自己管理の法(15)

これまでいろいろと紹介していきたが
一度は実践してみているかね?

デジタルツール、紙やペン、
最初はそれらの扱い方に慣れようと努力する
先に何かがある、
自分を変える何かがあるとして
あなたは大変に努力をする

人生とは広大な大地そのものだ
そして「あなたなりの使い方」ができる道具も
同じく地平線の見えない広大な空間ゆえに
それが膨大に感じられ徐々に嫌気がさしてくる

やがて当初の目的からはずれていき
その道具を使いこなそうとすることだけに囚われ
疲れがやってくる
虚しさや馬鹿馬鹿しさも味わうようになる

タスク管理アプリにしても
Photoshopにしてもそう
最初はある到達点を浮かべていた
そしてそれらはあなたが自在に操る道具だった
だが次から次へと迫り来る分厚い解説書のページに
あなたは追い詰められていく

いいかい
一度、やめるのだ

そして再び触ろうとするときがくる
その時、あなたはそれがどんなものか
すでにわかっている
だからつかず離れずの距離が
自然に保てるようになる
どんな物事もそう、
それが「コツ」といわれるものだ

人生も恋愛も同じ
道具も思考も同じ

必要なところのみ引き出す
あなたがそれを「選び」「使う」
それを忘れないことだ

自己管理の法でも道具を使う
いかに使いこなすか、とか
どのようにシステマティックに組み込むか、とか
そういうことに目を奪われるが
最上位の視点とはそのようなことじゃなく
「人生を気楽にするため」のものだ

だから操作に手間暇がかかってはならない
一度離れ、そして再び着手する
そうすることで距離が作られる
最初は誰でも罠にはまる

このことを覚えておきなさい
「疲れてきた」というとき
あなたはそれに囚われているということだ
我を失う
つまり真なる私を失っているのだよ

枠とは体験の寄せ集め

本題に戻ろう

前回、人生という広大な大地に
枠をつくるということを記した

人生とは枠の集合体だ
枠を外せば無限の空間がある
枠はその空間内に設置できる

「テニスをやろう」という枠や
「簡単なビジネスをやる」という枠
「料理をする」という枠
「ジャズの流れるカフェで毎朝過ごす」
という枠まで

いろいろな枠を作り出すことで
あなたの人生は華やかなものとなる
もちろん日頃のルーチンや会社での仕事も
すべてあなたという空間に配置された枠だ



ワクワク

とあるスピリチュアルマスターが
人生とはワクワクを体験するためにある、と
良い表現を残している

確かにそうだ

目の前を美女が通る
見たところ1人のようだ
あなたが話かけるのならば
その意識が向いた時点でひとつの枠ができる
頭の中は彼女のことであふれ出す
どうやって声をかけようか
もし誘えたらどの店にいこうか
前髪を整え
臨戦態勢に入る
まさにいま、枠の中だ

どのような体験であれ
あなたはそれを経験できるということに神髄がある
「体験できる」
それは「枠を作る」と同じ意味だ
嫌な枠も辛い枠も
それらを体験しているということ
そこに気がつけばあなたは神の視点に立っている

無限の世界を知る実験

少し実験をしよう
「これからやってみたいこと」
「やらなければならないこと」
それらをいくつか挙げてみる
1枚の紙を用意して
紙の上の方に、横に並べてそれを書いていく
横1行に並べていく

「テニスを始める 簡単なビジネスをやる 大掃除」

このような感じでいい
紙面が許す限り、どんどん横に並べていく
ただし1行だけに収めること

次にそれら項目に必要な行動を「下へ」並べていく
例えばテニスを始める、ならば

「テニスを始める」の下へ

・ラケットや道具の販売店を調べる
・ラケットを買いに行く
・テニススクールに電話する
・毎週金曜日の午後に通う

という感じだね
順番はバラバラでいい
「テニスを始める」という枠を
完成させると思われる行動を記していく
もちろんもっと細かくなる可能性はある
例えばテニススクールに電話をする前に
ネットで調べたりするだろう
下見をしたり見学をしたりすることもある
適した程度にまで分解させるといい
細かいほど良く
順番はバラバラの方が良い

「家の大掃除」ならば
・何を残し何を捨てるかリストする
・収納する場所を決める
・ゴミ袋など必要な道具を買いに行く
・粗大ゴミの手配を電話する
・ゴミ収集日をチェックする
・ゴミを出す

このようにして
紙の上部に書かれたトピックに対して
それを構成する要素が
ぶら下がるカタチで埋めていく

パースペクティブ

ではここからスピリチュアルを踏まえながら
セルフマネジメントとしての用法を伝えていこう

まず上部のトピック
それぞれの項目のことを本書では枠といい
セルフマネジメントではプロジェクトという
それらプロジェクトの下にぶら下がった項目は
タスクやアクションと名付けられている

