めて数分後は、夢の中の仕事に合理性があることを確信していたが、今はもう、それ自体が夢の中で、忘れてしまったが。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      よろしい
      あなたのいう現実か夢かの境界線は
      単に時間の割合だけだ

      一日6時間だけ起きていて
      残りの18時間を夢を見続けていたら
      あなたは逆の回答をするだろう

      ひとつ良いことを教えてあげよう

      現実生活の中で
      これは夢だ、と思いながら過ごし
      それが定着してくると
      眠っているときの夢の中で
      「これは夢だ」とわかるようになる

      日常のあなたの心の状態が夢を作り出す
      つまり日常と夢見は続いている

      逆にいえばあなたの心の状態が
      現実さえも作り出しているということだ

      どこに現実と夢との境界線があるのだろう

      結局のところ
      どのような見解があろうとも
      すべてあなたのヴィジョン上でのイベントに過ぎない
      そういうところに行き着くようになる

  14. より:

    多分、縄文時代などは、寝たり起きたりの生活で、昼寝したり夕方寝たり、山にいったり海にいったり、夢も現実も区別がつかない世界で生きていたでしょうね
    特に近代以降、八時間寝て十六時間働くと言う生活が定着し、戸籍や私有財産なども制定されて、夢と現実を区分するような世界になったのでしょうね

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      時代はいつも変わる
      だが状況は関係がないのだよ

      どんな環境であれ
      あなたがどのように在るかだ

      人が驚くような富豪がいる
      だが彼は病んでいる

      なぜだ?

      内側の豊かさに光を灯さない限り
      人はハッピーにならないのだよ
      だから時代や環境は関係がない
      他人からどんなに地獄絵図に見えようが
      ハッピーな者は
      そこで大笑いしている

  15. より:

    焦った。コンビニに行く夢を見て、まどろみながら目が覚めたら目の前が部屋の壁で、真っ白な壁のスクリーンに夢の続きが映し出され、部屋の柱がコンビニ強盗に変わって、夢から覚めて部屋にいることがわかっているのに、夢の中にいると言う。
    やはり、夢も現も己が描いたビジョンであるようだ。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      日常と夢見との境界線をどんどん薄くしていくといい
      つまり一本の線上に日常と夢が続いているという
      このシンプルな事実に
      なぜ今まで気が付かなかったのか
      あなたがそこに気が付くとき
      すべてを見破るだろう

  16. より:

    人に嫌われたように感じても、ああよく考えたらこのシチュエーションもこの人も夢なんだよなと思うと、相手がかわいくなり、なにかが起きても、起きたことを受け入れよう夢だしと言う、キャパが広くなるような感じがしました。
    そう言えば織田信長さんは伝説によると「この世は一瞬の夢である」を口癖と言うか、今で言うアファーメーションのように唄ってたと言いますね。いつも都合よく戦に勝利する彼でしたが、最後の最後でワシの天下は現実じゃと勘違いしたので討たれたのでしょうかね。
    まあ、それも夢なんだとしてもですが。

    自分さんは人は他者と関わるとき、夢から脱して自分と触れ合っているとおっしゃってますが、それもまた神(ひとつの意識)の見てる夢と言うことなんですかね。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      私に関してだが
      私を私だとは感じていない

      だからといって
      体を粗末にしたりはしない

      生活もしているし
      他人とも関わる
      ビジネスもするし
      喜怒哀楽もある

      だがそれらがなかったら
      一体、何があるのだろう

      私は私だとは感じていないが
      それゆえに
      人生というものと深く関わるようになった
      何かと何かの関わり
      その起こりを大事にするようになった
      無意識に生きることをやめた
      というより、できなくなった

