世界をあなたの遊び場にする方法

他人の目
他人の機嫌
他人の評価

今日はお気に入りの服を着ていたようだね
あなたは意気揚々と街を歩いた
だが最初に通り過ぎた若い女の子2人が
あなたを見ながら何やら笑っている

ここでマインドが起動する

処理は瞬間的にパニックになる
今日は鏡の前で何度もチェックした
特におかしいところはなかった
もしかして自分のセンスが古い?
いやそれはない
先週は友人たちに高評価だった
まさかこれが涅槃の書のあれか!
「あなたと他人が見えているものは違う」
だとしたらどうやって確認すればいい?
いやいやそんなお伽話は理解できない
たぶんさっきの彼女達は思い過ごしだろう
気にしすぎているから気になるのだ
そのようにネットで読んだことがある
きっとそうだ

5分後、次はカップルが笑っている
すれ違い様に横目で「絶対ないない」と言う
あなたは再びパニックだ
もしかすると自分のことじゃないかもしれない
でもさっきの女の子2人のこともある
しかし友人には褒められた
自分も良いセンスだと思う
たださっきから男性たちの視線も気になる
一体なんだろう?
自分はどのように見えているのだろう
どこかトイレに入ってチェックしたい
自分だけが自分のことを知らない
このままじゃさらし者だ

 

他人の中で生きること

さてこの人は他人の目で自分を見ている
それがわかるだろう
この手の人は多い
あなたもそうかもしれない

ここまでいかなくとも
社会と関わる以上、
同じ心境の中にあなたはいる

つまり他人を通して自分を見ているのだ
他人の評価次第
誰かの機嫌次第
だからあなたはゴマを擦る
お調子者になる
自分のエゴの見返りのために
誰かのエゴの手助けをする

昨日は上司は機嫌が良かった
私も良い気分だ
今日は上司の機嫌が悪い
どうしよう

上司の機嫌など
あなたには関係がない話なのに
あなたは保身のために機嫌を取ろうとする
だから根本にあるのはエゴだ
エゴがエゴとペッティングしている
非常にグロテスクだといえる

このようにあなたは
他人の尺度で生きている
それを仏教では「地獄」という
サルトルの「他人は地獄である」も同じ

何をするにしても
「これでいいのだろうか」
そのように考えているなら
あなたはすでに地獄にいる

 

自分を生きるということ

特に日本という国はね
この呪いの影響が非常に強い
家庭では横並びを教え込まれ
学校では焦りを与えられ
メディアには流行を植え付けられる
どこに「あなた」があるのだろう

あなたが関わる人々も同様だから
互いに相手を通じて自分を見ている
操り人形の蜘蛛の巣
誰かが藻掻けば糸が引っ張られ
あなたの右腕が上下する
すると隣の誰かが笑い出す
冒頭の街を歩いた話でも
そこに登場するすべての人々が
蜘蛛の巣に引っかかっている

この呪いを解く方法は簡単だ
あなたが自分の世界を生きればいい
だが「他人の目を気にしない」とは違う
その時点で他人が意識に上がっている
他者の手のひらの上で
自分の世界を作ることになる
それじゃいまと同じだね

そうではなく
「本質的」に生きればいいのだよ

いまはこれをする
次に備える
はい、次はこれ

そのようにシンプルで在ることだ
どこにも他人が入り込む余地はない

そしてもうひとつ
どんな良い部分でも悪い部分でも
他人のことは一切考えないこと

あなたは四六時中、
誰かのことを考えている
最初はそうじゃなくても
必ず誰かの話に繋がっていく

顔が浮かぶ
声が浮かぶ
あなたとのやりとりが浮かぶ
こうして「まな板」に材料は揃う

あとはいつものように
妄想という料理が煮込まれる
フツフツとじっくり時間をかけて
どんどん味が濃くなっていく
フツフツと
フツフツと

脳裏に他人が浮かんだら
すぐに気が付くよう工夫しなさい
そしてそれをやめる
本質的に行動することへ意識を向け直す

 