その1枚の紙を無限の広大な大地と捉えながら
上部横一列のプロジェクトを
手や別の紙で覆い隠してみなさい

すると「枠」が消え
取り留めのない「行動」の集まりで
満ちていることがわかる

例えば
「テニスを始める」という目的がないのに
「ラケットを買いに行く」がそこにある

あなたはテニスを始めるつもりもないのに
ラケットを買いに行くことはしないだろう
それがマインドの性質だ
常に意味や理由を前提とした判断を基準とする
だから「枠」というのは
マインドの認識のために作るものだ
意味や理由、目的というアンカーに
マインドは安心をする

だがこの話で重要なのは
テニスを始めるつもりはないのに
ラケットを買いに行くことができるということだ

マインドは許さない
そんな無意味なことは理解できない
無駄なお金や時間を使うなど
不安を感じるようになる

だけども、買いに行くことができる
それは枠を手で覆い隠したその紙が証明している
そのような見方で全体を俯瞰してみると
世界という充足が感じ取れるかもしれない
あらゆる可能性がいつもあるということにね

あなたはいままで意味や理由をつけない限り
その豊かな世界を使おうとしなかった
理由がないから、
ラケットを買うという体験をしなかった
まるでレストランに入って
自分からは何も注文をせず
料理を出されるのを口を空けて待っている状態だ
それが当然だと思って生きてきただろう?
セオリーの中に要素があると思い込んできた

だがそれらはいつもそこにあったのだ
理由や目的がなくても
いつでも何でも着手することができる
あなたが好きなように選び、
それを行うことができる
広大な大地とはそういう場所なのだよ

コンテキストという横目線

さてここから面白い実験にはいっていこう
いくつかのカラーペンを用意する
赤、青、緑、ピンク、

上部のプロジェクト名を覆い隠したまま
紙全体から「電話」に関するタスクのみを
赤いペンで丸く囲ってみようか
上記の例でいえば

・テニススクールに電話する
・粗大ゴミの手配を電話する

他に「会社業務」や「ペットを病院に連れて行く」
などのプロジェクトがあるならば

・顧客に新商品の電話をする
・動物病院の診察時間を確認する
それらも赤丸だ

できたかね?
ではペンを置いてみよう

いまあなたは赤い丸がされたタスクを見ている
プロジェクトという題目は覆い隠され
さらに相互には関連性のない赤丸のタスクが浮かぶ

共通点といえば「電話」だ
もうそこには「テニスを始めること」だとか
「会社業務」といった前提はなく
ただ「電話をする」というだけの俯瞰がある

こうして俯瞰することをパースペクティブという
「視点」のことだ

つまりプロジェクトという枠組みも
単なる視点であり
電話という「関連付け」もひとつの視点である

関連付けのことをコンテキストと呼ぶ
ある視点からみれば
それは「テニスを始めること」であり
「会社業務のひとつ」であるが
別の視点からみれば(テニスや会社を忘れて)
ただ「電話をかけて話すこと」となる

もちろん粗大ゴミの何を捨てるかを決めていないのに
ゴミの詳細を電話で伝えることはできない
その順序もあるがそれは次回にする
ここでは視点の話だけを理解しておきなさい

緑のペンを持って
「買い物」に関するものだけに丸をつけてみたり
青のペンで「調べること」だけに丸をつけてみる

このように「視点」は様々な角度から
「無限の大地」に光を差すことができる
視点を手にするとき、それは
自由自在性を得たことを意味する

原子レベルで見ればカタチは崩壊する

何度も繰り返し伝えているように
この無限なる空間はすべてがある
それをどのように効率良く
自分に必要なものだけ「選び」「使う」のか
それがこの自己管理の法のテーマとするところだ
それは「捉え方ひとつでもっと楽に生きていける」
ということに他ならない

「営業成績をあげなければ大変だ」
としながら顧客に電話をするのと
「ただ電話をかける」というのは
あなたの意識がまるで違う
意識が変われば世界は違うものになる

だからあなたが人生に別の視点を持つとき
それまでの既成概念は崩壊する
「これをするには、こうしなければならない」
そういうものが音を立てて崩れていく

さきほどの1枚の紙
プロジェクトやコンテキストといった視点を
取り除いた状態で眺めて欲しい
そこに時間を超えた
永遠の「いま」が浮かんでいるのがわかるかね
見ている「あなた」という枠も捨てなさい
意味を持たせれば、すべてが繋がり合うが
意味を与えなければ、
それらはただそこに在るものだ

他人はいないし
あなたもいない

すべてあなたの見方によるものだ
「見方」は関係性を与えるが
そうした意味づけがなくとも
それぞれは最初からそこあるひとつのものなのだ
これが因縁生起の根源である

そのようなバラバラの要素が
見方としてひとつとなることを「カタチ」という
カタチとは人間の持つ
クリエイティビティの象徴であり
まあつまり、枠のことだ

トマトはカレーにもなるしタコスにもなる
絵の具にもなる
だがトマトはトマト
食べ物でも絵の具でもない
そこに料理や絵画という視点があることで
意味が与えられる
つまり生命という「意味」が与えられる