      食べるとき
      持つとき
      話すとき

      いつも何かが溢れ出ている

      常に意識の光がある
      何においても
      何に対しても

      石を触るとき
      指が石に当たる
      その触れ合いの隙間に
      「それ」があるのだよ

      いわば
      世界とは「それ」でできている
      それが充満している
      つまり、私は私の中で生きている

      そういうことに気が付いてから
      「普通」に人生を暮らすようになった

      食べて、歩いて、眠る
      夕日を浴びて
      猫と遊んで
      コーヒーを飲んで
      コンビニで支払いをする

      私はこの世界で
      ごく普通に生きるようになった

      これはあなたを含め
      ここを見ている人々へのメッセージだ

      それだけで十分だった
      それがすべてなのだ

  17. より:

    自分さんは何を意識しているのですか?
    例えば、私と掲示板で話すときは何を意識していますか?
    コンビニの店員からお釣りを貰うとき何かを意識していますか?

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      あなたのいう「意識」と
      私のそれは相違があるかもしれない

      まず、あなたと掲示板で話しているこの人物がいる
      その人物は勝手に指を動かしている
      思考がやってくる
      思考と指は別のものだとわかる
      見ていればわかる
      肌に感じる温度が見える
      音がわかる
      視界にはコメントが映っている

      孤独感のようなものはなく
      やはり世界には私だけがいる
      包んでいること自体が己の本性だとわかる
      私という言葉を使うが
      この人間のことではなく
      世界を捉えている私が
      ただひとりいるということ

      日常的な出来事から
      いつも深い場所にいく
      するとすべての体感が煙のようだと納得する
      納得するのは思考ではなく

      包まれる感じが起きているからだ

      世界はいつも生み出している
      いつもサポートしている

      コンビニの店員
      彼はわたしである
      彼はいないが
      私と彼との間の何かがある
      それがわたしだと知っている

      だから意識をする、というよりも
      意識を感じる、ということが
      ニュアンスに近いかもしれない

      言葉の表現は超える
      言葉からも意識を受け取るからだ
      つまり私のこのすべては

      私と関わっているあなたも含め
      すべてがなにも持たない、

      一枚だ

  18. 匿名 より:

    私の体や他人の体や町並みや自然はアーラヤ・プロダクションが作った特撮の小道具に当たるわけですね。
    人生の展開それ自体のシナリオも、演出さえも、アーラヤプロが制作している。
    この会話自体もアーラヤプロが製作した映画。今、メッセージを打ち込んでいるのも、アーラヤプロダクション所属の俳優であり、私とは何の関連もない。
    この俳優に関しては、事の起こりは監督との関係で決まっている。
    6:40分になったら風呂に入るか、このまま書き込み続けるか、俳優に出す指示を監督が保留しているのが、見える。
    ストーリーは、決まっているようで決まってないが、会社にいかないと言うストーリーは無いだろうことは知っている。

    • 自分 -涅槃- より:

      匿名さん

      表現は楽しい
      あなたの世界観で話をするならば

      現存する映画や小説などの創作物
      またはゴッホやバッハたち
      それらの作品もすべて
      インスピレーションの具現化だ

      唯識が大きな宇宙とするならば
      あなたの人生に起こる娯楽作品たちは
      小さな宇宙となる

      すべての事象は
      あなたのいう通り相関関係で決まる
      つまり相対的なものしかない
      現代ならばアインシュタインだが
      通り過去に釈迦が因縁生起を伝えている
      どちらも同じものだ

      ただ、すべては過ぎゆく、
      つまり諸行無常は人間的な解釈としては正しくない
      諸行無常とは過ぎていくものを示しているのではなく
      すべてが変化の途上の「ひとつ」のポイントであるということ
      それを示している

      つまり6:40になったら風呂に入るのではないよ
      6:40があなたなのだ

      それで完成系なのだ
      阿頼耶は6:40を出力した

      その体験がそこにある
      それ以前もなければそれ以降もない

      つまり6:40という名称のついたワンシーンが
      そこに起きているのだよ

  19. momo56 より:

    本心では覚めたくないと思っているから
    いつまでも覚められないのでしょうかねえ

  20. 普通さん より:

    聖ゲオルギウス十字??

コメント・質疑応答

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