史上最大の迷宮「人生」を脱出する

ハズレかアタリか
偽物か本物か

そこに新鮮なリンゴと
プラスティックのリンゴがあるとしよう

あなたがそれを見ている時点で
それらは存在している
これはわかるね

それはそこにある
当然の事実だ

だがあなたはそれに価値をつけはじめる
つまりケチをつけはじめる
物の「価値」とはその物に対するものではなく
自分にどれだけメリットが
あるかどうかの基準だ

リンゴが自分に与える価値はどうなのか
それは自分を着飾る水準かどうか
お馴染み、
「自分崇拝の裁判」が開廷される

「腹が減ったがこちらは食べられるが
あっちはハリボテだ、お話にならない」

「部屋の飾り付けを替えよう
リンゴは腐ってしまうから話にならない
だからこのハリボテにしよう」

このようにあなたの判断で
リンゴはその”存在の事実”を曲げられ
本当の姿を見せなくなる

 

矛盾という真実

周りを見渡してごらんなさい
すべてあなたのロゴマーク入りだ
そんなサイケデリックな世界で
あなたは暮らしている

どんな刺激にもあなたのマークを
貼り付けてしまうから
すぐに飽きてしまう

いつも足りない
いつも満たされない
何か外のものへ
ずっと手を伸ばしている
囚人が鉄柵から
手を伸ばしているようにね

存在性というワンネスに於いて
ハズレもアタリ
偽物も本物、空想も現実だ
すべてのフィクションが
ノンフィクションとなる

ヴァーチャルをリアルに体験している、
そんな矛盾の世界にあなたは生きている

理解できるかな?

例えば、
「そのSF映画は架空のお話だが
その映画を実際に見て体験している」

この矛盾

体験するあなたは矛盾とは感じていない
だがあなたがそれに真偽をぶつけるときに
矛盾が生まれる
それはあなたが価値判断を
基本としているからだ

「これってどうなの?」とね

いいかい
どうもこうもないのだよ
ただその通りにそれがあるのだ

あるがままの意識世界に
マインドが介入すると
途端に制限の檻が築かれる

だから矛盾を超えるとき
単純にワンネスに到達する

小説も映画もコミックスも
それが架空の内容であっても
あなたが見たという事実がある
それが真実だ
つまり架空の内容などないのだよ
すべてが「あなたの真実」だということだ

 

シュレーディンガーの猫

マインドは必ずパラドックスの壁にぶつかる
箱の中で猫が生きているか死んでいるか、
そんなくだらない実験の答えを
マインドは出すことができない

なぜならばシュレーディンガー博士は
その実験に時間という矛盾を設定したからだ
時間とはマインドが作り出した

最高傑作の罠のひとつ

あまりに出来がよくて
マインド自らもその罠にはまっている

いつも警戒しているが

警戒している時点ですでに罠の中だ

つまり猫が生きているか、死んでいるか

それをそのように見ている限り

決して答えは出ない

禅問答「ガチョウは外だ」と同じ

生きていたらそうなのだ
死んでいたらそうなのだ

原因と結果の法則は

時間の概念を超えるとき崩壊する


結果だけが純粋な「いま」なのだ

過去はいま作られる

 

迷宮からの脱出

「現実」という名のついた
マインドが作り出した壮大な迷宮は

中から脱出することはできない
ルートが
端から用意されていない
出口が入口というクレイジーな迷路
罠に掴まれない方法はただひとつ、
それ自体を飛び越えることしかない

あなたが見たり聞いたりすること
その「経験」が真実である
世界にただ「それ」があるという事実
それを知っていなければならない
つまり「これはどういうもの?」と

意味付けするその汚れたメガネを
外すのだよ

すると
「それがそこにある」

この事実だけが残る
これが「真実」だ
当たり前すぎる当然のこと

1+1=という問いに悩まされ

あなたは答えを探し求めていた

そして「2」というカードに辿り着く

だがしっくりこない

何かがおかしい

マインドの理屈では
扉が開くはずだった

だが一瞬開いたような気がしただけで

依然として人生は苦しいままだ

あなたにはもう手立ては残されていない
人生という砦を前にひれ伏してしまう

そうして探求をやめたときに
あなたは知るのだよ

「そうか、答えなどなかったのだ」
「それは「1+1=」だったのだ」
とね

この真実はあなたの世界を
奥行きのない1枚の絵にする
つまり「いま」そこあるものだけが
あなたの世界となる

だがあなたの価値判断が入り込んだ途端
「いま」に奥行きが出来てしまう
つまり「時間」が生まれる

実にシンプルなことなのに
わざわざあなたは自分崇拝に耳を向ける
まさに狂った信仰だ
それがあなたの人生を狂わせているのだよ

 

意味付けがすべてを歪めてしまう

自分と未来と過去
その迷宮で途方に暮れる

水中のバケツは満たされているのか
それとも空っぽなのか
そんなことばかりに囚われて
ひとり勝手に怯えているのだ

すべての物事に対し
「意味」という脂肪をつけて太らせている
その総重量があなたの現実の重さだ

例えば高額なセミナーに勧誘する
スピリチュアリスト
「この世は幻想」だと教える人が
なぜお金儲けをしようとするの?

