心の対話

そこにいない人に向けて
心の中で何か問いかけてみなさい

いいかい
あなたから話しかけるんだ

するとその人が返事を返してくるだろう
この世にいない人でもいいし
別の階にいる家族に対してでもいい

何かを問いかけると
返答をくれる
あなたが話し終える前に
返答が来る
言語化する必要すらない
念じるだけで伝わっている

あなたは妄想とか想像力だとか
そう考えるだろう
だがそうかね?
その返答は本当に
あなたの作った通りのものかな

確かにあなたからの問いかけではなく
相手の発言を先に浮かべるとそれは妄想だ
過去の記憶から
イメージを浮かべているにすぎない

だがあなたから問いかけるとき
思考の枠外からスッと返答が戻ってくる
その返答をそのまま受け取りなさい
“そこにいない人”があなたに返したのだよ

 

この世とあの世

しかし「そこにいない」とは
どういうことだろう?

それは「そこには誰もいない」と
あなたが認識しているだけのことだ

もしこの世から言葉が消え去ったら
ここには何もなくなる
いま目の前に開いている世界が
ふっと消えてなくなる

私たちは言葉によって
事物を認識しているからだ

言葉の消えた世界を想像してみるといい
それが何色でどんな形かさえもわからない
自分というものさえ
どうにも認識できなくなる

つまり言葉が消えるとき
見たり触れたりしている表面的な形を
失うということだ

言いかえれば
私たちは本来何もないところに
この世界をみていることになる

つまり「あの世」のなかで
この世をみているのである

 

いつも優しさに包まれている

つまり形があろうがなかろうが
見えていても見えていなくても
“あの人”はずっとここにいるのだ

あなたはあの頃「この世」において
その人の”奥に流れているもの”を
その見えている姿を通じて関わりあっていた

言葉が事物を生み出すということは
時間や空間の概念を作り出すことでもある
つまり「この世」は
その作られた形象に縛られていた

だがいまやどこでも語り合える
奥に流れていたものは
いまもずっとここに満ちているからだ

問いかけて返してくれる返事とは
その流れているものが
“この世向け”に翻訳が介される

だがそれは
その人が生前いたときと
まったく同じことなのだよ

問いかけだけではなく
その人に触れてみよう
その人の温もりを感じてみよう

ちゃんと感じられるはずだ

そのように色々なことを
あなたから手を伸ばしてみるとき
スッと戻ってくる「返答」は
何の色づけも判断もなく
純粋なまでにあるがままの姿となる

この世のあなたは思考の判断を通じて
他の人たちや物事を捉えている
だからありのままの姿を
見ることができていなかった

だがそこにいない人に問いかけるとき
その人たちは必ずあなたに
肯定的な態度を示してくれる

そうして本当の世界を知るといい
ここがどこであるのかということをね

あなたはずっと優しさに包まれていたのだ
自らで誤解を作っているだけなのだよ

 

 


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  1. tamatama3 より:

    子どもの頃からひとりでいる時には、さまざまなものと会話をしていました。空、木、月、目の前にいないけれど大好きな人等。。
    返答は私の妄想だろうと自分を納得させながら。どんな時よりも癒されていたのは、こういう事だったと、嬉しい気持ちになりました。ありがとうございました。

  2. komatta より:

    同じように風やプールの水やら木々が話しかけてるように感じてました。
    昼間の月をいつも見上げて何故か月から見られてる気になった。
    本当に物心ついたころは自分のいないところではお父さんやお母さんは実は宇宙人になったりしててなんてなかば本気で遊びでてる間、目の前にいない人がどうしてるか気になった。大人が巨人のようにみえた。そのうち母のお腹が大きくなって弟ができるころから現実感覚、大人がそれぞれいて私の目の前にいない間もそれぞれ他人は同じ世界で動いてるというはっきりした認識になっていった。学年あがるたび算数は難しくなっていったから4年生くらいから得意でなくなったが。幼稚園前に祖母にかるくおしえられたこれとこれをあわせて足す引くの計算なんて面白い面白い。
    バズル遊び感覚で算数なんて苦手意識まったくなし。祖父母が初孫の猫かわいがり贔屓目で、この子は天才かもと今思えば恥ずかしくなるくらいオーバーにいってたなと。

    というか…。ここ気づいた人ら悟った人らが多いと思うけど、どうしてそんなに聖者の八つ裂きなどにそんなに冷静なんです?
    知ってる限りテレサやガンジーみたいな社会的聖人のぞいて歴史上の偉人なんて血みどろですけど。
    もう痛みとか越えてらっしゃる?もしそんな目にあっても大丈夫とか。
    そんな想像しないから大丈夫とか、なったときはなったときとか?