くだらないね

言葉というものは
どれが素晴らしくて
どれが醜いのかというカテゴライズに過ぎない

そんな意味付け(コンテキスト)の上で
人は不幸になったり、誰かを憎んだり
金がないからと悲観したり絶望したり

やめればいいのだよ
その視点をね

結局はすべてそこにあるものなのだ
カタチにするもしないも
どちらも同じこと

物質が原子で構成されているように
あなたも日常すべてに「原子」を感じ取りなさい
日頃見ているのは
ただの組み合わせに過ぎないこと、
それを悟るのだ


Notes, タオ, マインドハック

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  1. meg より:

    今まで、
    頭や感覚でわかったつもりになっても、実際の日常生活で具体的な行動に繋がらなかったのですが、
    このサイトの記事を読んで実践して
    最近やっと、一歩前へ動き出した感じがしています。

    朝、日の出と共に目覚めて
    自分で決めた1日のスケジュールを淡々と順番にこなす
    静寂に気付きながら淡々と作業する
    思考に気付いている
    やるべきことは後回しにしないで、すぐ取り掛かる(すぐ出来ない時はメモする)
    いつも、今の自分の状態に気付いている

    GW前に、行動に移し始めて、家中の大掃除をしました。

    やるべきことを後回しにしないで、すぐにやる、全部やる
    それを毎日しながら実践しています。

    生きてる感じがします。

    1日が終わった時の充実感。
    朝目覚めた時の意欲。

    今までと全然違います。

    今まで、疲れるのが怖くて、「何もしない」
    をしようてしてたのかも

    怖い、を通り越して「すぐやる」を実践してみたら、ものすごくスッキリするんだということがわかってきました。

    怖い→面倒くさい、もあったことにも気付きました。

    バランスが取れないと思っていた
    仕事と家事も、仕事だから家事だからと、区別する事から開放されて、ただ淡々とこなす事柄の一つになりました。
    結局、全部一緒なんだな。とやっと気付いたみたいです

    家族関係のバランスも、
    もう家族のことをあーだこーだと判断して、自分が思う良い方向にコントロールしようと思わなくなってきました。
    良く理解出来てないかも知れませんが、家の掃除をして、キレイになった部屋を見てると、目に映る世界全てが自分を見てるみたいで、家族もその世界にいるのかなって

    ザワザワした感情や思考はあるのですが、
    それを眺めながら安心感と共に行動してる自分がいます。

    最後に、おまけ?みたいだけど

    あんなに言うことを聞かなかった息子が、
    さらっと頼み事を引き受けてくれたり、
    家で全く勉強しなかったのが、少しは机に向かって勉強する姿を見かけます。

    ありがとうございます。

    追記

    そういえば、姿勢が良くなったみたいです。
    身体にも気付いてるからかな
    今朝も主人に「姿勢がいいね〜」と言われました。

    まだ、全てがわたしなんだと実感するまでには至りませんが
    続けてみたいと思います。

    具体的な行動を教えて下さって
    ありがとうございます。
    とても助かりました。

    これからもよろしくお願いします。

    • 自分 -涅槃- より:

      megさん

      よろしい
      人生をスムーズにさせないのは
      あなたの潜在意識が原因となる

      それは何かといえば
      あなたが固執する信念のことだ
      平たくいえば記憶のことだよ

      表に出てこないが
      常に裏側で掴み続けている
      昔経験した重い気持ちが解消されないまま
      いまもずっと残っているのだ

      いまあなたがおいしいものを食べていて
      その味に感激していても
      まったく関係のないある種の不安要素が
      いつも心のどこかで鳴り響いている
      とても小さな音だ
      だがそれは鳴っている

      だから少し大きな行動を起こそうとするとき
      心の中のそのネガティブに共鳴してしまうのだよ
      これが物事をスムーズに流させない原因だ

      さてあなたはいまこの文章を読んだ
      論理的にネガティブの原因を知った
      これからあなたは何かをする度に

      「ああ、これは昔経験したことが
      解消されていないから、
      こうして引き摺っているのだな
      いま目の前にあることとは
      全く関係なく、私は「重い」のだ」

      と原因究明を果たすだろう
      つまり
      あなたに起こる出来事には何の力もなく
      まして、あなたに負担をかけるものもなく
      すべてあなたの心の中から出てくるものが
      その重さを映し出していたとわかるようになる

      あなたの子供さん
      そしてご主人の変容

      いいかい
      彼らはずっとそうだったのだよ

      あなたが彼らの姿に気付いていなかっただけだ
      感謝は家族に向けなさい
      あなたのために
      彼らは側にいてくれているのだ

    • meg より:

      家族に感謝します。
      潜在意識に潜むネガティブ、なんとなく感じていました。でもそれをどうやって解消したらいいか分かりませんでした。(まだ良く分かってないと思います)
      行動するときに、流れに身を任せる感覚と、潜在意識から来るエゴの声を見分けるコツはありますか?

      お金に対して、多分何か引っかかりがあるようなのですが、自分ではよく分かりません。

      何かが欲しい、と思っても、
      買うのをためらうとき、
      この、欲しい→買うは、自然な流れからなのか、それともエゴなのか?

      買うのをためらうのは潜在意識のネガティヴなのか?