あなたはそう受け取る
精神世界というものに
あなたの価値基準があるからだ

これが国立大学受験のセミナーなら
高額であっても納得するのだろう
すべてあなたの受け取り方が
それらを作っている

釈迦もイエスも衣食住が必要だ
食うためにはお布施がいる
豊かに教えを伝えるには
何もかもが「必要」だ
あなたが彼の立場なら必要だとするだろう
だがまた彼を6年の苦行に戻すのかね

彼は「必要」という苦を捨てることができた
エゴという毒が抜け、全身の力を抜いて
あるがままの循環に浮かぶという境地を得た

つまりマインドを「制さずに制した」のだ


マインドが作り上げた中で最高峰の罠

その名も「人生」
侵入者にはあらゆる対策が施される
誰もが様々な脱出を試みるが絶望の結果だ
だが釈迦は罠そのものを大股で跨いだのだ


ハイウェイをオープンで飛ばして彼は言う
“人生”すら私の手のひらの上にある、とね
これがクールというものだ

 

あなたが己の解釈で
あれをするにはこれが必要
そのように生き続けている限り
苦行が続くということだ

だがこう書けば
「じゃあ高額スピリチュアリストを

認めればいいのね」
そう受け取るのだろうが
それもあなたの「意味付け」だ

その連鎖から抜けなさい
それがどうであろうが
どうでも良い話なのだよ

釈迦が俗世におりたとき
仲間は彼のことを愚かだと罵った

仲間は何も気が付いていなかった

釈迦はあれが必要、これが必要
その必要としてしまう「苦」を捨てようと
仲間と修行を続けた
そうして何もかも不要という境地を探求した
だがそれは「不要を必要としている」ということ
そのアホみたいな罠に気が付くまで
6年も費やしたのだ
それもマゾの境地のような姿に
なってまでね

「人生はジョーク」
彼の名言のひとつだ

 

問題を問題と捉えない

生きるという苦を捨てるという目的
その時点で目的が生まれている

釈迦の教団は大きくなる
信者も増える
ビジネスの観点で見れば
当然キャッシュフローがある

教団がスマートに
人が苦悩を脱するように教えるには
貸借対照表がクリーンであることが前提だ
でなければ教団を維持できない

では釈迦はそこらの個人商店の店主のように
売り上げを求めたのだろうか
毎月の収支と睨めっこしていたのだろうか

ノーだ

個人商店が苦境に立たされるのは
それを求めているからだ
求める限り常に渇望する

釈迦が最初に開いた
小さなドアはそこだった

苦から脱するには
苦を苦としていること自体が苦であること
そこに気が付くことだ

クリシュナは無間地獄でも
バカ笑いして踊り狂っている


あなたは思う
「どうすればそんなに堂々とできるのか?」

そんなあなたの足下を見て

自己啓発は「スキル」を売り付けてくる

サインをしたら最後、

あなたはクリシュナが”いるはず”の

無間地獄にエスコートされる

すべてはあるがまま
それが純潔かそうでないかは
「見た者」が決めているのだ

求めることもなく
求めないということを「求める」こともない
認めることもなく
認めないということを「認める」こともない

火は熱い
ならば直接触れなければいいだろう
火とはそういうものだ

風が吹けば揺れ
雨が降れば濡れ
太陽が照れば乾く

そういった物事だけでなく
あなたの行動もそう

笑えば笑っているだけであり
泣けば泣いただけのこと
歩けば歩いただけ
見たら見ただけのことだ

セミナーに行くならばそうだし
行かないならばそうなのだ

すべてに意味はない
この本質に戻りなさい

 

自ら生まなければ苦はそこにない

個人商店のオヤジは売り上げに意味を求める
苦が彼のドアをノックするのではなく
意味つけること自体が苦だ
つまり自分で生み出しているのだ
苦は彼の産んだ我が子
客人ではないのだよ

酸素が有料となったら
ただそれだけのことだ

いつもの散歩の道に木の葉が落ちていた
ただそれだけのこと

ただそれがある、
それがあなたの視界に入った
それがあなたの認識の中にあった
ただ世界にそれがあった
ただそれだけのことだよ

純潔も不潔もないのだよ
あなたがそう見ているだけ
あなたがそうならば、そうなのだ

釈迦の「人生とは冗談のようなもの」
その真意は
自打球を続けるから痛いだけで
それをやめればい、ということだ

「すべてに意味はない」
この本質に戻りなさい
あなたが意味付けを続ける限り
その世界は満たされることはない

矛盾をそのままにして生きなさい
矛盾こそが真実なり、だ
マインドではたどり着けないのだよ

 


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