思考という置物

車を運転している
フロントガラス越しの前方には
黒い車が走っている

その車は鉄やらの原料をつくる工場、
車工場や販売店を経て誰かに所有され
そして運転手のルートのままに
いま私の前を走っている

因縁生起はここで終わりではない

私はその車を見てこれを書いている
つまりマインドですら
その「起こりという幹」から伸びた
一本の枝なのだ

あなたはいま何を考えているだろう
明日のことかな
誰かのことかな
この記述の内容についてかな

なぜその「考え」がいまそこにあるのか
それを調べてみなさい
様々な連鎖の末に
その思考が
そこに起こっていることがわかるだろう

つまり思考とは
あなたが柔軟に考えたり
ひらめいたり
そういうものではないのだよ

起こるべくして
そこにあるもの

それがマインドだ

誰もが「自分が考えを巡らしている」
という錯覚をする
そうじゃない
カタチは決して変容しない
それはそれなのだ

だから思考が巡るとき
それは別の思考に
入れ替わっているだけのこと
青いコップを緑のコップに
持ち替えているように

カタチとは結果の世界だ
出力の状態

だからそれを変えようとすることは
途方もない苦悩をもたらせてしまう
なぜならば
あなたが変えようとするものが変わるとき
それは単に別のものへと移り変わっただけだからだ
あなたの努力は実っていない
何もせずともそうなっていた

いまネガティブな思考にあるならば
それを一旦置きなさい

辛すぎる料理ならば
食べるのをやめればいい
別の料理を選ぶのだよ

黒い車が前を走っている
私は黒い車について考えているが
そろそろ他の思考を選ぼう

 


Notes , , , ,

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  1. より:

    おはようございます。

    質問です。
    自由意志はないとよく言われます。
    思考、感情などはただ湧いてきて、時としてストーリーになったりしますが、それを選択するしないもやらされてるのですか?
    エゴは選んでいるようで、選ばされているのですか?
    だったら、何を選んでもパーフェクトって事なのかな?
    類似の質問があるとは思いますが、湧いてきたので、すみません。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>秀さん
      自由意志があるかないかと
      考えていることが
      そこにあるマインドの声明だ

      その意味をよく見てみなさい
      考えるのではなく見るのだ

      もう一度言うが
      自由意志はあるかないか
      そう書いてあるマインドを
      あなたは見ている

      マインドの枠外に出なさい
      それはそこに置いておきなさい

      あなたの思考できる以外の場所が
      本当の場所だ
      つまりそれがマインドの外側となる

      あなたがこの文を読んで
      またあれこれ考える
      だがそれもマインドを「見ている」のだよ

      その外側に出なさい

  2. より:

    そうなんですね。
    すぐ思考に捕まってますね。
    外側にでる。心します。

    お忙しいなか連日返信いただき、感謝です。なんか清々しいです。

  3. より:

    >カタチとは結果の世界だ
    >出力の状態

    テーブルの上に黒い花瓶が置いてある。

    >だからそれを変えようとすることは
    >途方もない苦悩をもたらせてしまう
    >なぜならば
    >あなたが変えようとするものが変わるとき
    >それは単に別のものへと移り変わっただけだからだ
    >あなたの努力は実っていない
    >何もせずともそうなっていた

    黒い花瓶は気分が悪い、白い花瓶がいい。
    ニトリで白い花瓶を買ってきて、テーブルの黒い花瓶と置き換える。

    テーブルの上に白い花瓶が置いてある。
    気分がいい。

    努力は実っていないのでしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>幻さん

      努力は実っていない、とするならば
      いまそこにそれがある
      あなたがそれに同化して苦しむものではない

      努力が実った、とすれば
      いまそこにそれがある
      あなたがそれに同化して喜ぶものではない

      つまり感情や思考、そういったマインドは
      花瓶そのものだ

      だがあなたは花瓶を通して連動してきたマインドを
      自己意識と錯覚しているが
      それは単に花瓶とセットで置いてあるだけなのだよ

    • より:

      >>自分さん
      お返事ありがとうございます。

      花瓶とマインドはセットで置いてある。
      一瞬一瞬の状態を見るならその通りだと思います。

      >ニトリで白い花瓶を買ってきて、テーブルの黒い花瓶と置き換える。
      不快な環境から快適な環境に改善するために努力したことになりませんか?