      お金はいくらあったら一生安心して暮らせるかわからないから
      なるべく節約して貯金しなくちゃ
      思考はそう言う

      先日、母がこっそり私の為に貯めたお金を「好きに使っていいよ」と渡してくれたのですが、
      将来何があるからわからないから、使わないで貯金した方がいいかな、
      でもそれって、流れを止めてるのかな、
      とわからなくなりました。

    • 自分 -涅槃- より:

      megさん
      すべてはあなたの思っている通りの現実だ
      現実が先にあって
      その感想を得ているというのではなく
      あなたが思ったままの現実が
      そこに起きているのだよ

      だからあなたがそうならば
      そうなのだ

      つまり
      あなたのその数々の疑問は
      決して解決しない

      なぜならば、疑問という「質」を
      あなたが作り出しているからだ

      もしあなたが
      「お金はいくらあったら一生安心して暮らせる?」
      という疑問を持たず
      「お金はなくても生きていける」と
      呼吸をする程度の認識になるとき
      お金の問題から解放される

      あなたは思うだろう
      「そりゃそうでしょ」とね

      お金のことを考えないようになったら
      そりゃお金のことを考えないわけだ、とね

      その通りだ
      だが実際に起こる流れは
      あなたの想像を超えたものだ

      お金を意識しなくなれば
      あなたの認識からお金は消える
      つまりそれに対していろいろ悩んだり
      たくさん得ることで満足したり
      そういう一切が消滅する

      こういう経験はないかね?
      以前まではファッションに無頓着だったが
      最近は細かい部分にまでこだわっている
      だから、以前の無頓着だった自分が理解できない
      よくあんな格好で出歩いていたな、と

      いいかい
      以前のあなたの世界には
      ファッションへのこだわりの意識がなかったのだ
      つまり、その「思い」がなかった
      世界にそれは存在していなかったのだよ
      だから何も気にすることなく出歩いていた

      だがいまはそれを存在させた
      だからとても気になっている

      この話をあなたの質問に置き換えなさい

      最後に「流れを止める」というあなたの見解だが
      その話を持ち出している時点で
      流れは止まっているのだよ

      流れとは、あなたの思考が起きていない状態だ

  2. 困ったさん より:

    まんま映画のマトリックスて感じがしました。

    聖書と登場人物が関連性あるとご存知の人は多いけどSEさんがあの映画解説してて多次元配列プログラムやあの緑色の流れる落ちるコードはシーン一つ一つである事象の変化と繋がってるとまで知ってる人は少ない。映画的な趣味や聖書との関わりへの関心はともかく、実はアンダーソンやスミスなども電磁波や素粒子、物理と関わる名というのが。
    これ、情報処理試験とろうとして調べた事で偶然、皆、知ったことだから・・・。

    裏切り者サイファーは数字の0を意味する。神の意味をもつモーフィアスは道を知ってる事と実際にその道を歩くことは別物だといってた。

    そういえばソニーがゲーム画面が自らを体験してるように感じさせるデバイスだしましたね。
    半端ないゲーム没入感 「モーフィアス」試作機公開。とニュースにでてました。
    皆、最近マトリックスの世界観好きだなあ・・・と思うと共に自分さんは鍵をくれたし自らが映画マトリックスシナリオを体験してるように錯覚してしまう今日この頃です。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      私はマトリックスは1作目しか見ていないから
      その後の話はわからないが
      ひとつ覚えておきなさい

      あなたがスピリチュアルに興味を持つとき
      関わるすべてのものが
      スピリチュアルの色を帯びるようになる

      変だと思ったことはないかね?

      それが答えだよ
      すべてあなたの中で起こっているのだ
      映画も職業も
      あなたの認識の通りにいつも変容している

  3. あちこ より:

    本当にいつもありがとうございます。
    成功するためには…から始まり、スピリチュアル、宗教、宇宙…と
    私はなんなんだ?と迷ってみたり、知ったつもりになっていたり

    この涅槃の書は衝撃でした。
    ゆっくり、ほぼすべて読ませていただいております。

    軽やかな風を感じるようになりました。
    追求するものはなくなり、こんなに充足感をかんじれる、なんとも言えない気持ちです。

    今、ただ行動することによりたくさんのご縁も頂き、いいも悪いもなく、「ふーん」と思えることもまた幸せで一人笑っております。

    ありがとうございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      あちこさん

      すべては絶妙なタイミングで起きている
      あなたが10歳のとき
      20歳のとき
      30歳、40歳、50歳
      いつもその状況に沿った出来事に包まれる
      常に日常は変化している

      これは何を意味するのか

      いいかい
      あなたが何気なく過ごしている日常
      その常に変化している日常こそが
      あなたなのだよ

      日常を体験している人があなたではなく
      日常そのものがあなただ

      だから安心していい
      あなたはいつもそこにいるのだよ
      死ぬこともないし
      苦しむこともない

      これから人との別れがあるかもしれない
      何かを失うかもしれない
      だがそれを「体験している側」に立ってはいけないよ
      あなたが体験そのものなのだから