時間を超えるメソッド

覚えておきなさい
無駄な寄り道は必ず「蜘蛛の巣」にかかる
「お気に入りの服を着た」
「気分がいいからちょっと街を歩こう」
これが無駄な寄り道だよ

歩くのは構わない
問題はその思考だ
そのプランの時点ですでに
他人の世界に捕獲されている

だからといって他人を見て悪態を付いたり
拒絶したりするというのも違う
それも他人を意識している

そうではなく犬や猫のように
あれこれ考えず何も期待もせず
自分のやることだけ
やってればいいのだよ

未来や過去もその正体はマインドだ
つまり「時間」であり「他人」のことだ

あなたが「目の前のことをやる」として
本質的な活動のみに生きるとき
暮らしが4分の1にまで凝縮される

あなたは日頃4倍もの余計な物事で
過ごしていたのだ
本質だけをフォーカスするとき
一日の長さはいまの4倍となる
つまり時間の速度は4分の1となる

そして時間は止まったようになる
それが無我の境地だ

 

世界があなたの遊び場となる

振り子をイメージしてみなさい
目の前で右、左と往復している
ではその振り子の台を45度回転させよう
すると振り子は
あなたの側、あちら側へと
行ったり来たり往復する

あなたの意識が自分に向いているときは
世界から分離している状態だ

「他人からどう思われているのか」
「これでいいのだろうか」
「私はどうすればいいのだろう」

このように檻に囚われてしまう

そして振り子があちら側のとき
あなたは自分個人に意識を向けていない
統合された「ひとつ」
そこに意識が浸透していく

「服を着て街を歩いている」

そのことだけが世界に起こっている
他者は消える
誰もいなくなる

街の真ん中にいるのに
人類が滅亡した後の森林を歩いている
あなたを評論する人々はいない
すべてがあなたの遊び場となる

だから振り子を
イメージしておくと良いだろう
こちらに来ていたら
あちらにリリースしなさい

 


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  1. 新浦安 より:

    当たっていると思いますが、現実の社会生活を送るうえではほぼ不可能ではないでしょうか?私みたいな、全てを捨てて、好きで株ニートをやっている人には実践できるでしょう。因みに私自身はもうこのレベルに到達しています。何が起きても動じなくなりましたし、他人に対して期待もしていませんから、お世辞を使うことも無く、本音で接することができます。

    • 自分 -涅槃- より:

      >新浦安さん
      最初に断っておくが
      あなたの文面だけに対する返答だ

      まずひとつめ

      「不可能ではないでしょうか」

      人々の多くはどこかへ向かうのに
      片足だけで進んでいる
      わざわざ「ケンケン」の状態で向かっている
      それは大変なことだ
      両足を使って歩けばもっと楽で早い
      だが人々は何に囚われているのか
      片足だけしか使わない
      両足があるのにそれを使わない
      私はそれを伝えているだけだ

      その無意味な物を落としなさい、とね

      だからあなたの言う
      「不可能ではないでしょうか」は違う
      不可能どころか
      あえて難しくしていることをやめるだけだ
      より「簡単」になる

      次だ
      「因みに〜」からの以降すべて

      あなたがそうならばそうだ
      それは素晴らしい

      ただひとつ
      あなたが記事に反応して書き込みをした、
      それが種を撒いている

      なぜ書き込んだのかね?

      そこに何があったのだろう
      あなたを動かす何か
      つまりあなたは「動かされた」ということだ
      あなたの言うその現状
      それは不動であると思い込んでいるかもしれない
      だがあなたは動かされた

      最初に書いたが
      私は文面でしか対応できないから
      本当のあなたを知らない
      だからあなたにとって的が外れているのだろう
      それは構わない

      この私の講釈が罠だと気が付けばね

      ただ感謝を伝えておく
      本書に関わってくれたひとりだ

      ありがとう

  2. 新浦安 より:

