1分間レッスン

生きていることは「行為」ではない
それはそこに起こっている現象なのだ

現象を常に得ている
形のない情報のようなもの
それだけが循環している

たとえば口の中に意識を向ける
すると味が起こる

味という情報が起こるが
本当のところ
口もなければ
食べ物もない
唾液もなければ
「味」というものもない

そこに何が起きたのかといえば
名のない「それ」が起こって「いた」のだ
便宜的に口やら唾液やらと名付けていくが
そのすべてがそもそも何かは
誰にもわからない

1分でいい
いま抱えている悩みを忘れなさい
1分後にまたどんどん思い悩めばいい

昨日の誰かのことを
明日きっとまたこうだ、と
過去から未来へのトラベラーなあなたにとって
得意とするところだろう
だから1分後という未来に
思い悩めばいいというのは、容易なはずだ

1分間
あなたは抱えている悩みを忘れて
いまから書くことに集中する

1.立ち上がる
2.足の裏と地面の感触に意識を向ける
3.あなたの体重が足にかかっている
4.それを知る

ではそこから
「足」「足の裏」「体重」「地面」
それらを外してみる
外した状態で感じてみなさい

何が残る?

名のない感覚だけがある
足もなければ地面もないが
この感覚だけがある

それが「それ」だ

あなたの生とは
「それ」の集大成である
すなわち「情報」という形のないデータ的なものを
あなたは自己解釈にて具現化する
足や地面が生まれる
幸福や不幸が生まれる

何事もあなた自身がそのように変換させていることに
気がつきなさい

根源にある「それ」を見据えなさい

視覚すら眼球への刺激だ
だからあなたの見ているものは
その通りではない

視界に関しても
1分間レッスンをやってみなさい
すると世界のカラクリがわかる

「いま起こっていること」に目を向けることで
真の世界が姿を現すのだよ

 


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