      スポーツの練習もそう。

      あーでも、映画のルーシーのように覚醒すれば、努力とか無意味になるのかな。
      意識を切り替えるだけで、一瞬で黒い花瓶から白い花瓶の世界へ移るみたいな。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>幻さん

      そうではない
      花瓶をみている時点ですでにセットとなる
      セットという表現よりも「連鎖」に近いニュアンスだ

      あなたが交通事故現場に行くとき
      そこである種のカラーを感じる
      色でもなければ音でもない
      もやっとした何か
      ここでは表現としてカラーとしておく

      あなたはそのカラーを引き金に
      心の記憶が再生される
      焦燥感が引き出され車を飛ばす
      そして事故を起こす

      黒い花瓶も白い花瓶も
      それはそのままだ
      だがあなたの中の再生が起こる

      ガラスは割れるから怖いとすれば
      目をやることもできない
      黒は不吉な色だとすればそうなる
      それは各々の再生がそのような幻想を作っている

      じゃあなぜその再生が起こるのかといえば
      それはその花瓶だけが連れてきているのではないのだよ

      その部屋の雰囲気、時間帯、あなたの体調、
      そしてやらなければならないことや予定、誰かのこと
      そういった様々なものからリンクが起こる

      あなたがいまそこで、そうしていることも
      リンクの結果だ

      だからあなたは自分でそこにいるわけではない

      そういうことに気がつくことが
      すべての苦からの解放となる
      そもそも苦などなかったのだとね

    • より:

      >>自分さん

      わかります。
      今までの自分の経験からその状況の思考や感情が引き出される。
      あーでも、過去や未来はないんですよね。
      だから自分さんは、「ガラスは割れるから怖いものとする」というような表現をする。

      思考が現実を作る?
      現実が思考に投影される?

      引き寄せの法則とかでは「思考が現実を作る」。
      自分さんは「現実が思考に投影される」。

      >あなたが交通事故現場に行くとき
      >そこである種のカラーを感じる
      >色でもなければ音でもない
      >もやっとした何か
      >ここでは表現としてカラーとしておく

      私はそれをエネルギーや波動、としておきます。

      >あなたはそのカラーを引き金に
      >心の記憶が再生される

      怒ってる人がいる。その人は怒りというエネルギーをばら撒いている。
      ニコニコしている人がいる。その人は幸せというエネルギーをばら撒いている。
      事故現場にもなんらかのそういうエネルギーがある。
      そういうエネルギーを拾うことで思考や感情が引き出されるのですよね。

      そして、事故を起こすか起こさないかの分かれ目。

      >焦燥感が引き出され車を飛ばす
      >そして事故を起こす

      ここでは焦燥感が引き出され、
      無意識のうちに足に力が入ってしまい、
      事故を起こしてしまった。

      日ごろから自分の思考や感情を「見る」訓練をしておき、
      焦燥感を「見る」とか「気づく」ことができてれば、
      落ち着いてそれを手放すというか、焦燥感が消えて、
      いつもどおりの日常を過ごせる。

      一歩進んで、常に自分が「楽しい」「幸せ」と感じていれば、そういう現実になるでしょうか?
      連鎖、かな。「好き」なことをすると「楽しい」から「幸せ」。
      私のなかでは、そう関連付けてるということですけど。

      でも、「好き」なことも変わりますよね。
      ずっと同じ人を好きでいることができれいいんですけどね。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>幻さん
      >「幸せ」と感じていれば、そういう現実になるでしょうか?
      まず自分がいるということを忘れなさい
      自分がいなければ幸せも不幸もない
      自分がいる限りそれを求めるだろう

      そして
      >怒っている人がいる

      それはあなたが自分を作り出しているから
      起きている現象だ

      怒っている人、それはなぜ怒っているのか?
      いいかい
      あなたがそう見ているのだ
      あなたが「彼は怒っている」と見ている
      だからその人は怒っていることになる