  4. ONEPOINT より:

    スケジュールを紙やスマホに書くと
    「やらなければならない」と感じ息苦しくなるので
    書かないで覚えているようにしているのですが
    やはり書いたほうがいいのでしょうか?
    書き留める必要がないくらいスケジュールが単純ではあるんですが。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      書くべきだ
      あなたの頭の外に出しなさい
      それは「やらなければならない」とは違う空気を帯びる
      頭の中に置いているとき
      マインドはさらに重いものへ変えてしまう

      これは基本事項だよ
      頭の中にあるものは
      すべて外に出しなさい

      空いた隙間に
      別の物が入ってくる

      つまり
      あなたの見ている世界が
      入れ替わる

    • ONEPOINT より:

      試しにエバーノートに1日の予定を書き出してみましたが
      あまりにも変わりばえしない生活を
      送っていることに気付かされました。

      こういうツールを使うことにしてもそうですが
      そろそろ生活に新風を吹かせた方が良いのかもしれません。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん
      そう、大事なのは
      いつも変わっていく、ということだ

      そしてそのためには
      何も溜め込まないことだ

      だから紙などに書き出して
      あなたの中をカラにしていく

  5. 困ったさん より:

    何故か学生時代、よく聴いていたペットショップボーイズの歌聴きたくなって・・・。

    実は最近、もう諦めながらだったんだけど、いつもギリギリ試験前に試験勉強して数学力足りないと思ってたから曖昧な下界の事はもう任せてやれる事やっとこと集合、論理、確立、中学からの総数学との復習と向き合ってました。得意じゃないけど嫌いではないし試験前結構難しいの何問か解けても又、忘れて又、再度挑むのにウンザリだったんで、今回はゆったりと時間をとってと。一応、大掃除もしました。急に沢山の捨てられなかった服や、いつか使うかもという時代遅れの参考書を捨てたくてたまらなくなったので・・・。

    でも追い立てられるノルマもないのに私の頭の中でノルマ勝手に作り出します。ゆっくり気の向いた時、何分かでいいと言ってるのに頭は勝手にこの参考書とコレもアレもと
    沢山抱え込んで勝手に目標を作りたがる。
    すっきりしてた私のPC周りはいつのまにか沢山の参考書とマニュアルに高い囲いができてました。本当はいつものことだとはいえ、何故、私の状況といつも一致すると少し気持ち悪かった面も。自分さんや他の方は解ってらっしゃるからいいけどシンクロが重なるとつい他人まで実は全てを知ってると思い込んでしまう時があるので、はあ?と言われるような頓珍漢な事をしそう、言いそうで怖い面もあるんです・・・。

    この記事読むまでの4日ほど、12時間ほど数学解いてアクセス触って・・・と根つめすぎてたので、ふとこの記事読むと、やはり全て御存知か・・・と思ってしまいます。

    昨日、自分さんの記事を読んで又、同じような事繰り返してるのかもな。集合意識の中に私、全体Э私がいるんだとか色々関連付けて考えてしまったので気分転換に懐かしいMTV見てたら、そこに紹介されてなかったけど、頭に直感的に懐かしいペットショップボーイズの「哀しみの天使」のメロディーが流れたので、なんとかんくMTV聴いてみたら日本語訳が気になった。

    こんな和訳でした。

    自分の生きてきた過去を振り返るたび
    罪の意識を感じずにはいられない
    いつだって悪いのはこの僕

    僕が心からしたいと望むことは
    それがいつ どこで 誰とであれ
    必ずある点で共通している

    それは それは それは それは罪
    罰当たりなことと決まっているのさ

    僕がしてきたどんなことも
    したいと思うどんなことも
    行ったことのあるどんな場所も
    これから歩んでいくどんな道も
    すべて世間には認めてもらえない

    学校ではイヤというほど言い聞かされた
    精神も発言も行ないも 清く正しくせよと-
    でも僕はその教えを守らなかった

    僕が心からしたいと望むことは
    それがいつ どこで 誰とであれ
    必ずある点で共通している

    それは それは それは それは罪
    罰当たりなことと決まっているのさ

    僕がしてきたどんなことも
    したいと思うどんなことも
    行ったことのあるどんな場所も
    これから歩んでいくどんな道も
    すべて世間には認めてもらえない

    お父さん 許してください やめようと努力はしました
    けれどいくら心を入れ替えようとしても やっぱり自分を抑えられない
    お父さんにはいろいろ言われたけれど 僕の考え方とはまったく違う
    ずいぶんケンカもしましたね 僕が言うことを聞かなかったから
    だけど今でも僕の気持ちは変わらない