    なんでそんなに冷静でいられるんだろと驚く。
    そしてお釈迦さまが道のさきざき出てくるのも「ええ?」とか思われたりされたことはないのか。またSF映画やホラー映画の枠がはずれてあれがでてきたら、そりゃ、うる星やつらのような完全平和で電撃うけて真っ黒なっても1秒後回復してられる無茶な世界ならともかく…。

    いや、阿修羅の話でてきたりパラレルワールドの話題でてきたりと。
    お金廻りをよくするタイミングをもっとよくする程度で見てた私は目とびでそうになったり理解不能・・・。単なるお話しだと考えなくとも理解不能。なんでそんな皆さん、たんたんと疑問ももたず受け入れられるのかなと。

    • komatta より:

      いえ、本当にごめんなさい。
      自分さんの仰ることにケチをつけたいとかそんなことではないのです。
      むしろ預言者もしくは、いにしえの賢者のような目でみてしまってるようなところも。

      しかし疑問が散々、蓄積したままの、ひとときの開眼だったので。

      全て私の投影で世界=私ならこういう表現でるのもおかしくないけど。

      やたら最初のほう「人類」という表現をよくご使用されてたのと。
      宇宙の膨張が収まるとか。よく、はあ?はあ?はあ?なぜに人類?と
      尋ねたこともあると思うのですが…。

      なんかなぁ…..。お釈迦さまや神仏はアナログリアルで数字やら店の名前やら至るところで目にするようになったし。
      ネットではクラウディオス・プトレマイオスは何かと最終的に繋がるし。
      ローマとエジプトの神も。それまで関心もったこともなかったし。
      関心もとうが持たなかろうが私の世界に現れたってことだけが事実で。
      これが「関係性」と思えば。なにゆえ???みたいな。

      落ち着くのも少々、時間はいると思うので。これ以上、グチャグチャ考えないように。。。とは思いますが。え~?

      またたまに皆さんが語る「昔の仲間」ってなに?

    • komatta より:

      あかん。わかりません。
      まずいくら超弦理論みたいなんで究極は紐の振動だったりしたり宇宙の果てと境がなかったとしても。壮大な話と別に感覚によって境界線は設けられてますし。

      で幼少のころ、知らないものは想像できない。税金なんて幼稚園のころ知らない。教えられるというより家族の会話でたびたびでて自然に知っていき教育で自然にシステムを知っていき。制限かけたの自分て。
      もう気づきました。いりません。といっても消費税きっちりとられますし。物理法則は理屈より体験から。体育で跳び箱から転んだなど。重力を自ら感じて。これは事実だから。どれだけ気づいても動かしようがない。

      教育受けずに野生で育っても狼少女になってただろうで、空を飛べてたとも思えないし。税金、保険サービスなどのシステムは変わらず、ただ子供の頃の感性を取り戻す。感受性を取り戻す。高次の波長を感じる。
      松果体が鍛えられるだけの話ではないのだろうかとか…。

      どれだけ今にいてもスーパーで消費税とられるたび固定観念に戻ります。

      今のところ、暴言吐くような粗暴な文字がさっと賢者にかわったり
      恋する普通の乙女が急に武道の師範のような文字になったり…と
      いうことは体験ずみ。リアルな人のいうことも気分次第もあるでしょうが
      いうことはコロコロ天気のように変わることはあるけれど…。

      基本、コンピュータに掲示板にしろシステムは変わらない。

    • komatta より:

      ttp://www.nikon.co.jp/channel/light/chap05/sec02/index.htm
      見る力の発展 第3の目の進化。ニコン。
      Niconからもちゃんと説明してくれてるのでトンデモばなしと別に松果体の発達はわかります。
      こういう一見、最初はトンデモ話が信じられるようになってくるのは大手の科学の仕組み説明やらと、あまりブレがない。

      そこで本当に錯覚ではないんだろうと真から腑に落ちていく面もあり…。

    • komatta より:

      感覚についてはちょっと…。
      痛みの感覚やら空腹やら今日も腹痛あって
      しばらくトイレにこもったけど俯瞰なんて無理ですよ。
      ほんま無理。
      これでいつも戻るようなもんですし。

      不思議は山ほどある。
      今になって学生時代の担任の名前が
      神代とか楠とか。そういうのに気づきやすくなったり。
      痛みが怖い。そして幻想とはいえ家族やお金や仕事も
      理不尽な形では失いたくない。

      え~~~~???感覚こえられるくらいにならないと
      苦行でしかない。

    • komatta より:

      いみわからんけど超弦理論の魅力
      京都大学基礎物理学研究所/杉本茂樹さんのPDFとか今日、わからんなーとか思いながら見てたけど

      調原理論からM理論、なぜかブラックホールまでの解説をしてて
      びっくりしました。難しすぎて意味はわからない。PDFです。

      M 理論のMは
      膜 Membrane の M
      母 Mother の M
      ミラクルマジックミステリーのMiracle, Magic, Mystery の M
      マトリックス Matrix の M