      事実をいえば
      怒っている人はいない
      そのように捉えるから
      その人は怒っていることになるのだ

      つまりあなたが到達したいエリアとは
      自分を捨て去るに他ならない

      あなたは少しずつそこに気がついているようだ
      だが、それを「理解」しようとしている
      そうじゃない
      理解しようとしてるのは誰かね?
      自分だろう

      そういう想起をやめなさい

      自分はいない
      いないものをいることにするから
      悩むのだ
      苦しむのだ
      他人を生むのだ

  4. 困ったさん より:

    申し訳ありません。幻さんに便乗してしまいますが・・・。

    >>
    思考が現実を作る?
    現実が思考に投影される?<<

    これ私も物凄く尋ねたい。
    というか思考の通りにはなってくれませんよね。あくまでタイミング、時間の概念が味方してこそはじめて知ることができる。

    黙示録なんて関心なかったのです。聖書も読まない。意外に思われるかもしれませんがスピリチュアルの本も一切、持ってない。元から2、3冊しかもってなかったですが、今はもう一冊もありません。
    変わりに増えたのは物理本。

    黙示録に関して「あれ?」と思ったのは意外にアニメとゲームと情報処理技術の発展からでした。
    たまたま偶然に横山光輝のキャラクター全員集合のジャイアントロボというアニメがありそのアニメのMADを見たんです。プロ並みの上手さでした。(おそらくプロ)
    コナミのアヌビスZONE OF THE えENDERSってゲームの効果音(SE)と音声だけをアニメ画像と組み合わせて全く違和感の無い違う作品に仕上げてた動画がUPされてたんです(今でもニコニコやyoutube)では見れます。
    これぞ才能だろうなあと感心してました。
    そのバック音楽(Beyond the Bounds)の響きが凄くよくて、だけどどても恐ろしい歌詞で・・・。

    お前の心臓を私の手のひらにお乗せ
    魂は樹の枝に
    身体は羽根の上に
    両目のうち、右眼は焼いてつぶしなさい

    東の船は出発を遅らせた
    私の羽根なら追いつける

    ・・・とこんな歌詞。で、なんか近頃のゲームやアニメってなんか神話に基づくの多くない?とふと気づいたんです。
    私はもうゲーム機はもってないしゲームは何十年もしてません。ファイナルファンタジー7の時、プレステ買って以来、ゲームはPS2で卒業。

    それから全て偶然に何もかもが黙示録とリンクしました。

    しばらく嫌であえて調べないようにしてたけど昨日、ふと、りおさんの「シモン・ペテロはイエスを3度知らないと嘘をつく 」が気になって調べたら…。
    秀思學ってのにリンクした。

    正直に皆さん、私以外の全ての人は気づいててあえて私に黙示録を教えたいのかと錯覚する時も。
    私自身は坊主にも出家にも関心なく人並みに豪華な生活に憧れる大衆。
    だけど意識しないほうが繋がるというか
    別に知ろうとしなかったのに。

    どうしてそれほど関心ない黙示録には繋がっちゃうのです?ラブラブ少女漫画もほのぼのサザエさん系、サラリーマン漫画もよく見るのに。最近は仕事に関してウエイト置いてるせいか意識して探すのは仕事に関する情報ばかり。
    面接の際のスキルチェックの為、必然的にソフト操作や情報処理学習や内定に関する試験問題に目がいく。なのに不思議なほど繋がりリンクするのは何故、意識せず、また(知らなかった)黙示録??

    こんなにリンクすると自分には関係ないと中々流せないです。意識って私の意識でなく集合意識がこの世界を創ってるのでしょう? 集合意識が知れって言ってるなら私の個人の意識で自分の世界を変えるなんて可能なのですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      >こんなにリンクすると自分には関係ないと中々流せないです。
      >集合意識が知れって言ってるなら私の個人の意識で
      >自分の世界を変えるなんて可能なのですか?