    自分の生きてきた過去を振り返るたび
    罪の意識に捉われる運命なんだろう
    いつだって悪いのはこの僕

    僕が心からしたいと望むことは
    それがいつ どこで 誰とであれ
    必ずある点で共通している

    それは それは それは それは罪
    罰当たりなことと決まっているのさ

    僕がしてきたどんなことも
    したいと思うどんなことも
    行ったことのあるどんな場所も
    これから歩んでいくどんな道も-それは罪

    それは それは それは それは罪
    すべて世間には認めてもらえない
    (Confiteor Deo omnipotenti
    vobis fratres,
    quia peccavi nimis cogitatione,
    verbo, opere et omissione,
    mea culpa, mea culpa,
    mea maxima culpa)
    [trans. “I confess to almighty god,
    and to you my brothers,
    that I have sinned exceedingly
    in thought, word, act and omission,
    through my fault, through my fault,
    through my most grievous fault”]
    (お聞きください、全能なる神よ、
    そして私の兄弟たちよ。
    私は多くの罪を犯しました。
    考えにおいて、言葉において、行いにおいて、怠惰において
    私の過ちを通じて、私の過ちを通じて、
    私の深い過ちを通じて。)

    おかしい事といつも長文すみません。
    内容に意味は無い。ガラスの奥底で文字コードや画像コードが情報を変換させてるだけ。マトリックスの子供が言ってた、スプーンを消して「スプーンを曲げようとしてもそれは無理だ。スプーンなんて本当は無いんだ」を思い出しだけど、父は全てお見通し、帰っておいでと言ってるんでしょうか。
    だけど父の家に中々帰れない。
    委ねるがまだ解れない。
    「したい」から始めたのに「しなければならない」に自ら変換させてしまう・・・。無意識的に。先の成功よいうより、しなかった時の不安が強くそうなってしまう。全てが曖昧なラインにおかれて、もどかしいです。

    ありがとうございます。
    この言葉がいつか個の自分さんに対してでなく包んでる全体に心底から言えるようになれますように・・・。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      その曲は懐かしいね
      だが歌詞は知らないでいたよ
      ありがとう

      読んでみた限り
      彼は「やるべきことをやるべきだ」と
      言っているように感じる
      つまりポジティブな内容だ

      その通りであるなら
      それは正しい

      誰があなたの人生を決めるのだろう
      それはあなただけだ

      あなたが金を手に入れたいのならば
      そうなのだ
      若い人とセックスがしたいのならば
      それに従えばいい

      社会はあなたを封じ込める
      その呪縛を解かなければならない
      それはどうやって?
      簡単だ

      己に従えばいいのだよ

  6. buruku10 より:

    腕時計に一時間毎にアラームが鳴るように設定し、
    鳴ったらエバーノートに心の状態やその1時間に
    何をしていたかなどをメモし、あとは家に帰ってPCでエバーノート
    を開きコピーして貼り付ければグラフや色分けなどで
    その日の状態、何を考えていたか
    心の状態などをわかる様に仕組みを作ってみました。
    エバーノートは文字を打つのが面倒な時などはトイレで
    音声入力も出来るし食事も写真を取って添付するだけなので
    凄く簡単ですね。身の回りにある物がこんなにも便利
    だったのか、と感心させられました。
    マインドはいつも暴走しますが、肝心なのは次の瞬間には
    暴走していた事を忘れている事です。そして振り出に
    戻り同じ事が繰り返されてしまいます。
    自分がいつも何に悩み、どんな現状にあるのか
    それを思い出すまでもなくツールが管理してくれるので
    やるべき事がとてもはっきりします。
    記録する面ではデジタルツールが適していると
    思うのですが、マインドの分析や分解は紙の方が適している
    のでノートでチャレンジしてみたと思います。

    • 涅槃の書-自分 より:

      buruku10さん

      >その日の状態、何を考えていたか心の状態などをわかる様に仕組みを作ってみました。マインドはいつも暴走しますが、肝心なのは次の瞬間には暴走していた事を忘れている事です。

      とても良いね、そのように工夫をしてみること、そうして無自覚な己の傾向に気づいていることで、同じ暴走を起こさなくなるばかりか、それまでになかった人生の展開が開いていくことになる。

      たとえば人生が変わったとか、願っていたことが実現したというとき、当然人生の選択があったわけだ。

      だが「人生の選択」なんて聞けば、目の前の道のどちらを進んでいくか、二者択一の究極の選択を突破しなきゃならない、といったふうに意識が向かいがちだけども、実はそうじゃない。

      人生の選択とは、自分の外に現れている何かの選択ではなく、自分のなかに起こることの選択にある。

      逆に言えば、人生を変えるための物事は「常に目の前を通り過ぎている」のであって、その時の自分がその流れに乗り換えるかどうかのコンディションにあるかどうかだけなのだよ。地下鉄を乗り換えるみたいにね。

      生涯の伴侶と結ばれるとき、また運命の仕事と巡り合うとき、それは「すでにこの世に存在しているもの」と己が合流するということにある。

      つまり乗り換えるだけだが、誰もが無自覚のうちにわざわざ様々な理由を関連づけて、それを乗り越えなければならない障壁のように大きな精神負担と捉えてしまう。

      人間関係にしても仕事の取り組みにしてもそうだが、目の前の出来事に悲観的にならないこと、また到来したチャンスに「やってみるか」と気楽に乗りかかるには、己の心が澄み切った湖のように、いかに乱れずフラットで平穏であるかにかかっている。