    返信、有難う御座います。その昔、埼京線に乗ってたら急にバカらしくなったんですよね。何もかも。そこから少し悟りの境地になったと思います。要するに世間体を捨てろって話だと思うのですが、なかなかそれが難しい。悟りの境地になかなか辿り着けない。
    学校だろうが、会社だろうが、人と接する限り人の目を気にするし、また自分を飾ろうとするからやっぱり難しい。
    私みたいに飾らなく、世間体を捨て去れば可能だと思いますが。

    コメントを書いた理由は、なかなか核心を突いた記事だと思いさらには、自分と似たような考えの人がいて嬉しくなりコメントしました。
    この記事に書いてあることを、全人類が実践すれば争いごとも無くなるだろうと思いますが、現実はやっぱり難しいでしょう。
    アンチにとっては、単なる世捨て人か負け犬の遠吠え的に聞こえるでしょうから。

  3. 新浦安 より:

    また、個人的にシンクロニシティの体験が多いのである時ふと「人生ってのはある程度、決まっているのではないか?」と思いました。人には逃れられない運命というものがあるのだと気づきました。和歌山、川崎。立て続けに殺人がありましたが、共にキーワードは引越しです。もし、引っ越してこなかったのなら死なずにすんだのかな?とは思いますが、引越ししなかったら今度は、別な理由で死んでしまったのかな?とも思います。
    私の考えを上手く代弁してくれた映画に「ファイナルデスティネーション」があります。死ぬべき人が仮に生き残っても、死神に地の果てまで付きまとわれ、結局は死んでしまう。回避の仕方は不明の理不尽な映画ですが、人生も理不尽なクソゲーだと思うので、映画に対して共感できました。

    最近、気づいたのですが、自分だけなのか、それとも世間一般の人にも当てはまるのかわかりませんが、人は何故か似たような境遇の人が近くに寄ってしまうことに気づきました。
    小学校の集合写真を見てそのことに気づきました。
    それに気づくことによって、未来もある程度まで予想することができるようになりました。

    このサイトに辿り着けたのも必然なのかもしれませんね。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>新浦安さん

      >人生ってのはある程度、決まっているのではないか?

      逆に捉えてみなさい
      ただ流れているのだよ

      だからよく言われる「自由意思はあるのか、ないのか」
      その発想すらも消える

      ただ流れがあり
      そこに乗っているだけなのだよ

      例えばあなたは
      「似たような境遇の人が集まる」という
      その通り
      すべてはあなたの思っている通りになっていく

      だが、もう少し上の次元から見れば
      「似たような境遇の人が集まると感じている自分」が見える
      そこには「思っている通り」すら流れだったことがわかる

      つまり
      あなたが思うことすら
      あなたが生み出したものではないのだよ

      本書と巡り会ったことも
      ある次元での見解では「必然だったのだ」となるが
      その上の次元からは
      「必然だったのだ、が必然だった」となる

      そもそも
      本書とあなたは同じものだ
      ひとつのエネルギーがあり
      その流れが「出来事」や「思ったこと」となる

      あなたはいずれ気が付くだろう
      その勘付きを忘れないようにしなさい
      日頃、常識だと思っていることを
      すべて疑ってみなさい

      繰り返すが
      あなたのコメント、そしてその思い
      それらはあなたが生み出したものではない

      そのように書いたこと、それだけが起こったのだよ
      それが「流れ」だ

      ただ流れだけを眺めていなさい

      あと少しだ

  4. 新浦安 より:

    またまた返信有難う御座います。
    まだ、納得できないことが一つあって、それは理不尽系の出来事に対する解釈の仕方です。
    例えば、横断歩道を渡っていたら、信号無視の車に轢かれて、再起不能か死亡したり、最近では女子医大、群馬大、千葉大等での医療ミス。病気を治そうと思って病院に行ったのに、逆に行かないほうがマシだったり、外の病院に行ってたらよかったのにと感じてしまうことです。
    医者は知っててやったのだからかなり悪質。殺人罪で問われても文句は言えないハズ。
    昔、似たような質問を悟った人に質問しましたが、返事は「自分が選んでいる。」という返事がきましたがどうも納得がいきません。
    例の殺人にしても、親が引っ越し先を決めたわけですし、病院も子供に関しては親が決めたわけです。親の運の悪さが子供にまで影響したとしか思えません。
    スピリチャル的に答えを出せば、前世の影響や、先祖の影響といわれます。こっちの方が相手を説得するのは簡単ですが、どうも卑怯な感じがします。