      よろしい
      例えばあなた今回コメントしていること
      それも「あなたの世界の結果」となる
      つまりあなたがそこであれこれ思考しているのではなく
      その思考すら、その世界の連鎖的な結果が起きただけなのだ

      つまり世界(現実)と思考は密接な関係にある
      ストレートに言えば、思考と現実は同じものだ

      だが勘違いしてはいけないのは
      あなたが「う〜む」と捻り出しているものではないということ
      思考、その言葉のイメージから
      とても柔軟で流動的なものとしているが
      そうじゃない

      そこに描かれた紙芝居の一枚に過ぎない
      思考が巡るとき
      それは次の一枚が出てきただけのこと

      あなたは思考を自分自身だとしている
      そして「この世界は何かおかしい」と思考している、とする

      いいかい
      世界と思考はワンセットだ
      いまその瞬間に
      そこに置いてあるものだ

      だからあなたが「考えている」のではない

      このトリックから抜け出すには
      「考えている」とは考えていない、ということを
      見破らなければならない

      だからあなた個人の意識で世界を変えるというのではなく
      世界が勝手に変わるのだよ
      そしてそこにある思考も世界と連動して別のものに置き換わる
      どこにも「あなた」のコントロールなどない

      いまあなたが現状を見て「不幸だ」とか
      「いまはまだダメだ」とするならば
      そこにそういう思考があるだけなのである

      このように書けば
      あなたの世界に「じゃあ私はこのままなんですか?」という
      思考が置かれるだろう

      あなたはそれを見て
      「私は『じゃあ私はこのままなのか』と考えている」となる

      まあこうやって崩していきなさい
      あなたは不幸でもないし
      どこにも不足はない

      そう感じているのは
      そこに置いてある思考と同化しているからだよ

      割れたコップがそこにあり
      「私は割れている、大変だ、修復しないと」と
      言っているのと同じだよ

  5. 困ったさん より:

    自分さんに感謝は勿論あります。
    いつもありがとう。でもそれは自分さんという違う人が私の為に時間をさいてくれてると仮定してるから。私自身に感謝はできません。

    私自身(集合意識に伝える言葉は騙しやがったな、このヤロー!!)が正直な気持ち。

    何故なら元より、この道に導かれた時はスピリチュアル否定派、そして悟りに何の関心も無い。では何故この道にというと、自らのタイミングの悪さは不可思議に常日頃、疑問をもってたからと現実という鎖に雁字搦め、そして何トンという重力圧力、息苦しさ、生き辛さをかんじてたから。ここから逃げるのには死しかないと思ってた時、ふとしたことからマネゲと出会いがあった。元々は少額ながら株やってたし弱肉強食世界にうんざりだったし世の中の真理はね、利害関係なんだよと社会にでて教えてくれる人も少なくなかったから。だからガチガチ資本主義に凝り固まってしまった考えを地道な貯蓄などに切り替えるマネー本だと思って投資、投機、利ざや、マネーゲーム。損得ばかりに囚われた考え方を地道な昔ながらの考え方に戻せるかなと思って購入した。この時点でまず第一の騙し。

    第二の騙しは悟り。坊主に憧れは無かったので悟りに関心なかったけど苦しみを抜けられると聞いた。マネゲ本の解釈に悩んだから尋ねたけど何故に悟り?とは思ったが悟りだろうがスピリチュアルだろうが、この生き辛さから抜けられて私への障害が無くなるなら。障害をあえて越えるには努力、努力でヘトヘト、力使い切ってへばって、エネルギー充填に大層な時間を使用して、また戦いにエネルギーを使い果たし寝込む。この連鎖からなんとか抜けたい。悟ればこの障害から生き辛さから抜けれるんだ!と多々の導きと信じられない多数のシンクロから信じずにいられなくなって「内面こそが鍵」「外部には力は無い」を信じて中と向き合った。おそらく自分さんもでしょう。内面と向き合うのがこれほど苦しく辛いと知らなかったからできた。
    まずは承認欲求、なぜ認められたいのだ?誰に?母に?親戚に?大衆に?
    次は安全欲求、何故、安心に身をおきたいのだ?寝てると気持ちよいから?痛いのが怖いから?恐怖心はどこから沸いてくる?何が恐怖なのだ?そして生存欲求。どうして生きたい。そんなになってまで何故、生きたいのだ。何故。死が怖い。