      たんにカンだったけど母のMも一応、正解だったんだー。と。
      胎蔵界もマトリックス。ミトコンドリアもマトリクス。膜、胎蔵ですし。

      いや、こんなんは何故か本当に気づきやすい。中身わからなくとも。
      だけど復興宝くじ買ったんですけど全部ハズレ。300円が一枚あったきり。だから不思議は認めます。
      だけれども痛いのもお腹すくのも寒いのも、あるがままあっても
      「耐えられない」

  3. Aslan より:

    良い記事ですね。

    今日は、会社と、労働条件について話をしたのだけど、労働者の権利とか、普通に踏みにじられている現実(の一部を)体験したのだが、それを踏みにじっている上司は、まさに自分自身の権利を踏みにじっている訳で、不合理極まりないのだが、どうしてこうなるんだろうね

  4. Aslan より:

    「全体主義者」「権威主義者」にとっては「個人の権利」ほど不合理なものは無い。
    公の利益が個人の利益に優先すると言う考えからすれば、個人の利益を主張するものを潰すのは合理的選択な訳だ。
    ちなみに、私は、上司と喧嘩したりはしなかった。
    上司も、これは、眠りの中で、反応的に行動しているだけで、特に悪意が在るわけではない。
    それにこの上司は比較的聡明で「良心的」な人でもあったので、私は非常に買ってもいた。

    さて、私も、何が正しいかさっぱりわからないのですよ。
    或いは、私も上司も正しいか、どっちも正しくないということは言えるかもしれないがね。
    だから「個人の権利」を絶対視するつもりも、私には無い。
    基本的にごり押しする要素は、何一つ無いのですよ。それは分かってくれないかな
    「・・わかった」と、心の中の上司は、今、そういっているようだ。

  5. 色即みっちゃん より:

    僕が心で語りかけて…。

    語りかける途中で心の話相手から、
    返答がくる…。

    愛しい人を亡くした方ならわかるだろう…。

    僕達は姿形がない…。

    視覚によって感覚が麻痺している…。

    愛しい人を亡くした方に…。

    愛しい人は常にあなたと一緒だよ…。

    何故ならあなたも幻なのだから…。

    生きている時の関係に永遠はない…。

    人は死して永遠の関係となるのだ…。

    肉体もなく…。

    男も女もなく…。

    親も子供もなく…。

    それが本来の姿なのだ…。

  6. Aslan より:

    全ての人間が幸せになる究極のルールってあるのかね。

    上司からすれば部署を循環させる責任がある。
    しかし、個人は人生を循環させる責任があるわけで、
    会社の論理だけを優先させるわけには行かないのだが、その循環の中に会社もある。つまり、個人の人生の循環の方が大きな流れで、その中に会社があるわけで、個人は会社の一部ではない。

    • komatta より:

      映画マトリックスは子宮

      たいぞうかい【胎蔵界】
      母胎にたとえたもの。蓮華(れんげ)によって表象する。
      ttp://dictionary.goo.ne.jp/jn/133791/meaning/m0u/

      あんまり好きじゃなかった「南無妙法蓮華経」の説明
      日蓮聖人のほうですよ。南無は帰依、妙は真理 法は釈迦の教え
      蓮華は白色の蓮華

      白蓮華に妙に魅かれて。金剛、ダイアモンド 
      パタリロからですね。意識したの。
      超弦理論のM理論から11次元と11面観音。
      究極は笑いとばしてしまえ。
      この「連想ゲーム」はある程度わかりました。

      「私は私につつまれている」膜。
      とにかく五感覚なんとかしてほしいです。しんどい

  7. 色即みっちゃん より:

    南無とは帰依…。

    全てを委ねると云う意味だ…。

    全てを委ねる?

    そう!全てを委ねるの意が南無だ…。

    全てを流れに委ねられる者が、
    この世界にどれだけ居るだろう…。

    南無どころか…。

    自我、自我、自我だ…。

    それを自覚している者がどれほど居るだろうか…。

    南無とは全てを委ねるだ…。

    そこに自我があれば、
    それは南無ではない…。

  8. komatta より:

    いや、本当、程度もんですよ…。

    あんありのタイミングの悪さに、なりゆき上、先祖供養やらすることなってで看板やら担任のホテルの地名の場所の名前やら、やたらお釈迦さまと神仏でてきて…。てだけで。

    ミシミシとか夢の金縛りが怖くて神仏すがったみたいなだけですからね。
    ボウズになりいわけではなく。
    完全自我なくせとか言われたらもう無理ですよ。
    体がもたない。ほんまに死んでまうわ。程度はある。

    • 色即みっちゃん より:

      金縛り自体が自分を縛る自我の表れだろが…。笑

    • komatta より:

      なんであれ、とにかく体面はちょっと考えてほしい。
      病院も行きながらだから。
      まじで。体感方面はもうすこし配慮を

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