    私自身も引越しをしてから、運が悪くなりました。毎回、裏目をひきます。
    さらに悪いことには、何故か私と仲がいい人は皆、引越ししてしまいます。
    それで、残るのは私と波長が合わない人ばかりだったのでつまらなかったです。
    引越しも私の提案ではなく母親が強引にしただけです。もっと、自己主張をして帰ればよかったと思います。

    この記事の主人公はまだ恵まれています。仲間内ではファッションセンスを認められているのでそこで満足するべきだったと思います。
    たまたま、運悪く、自分のファッションセンスを理解できない、クソ女がたまたま通りかかっただけと解釈すれば、別に悩むことではないと思いますがね。

    • 自分 -涅槃- より:

      よろしい
      様々な事件があるようだね
      私は知らないことばかりだ

      だが”あなたの中”のあなたの知人たちは
      あなたが知っている事件について
      互いに語り合ったりしているのだろう
      あなたの視界の中でね

      いいかい
      すべてあなたの中で起こっていることなのだよ
      あなたが「知るということ」が
      あなたの世界だ

      私は以前ハエの生態を追っていたことがある
      その為に多くの借金をした
      朝方まで研究を重ねていた
      あなたの知らない世界だ
      だが私には非常に重要な世界だった
      そこに没頭しているときは
      もうそれしかない

      私が他に同じ興味を持つ人々を見つける
      彼らとコミュニティを開き情報を交わす
      そうして私は自分の世界を「生み出して」いった

      さああなたは蚊帳の外だ
      あなたの世界にはハエの生態も
      それを語っている人々もいない
      つまりあなたの世界には存在しない

      同じようにあなたの見ている悲痛な事件
      それは私の世界にはない
      この話が何を意味するかわかるかね

      すべて、あなたなのだよ
      あなたが西アフリカで生まれていれば
      エボラに悩まされている
      そこにはいまの世界観は構築されていない

      あなたはまだ抜けきれないのだよ
      自分はこういう世界を生きていて
      あの人は、自分とは違う世界を生きているのだ
      そのように考える

      違う

      あなたの世界にはあなたしかいないのだ
      あなたの世界に登場する他人は実在しない

      私のこのコメント
      これはあなたが自分に書いているのだ
      あなたの求めるがままに
      それは起こっている

      あなたの世界に
      ハエの生態を追っていた「涅槃の書の著者」がいる

      だがその人も
      ハエの生態も
      実在しない

      すべてあなたが見たり聞いたりしているだけなのだよ

      これを理解するには
      これまでの常識を溶かさなくてはならない

      あなたが社会に対してネガティブに受け取ること
      それはあなたがネガティブにしているだけなのだ

      その悲痛な事件は実際には起こっていない
      あなたの中の「この世は悲痛な事件が起こる」という
      その「常識」が
      あなたにそれを見させているのだ

      前世や先祖という話も同じ
      あなたが「そう思っていること」
      それがあなたの生きている世界だ

      だからね
      あなたにすべて責任があるのだよ

      あなたが理不尽である限り
      世の中は不幸だ

      公園で遊ぶ少女も
      あなたが「社会とは重いもの」とする限り
      彼女は重い世界を生きることになる

      世界を救う方法は簡単
      あなたが常識を変えればいいだけだ
      世界は最高に楽しくキレイで素敵で
      感動的でエキサイティングだ!

      そのようにあなたが生きることで
      あなたの見えるものが変わる
      ネガティブな世界は消える
      つまり、世界は幸福に包まれるのだよ

  5. 新浦安 より:

    再度、返信有難う御座います。難しいです。では、理不尽な出来事を目の当たりにしても、黙認して、無視すれば、良いということでしょうか?
    そうすると、人非人みたいな感じがしてどうも、イヤなんですよね。一応、予防策としてはニュース番組はなるたけ見ないことにしています。朝から、殺人、詐欺、等の人の不幸ばかり流されるので見ないことにしました。
    アフリカ云々のくだりはバートランドラッセルの世界5分前説みたいなものでしょうか?要するに自分が体験していないものはなかったことにするということでしょうか?