      むしろ正解の道を選ぶことが人生の成功の分け目なのではなく、どの道を歩もうとも己が満ち足りているならば、人生は”最初から”成功していることになるわけだ。

      そんな平和な心であるためには当然出来事に心を乱されないようにしなければならない。ここで2つの帰結が同時に生ずることになる。つまり心を乱されないようにする工夫そのものが、乱されていない心を発見し続けることになる。それがこの「自己管理の法」の示しているものとなる。

      同じ生活であっても、ちょっとした工夫をすることで人生の様相が劇的に変わる。それは無自覚な己による制限に気づいたことで、それまでになかった視点や選択肢が増えたことにある。

      無自覚による負のスパイラルを回避するための工夫については、たくさんのアプローチがあるけども、特に重要なポイントについてアドバイスをいれておくよ。

      たとえば、よく話しているように食べ物で気分は大幅に変わる。だが食べ物で自分が変化したことを知るには、記録しておかなければならない。ここに工夫が必要となる。

      いつから食事を摂っていないかとか、その空腹時の何時頃にチョコレートをいくつ食べたかといった記録をしておくとそれが「手がかり」となる。つまりいつも同じタイミングで妙に不安になったり苛立ったりしたときに、そのとき接している物事が「実はこれが原因でないかもしれない」という気づきへと繋がる。つまり不安解消の「別の選択」が可能となるわけだ。

      これは記録をつけていたからこそ気づけるものであり、まさに「見えていなかった道が開ける」ことになる。

      なぜなら不安になっているのは当の自分であり、その自分の思考能力では「別の原因があるはずだ」と悠長に眺める場所など到達することはない。せいぜい根性論的な無理強いでごまかす程度となる。

      また不安に駆られているときにそこで目にしているものなどは、基本的にネガティブな選択の材料となる。当然ながら目の前の物事や他者の言動に不安の責任をみるようになる。当人からすればそれ以外に原因がありえるわけがないのだからね。

      するとそこから負のスパイラルがはじまる。

      ラーメン店の経営者がお客が来ないことに不安になって焦り始める。もうラーメンは下火なんだ、だから思い切って和洋食のメニューを追加しようとか、ますます泥沼にはまっていく選択をするようになる。

      そうして選ばれたものは、もちろん原状回復のつもりであるだろうけども、決して回復に結びつくことはない。なぜなら本当は現状に異常などなかったからだ。

      ところがありもしないその恐れのために手を出したことによって、アップダウンしながらも自然的に推移していたバランスは崩れてしまう。後にラーメン店主は「業績は下がる一方であらゆる手を尽くしたけどだめだった」と語るけども、実はそうではなく自ら破壊したのだ。

      たしかに”自然的に”廃業になっていたかもしれない。だが彼は恐れゆえの選択によって、無駄に宣伝費をかけたり、新メニュー開発の投資、若い元気な店員の採用などに手を出したばかりにその拍車をかけてしまい、巨大な債務を抱えて沈没していった。

      マイナスを補填するためにマイナスを作ったら、それは必ずギャンブルとなる。100円の赤字を取り戻すために100円を投資したなら、当然200円の上がりがなければゼロにならないことは小学生でもわかる。

      だがそれでゼロになっても、そこからさらにプラスを作らなければならないことを忘れてはいけない。

      つまり本来ありもしない問題を作り出してそれに戦い続けるということは、”自然的な流れ”に対抗し続けることであり(後述する)、負債はますます増えていくことになる。粉飾決済などで融資を不正に引き出して息継ぎを繰り返している経営者は、最初の一歩を踏み出してはならなかったのだ。そればかりかこの図式は、人間関係から料理ひとつに至るまでどんなことにも同じ原則として流れている。

      つまり「自然な推移」なるものを知っている必要があるということだ。ここに「タオイズム(無為自然)」の真髄がある。私たちはどれだけスキルアップしても自然自体を変えることはできない。言い換えれば、人間の営みのすべては、それが商売であれ人間関係であれスポーツであれ、すべては自然の流れという土台の上に成り立っているのである。

      だから無自覚な己に気づくというのはこのラーメン店主のようにならないということにあるわけだが、じゃあ彼はどうするべきだったのか。

      単純にいえば自然的な廃業ならばダメージはもっと軽かったわけだが、ここで気づくべきなのは自然的な流れをつかんでいるならば、その廃業は失敗ではなく成功だったということだ。つまり廃業によって新しい流れに乗り続けていくことができた。

      もちろん廃業でなかった展開もあっただろう。それもまた、”トータルな視点”によるものならば、ただ順調に彼は店を運営していた。

      宇宙は波動の集合であると表現できるけども、波はアップダウンの運動によって前へと進んでいく。だから人間観点でみれば、都合的に良い悪いがあって当然なのだ。むしろ「ダウン」がなければそれは新しくなっていけない。

      ところが新しくなっていくことは未知へ進むことゆえに、それに恐れてしまうとラーメン店主のようになる。ゆえにこのアップダウンによって推移されているライン、言ってみれば株価チャートなどでみられるような「移動平均線」を知ることが大事なのだ。