    自分さんも御存知のように時期があり導きが多くなれば自然に全ては自分と解る時がくる。だけどそれはそんな甘いもんじゃあない。悶絶。脂汗。涙、鼻水、心臓バクバク。
    こんな苦しいならもう死んでもいいや!
    と思った時、頭の中で鐘が鳴った。
    自分が無意識にいったことだろうとはいえ「おめでとう」と聞こえた気がした。
    全ては自分だと理屈でなく気づいた。
    周りの発言は全て自分の状況に対して移してたものだから。その証拠に誰かがダウン症の話しをしてて「現実化する兆候かな」と言った時、まだどこかで「何アホなこといってる」という想いも確かにあったのに、仕事から帰るなりの弟の一声が「さっきラジオ聴いてて芸能人の誰々の子がダウン症」という話題。ああもうやっぱりか・・・。と理屈でなく奥底で腑に落ちた。

    だけど私が望む世界じゃなかった。
    私はそこがゴールと思ってた。やっとこの世界の秘密に気づけたのだ。全ては自分だったのだ。世界は投影だったのだと。さあ、これからは私にはスムーズな世界が待っている、やっと楽に生きれるんだ・・・と思わせた、騙し。

    なんと!それからが修行の始まりに過ぎなかったのだというオチ。
    その状態を保つには非常に困難で、その状態になるのは又、悶絶して自らと向き合わないといけない。それを以前できたのは知らなかったからこそ。もうその悶絶を知ってしまえば怖くて出来ない。あれほど、はっきりと目の前で全ては自分だと認識でき眼にみれることも次は、自らが死ぬ時だろう・・・となんとなく思う。

    これも騙されたようなもの。現実の状態も障害もとくにかわりなく(変化があったとしても視点を変えられた数ヶ月、その間の数時間。その間は確かに妙なシンクロからスムーズに事が運ぶことも在る。けどそれは意識してないし視点は自らの自由意志では変えられない。エゴはすぐに生えてくる。おそらくエゴは必要だから生えるんでしょうね。)

    状況も障害も大して変わらず修行に入るならあんな悶絶して超える必要なかったじゃん。仏門に入れとでもいうのかしらと。騙されたわ~と・・・。

    何故なら今の会社の「システム」自体が競争原理を元にしてて思いやりという視点はない。また相手も端末、コンピュータであり血肉かよう人と商売というより数字を追う「システム」が出来上がってしまってる。脱サラできるならいいけれど修行の場に社会を選ばれたとしても物理法則、法令順守、競争、分析、全体を分割、強者、弱者を分け戦略を立てる。利潤追求を求める「システム」と真っ向から反発。これを視点を変えたまま会社に行き続けるというのは無理に近い。

    かなり厳しい修行です。
    本当、騙された感覚が強くて、最近もう万歳、お手上げ感覚です。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん
      >でもそれは自分さんという違う人が私の為に

      私という存在はあなたの生の中にある
      それはわかるね?

      あなたはそこに置いてある思考を読み取っている
      そして自分が物事を「考えている」と錯覚する

      だがあなたの世界の中の私は
      そこに置いてある思考を読むことはできない
      ただあなたの世界に、結果を落とすだけしかない
      つまり、そこに置いてある思考と同じ
      私もあなたのいまその瞬間に、置いてあるものなのだよ

      そしてそれらはあなたという空間の中でのみ
      置くことができる

      ここで禅問答だ

      あなたは思考ではない
      だから自発的な行動とは
      すべてそこに置かれたものであり
      それがただ起こっているだけだ

      そして私の登場も単なる起こり
      今夜は「自信を持つ方法」という手記を書いた
      それもあなたの世界では
      起きた現象のひとつ

      そうして「あなた」の生では
      いつも何かが起こり続けている

      さて、あなたは一体どこにいるのだろう?

      そのコメントもいま読み返してみなさい
      一体誰が書いたのかね?
      数分前の自分?