      ここで取り違えてはならないのは、じゃあ失敗に失敗を重ねたら終わりなのかということではなく、表面として見えている出来事はその「見えない向こう側の流れ(自然の次元、大いなる流れ)」に従属しているということ、つまり見えている物事だけを変えようとするから常にうまくいかないのだと気づくことにある。

      つまり雪だるま式に荷物が重くなってしまっても、いつかそのことに気づいたならば、その時点で荷物は次への過程として現れているものとなり、つまり失敗ではないことになる。最初に話したように、人生の選択とは”外”の物事の選択ではなく、内側の選択にあるということだ。チャンスへ投じれる場に己は常に立っているのである。

      だから最初は面倒だと思っても、不安の原因が単に自分の選択(あのときチョコレートに手を伸ばしたこと)によって引き起こされているのだとわかれば、もう怖くなくなる。同時にこれまで濡れ衣を着せられていた他者や物事は、己の呪いから解放される。

      人間関係で不和を感じたときも記録は有効となる。

      人間関係のトラブルの”はじまり”の多くは、双方の一過的な気分の問題にすぎない。その瞬間の相手の気分と歩調が合わなかっただけであり、たとえば相手がその場とは無関係な物事に頭を抱えているときに、たまたま自分に対して寛容でなかったとか、そういうすれ違いが最初の火種となる。

      つまり外的な要因の影響によって不和が起きたにも関わらず、当事者間で戦いが生じているのだと勘違いしてしまうわけだ。そうして「新たな原因」が自らで作り出されて「当事者間のトラブル」として”はじめて”勃発することになる。

      これを回避するには「常に己の精神を揺れ動かせる出来事」をちゃんと見定めておくことにある。

      通りすがりの人が笑顔であるとき、自分が笑われたと思うのか、世界は平和でいいなあと思うのかで人生の光景は大きく変わる。その後の出来事のすべてに影響していく。

      ここで大事なのは、その通りすがりの人に本当のことを問い詰めることでもなく、また自分が笑われたのかそうでないのかを分析することでもない。

      その出来事や心の様子を記録しておいて、その統計を長いスパンで一望することにある。アップダウンに惑わされるのではなく移動平均線を知ることだ。

      記録を記憶に頼らせてはならない。話したように記憶はそのときの気分によって作り変えられてしまうからだ。

      記録といっても別に統計を取るための目的ではなく、1行日記のようなものでもいいし、バレットジャーナルのようにラピッドロギング(合理的な箇条書き)でもいい。

      長くなってきたので、あとで手記にしておくけども、こうしたログはEvernoteとは別にして、たとえばDayOneのようなアプリにひとことメモのように残しておくといいだろう。また日毎にテキストファイルやアウトライナーにつけておくのもいい。特にWorkFlowyやDynalistといったアウトライナーが一元的な管理ができるのでオススメだがこれも詳細は後にする。

      だから良いにしろ悪いにしろ、心が揺れたときにさっと書けることが望ましい。この「さっと書けること」においてデジタルツールは有効となる(これも私の活用しているシステムがあるので手記に書いておく)。

      あと注意点としては悪いことばかりを書いてはならないということだ。

      ちょっとした相手の優しさを感じたとき、儚さを感じたとき、また人だけでなく、ある時間帯のある太陽の差し込み方が素敵だったとか、その季節のその天候のその時間でだけ感じられたものをすぐに残せておける習慣をつけよう。だからこそ感じた時にさっと書ける環境が重要となる。

      そうしてログが積み重なってくると、当初想定しなかった別の感想を得ることになる。意外とこの世は捨てたもんじゃないのだとね。だがここが大事なのだ。それを知っているからこそ「目の前の問題は問題ではなくなる」のだから。

      通りすがりの人が笑っていたとき、家族となんだか嫌なムードになったとき、その場の心境に振り回されて解釈をするのではなく、それら小さな出来事によって大きな流れがあるのだと気づいているならば、いま起きているその問題は様々な要素が絡み合った、偶然として結ばれたひとつの奇跡だったのだとわかる。

      だがその奇跡はあなたが体験しているものなのだ。言いかえれば、その結ばれ続けている奇跡の連続こそが、あなたの生なのである。

      つまり移動平均線とは宇宙の流れであると共にあなた自身のことであり、その永遠の流れを通じて、この世は「良いか悪いか」ではなく、そのアップダウンの波によって紡がれているものだと気づくようになる。

      朝と夜、男と女、なんでもそうだがその両者を行き来することでエネルギーは流れていく。朝と夜が繰り返されて毎日は進み、男と女が絡み合うことで子孫が続いていく。というより、そもそもエネルギーが流れているからこそ、私たちの世界はこのような二元性の世界として現れているのだ。だから商売でも恋愛でもどんなことでもそう、とにかくその時の心境に振り回されて「望まない世界」の原因を自らで作り出さないことが大事となる。そのための”自己管理”だね。

      あと、このコメントを頂いている「自己管理の法」だけども、根本的な理念自体は何も変わっていないが、使っているツールやシステムは時代と共に進化している。それも含めて手記にしておくよ。

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