      それはいまそこにないものだ
      いまそこにあるのは
      読み返しているコメント
      そして「それを読んでいること」

      すべて置いてあるものだ

      あなたはどこにもいない
      だから思考に入りこむことなどないのだよ

      そしてひとつ伝えておこう

      そこに置いてある思考が
      「このまま進んだら自分は消滅する」と言っていても
      あなたは消滅しない

      それは単に思考がそのように書いてあるだけ
      あなたにはまるで関係のないことなのだよ

  6. 困ったさん より:

    「自信を持つ方法」読ませていただきました。内容の自身とは自らのエゴの自らを信じることでなく自然に対して信じることは非常に納得、府に落ちました。

    けど内容よりいつもいつもよく私の状況にあわせて記事を書いていただけるものだと想います。

    何故なら数時間前、母が出て行きました。まあ、些細な喧嘩からでいつものことで九州の叔母のとこいったから心配する必要はないんだけど。前から決まってることだから昨日の時点で言っとけばいいのに、あてつけのように結婚した弟からわざわざ電話があって母は九州の叔母のところ行ってるからと。
    紙に置いて残してけばいいことなのに人を苛立たせる無神経な態度は一緒にいる限り、続く。別にいなくてもせいせいしてるからいいけれど、こんな身内の無理解、無神経な態度への気持ちを収めることが修行そのもので、それを神の愛と呼ぶのなら、神より悪魔のほうが余程優しいと思っていたところでした。

    悪魔は契約を好むから一見、冷徹だけど契約外な無理は断れるし契約内容自体は守られる。自然に対応する臨機応変と違い契約内の事柄は守られる安心もあるし
    契約内の実利益も保証してくれる。
    意地悪な神の愛より余程、慈悲深いわ、
    悪魔と契約でもしたほうがよかったんでないの?とか、どっちもいるかいないか解らない存在だけど苛立ち抑えるのになんとなくそんなことを思ってました。
    GWあけスキルチェックあるからエクセルの関数本開きながら消費税計算してたからそんなことも思ったんですけどね。

    頭がうまく回らないままお尋ねするけど
    1+1=1+1 =は全く同じ意味、等号だから当たり前 1+1=2でもなく1+1=10でもない。まんま現れるなら、何故私はこんなに不幸なんだろう=何故私はこんなに不幸なんだろうの疑問が続く状況が現れるなら何故、私はこんなに幸せなんだろう、何故、私はこんなに優秀なんだろうとウソでも心底から疑問もてば=以降の状況は何故、私はこんなに幸せ、優秀だと疑問を持てるような状況が続くってことでしょうかね・・・。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      >1+1=1+1

      そうではない
      そのようには記していないよ
      「1+1=」は「1+1=」だ
      それはあなたのいう
      「1+1=1+1」ではない
      あなたは要点を逃している

      いいかい
      答えなどないのだ

      それは冒険をせよ、という短絡的な話ではなく
      「問い」だけが、ただ置いてあるということだよ

      あなたは問いに対する答えを求める
      人生に起こる出来事に
      なぜ?
      どうすれば?
      と答えを求めている

      そうではなく
      起こるがまま、それはそのままのものだ

      目の前に誰かが現れてあなたにこう言う

      「やあ、1+1= は何?」

      あなたは答えを探すだろう
      計算をして「2」というかもしれないし
      または、「なぜこの人はそんなことを言うのだろう?」と
      そういう解決を探すかもしれない

      一体何が起こっている?
      そこに起こったのは
      「誰かが『やあ、1+1= は何?』と言ったこと」だ
      それをそのまま、答えを求めずに受け入れなさい

      お母さんのすべての行為は
      世界の動きだ
      そこに納得や解釈を持たないようにしなさい
      まして、それを否定するようなことはしてはならない
      それはあなたが「自分」を作り出しているということだ

      起こるがまま、それを眺めていなさい
      何も話さなくていい
      主張を捨てなさい
      そんなものなくても
      あなたの世界はまわる

      あなたがその苦から抜け出したければ
      あなたが「いままでのあなた」をやめることだ

      自己改善のことではない
      改善などすると、また新しいアイデンティティが生まれる

      そうではなく
      自分を捨てなさい
      それですべては循環する

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