    これを引越し先の同級生にやられたんですよね。つまり、自分にとって不都合なことはなかったことにする。やられた本人はたまりませんし、結局は事態は変わってないと思います。
    原発事故後の対応もこれだと思います。無かったことにする。日本人の不気味さはこれだと思います。特に地方の田舎ではこれが顕著だと思います。
    あいにく私は明治初期から東京の下町に住んでいたので、田舎者に対する免疫力がなかったので、毒に大当たりしてしまったと思います。

    話は変わりますが、この前、浦安鉄筋家族のDVDを購入したのをきっかけに、フェイスブックで浦安の同級生と25年ぶりにコンタクトを取りました。
    私は、もう自分のことなんて忘れていると思ったら、ところがどっこい、私の当時の顔まで鮮明に覚えているとのことでした。今度、会う約束もしました。
    人間ってのはなかなか記憶力がいいですね。それが不幸の始まりかもしれませんね。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>新浦安さん

      あなたは以前のコメントで
      「レベルに到達している」と書いていた
      そして私は
      「私の講釈が罠だと気が付けば‥」と返答した

      あなたはいま私に尋ねている

      いいかい
      私が罠だ
      そこに気が付きなさい

      あなたが「それ」を疑問視する限り
      いつまでも囚われ続ける

      あなたの持ち出している話
      そのすべてにあなたは囚われている

      本書もそう

      なぜ私が「悟りすら忘れた先にそれがある」と
      伝えるのか
      それは一切の「囚われ」から離れるためだ

      あるがままにしておく

      それ以外にないのだよ
      だがあなたも多くの人も
      「どうにかしたい」としてしまう

      なぜだい?

      あなたは引っ越し先の同級生にやられたという
      日本人の不気味さともいう

      あなたがそうならばそうなのだ
      ではそのままにしておきなさい

      火は熱い
      触るとヤケドをする

      ただそれだけのものだよ
      そこに不幸も幸福もない

      そうであるだけなのだよ

  6. 新浦安 より:

    やっぱり、難しいですね。言わんとしていることはある程度はわかりますが、もう一段上のレベルに達せませんね。
    高校の同級生が入学して1週間で交通事故に会い、再起不能になったんですよ。
    悟り系の言っていることを実践できるのは、一部の金持ちで健常者に限られるのではないでしょうか?他人と関わらないと、浮世で生活することはやっぱり不可能な感じがするのですが。
    私はまだこのレベル止まりなのでどうも納得できませんね。

    あなたがそうならばそうなのだ
    ではそのままにしておきなさい

    自分を強引に納得させても、何も事態は変わらないと思うんですよね。

    最近は、不幸すら楽しむ姿勢で生きているので、まあこれも人生だと割り切っては生きています。たまに人生を総括すると結論は、人の悪意にやられたなと感じます。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>新浦安さん

      ・もう一段上のレベル
      ・悟り系
      ・不可能な感じ
      ・レベル止まりなので
      ・納得できませんね
      ・自分を強引に納得させても
      ・思うんですよね
      ・やられたなと感じます

      揚げ足を取るような書き方で申し訳ないが
      これらはあなたの書いたものだ

      自分の書いたものを
      他人が書いたものとして見てみなさい
      あなたがどれだけ観念に囚われているか
      それをみるのだよ

      あなたの世界のすべては
      あなたが作っている

      それらを落としなさい
      もっと自由に生きなさい

  7. 新浦安 より:

    返信有難う御座います。自分では自由に生きていると思うのですが、人生を振り返ると、上記のようになってしまいます。悟り系のブログは難しくて、紹介しても一般人は理解できないし、理解しようともしないですから、理解されず、誤解されちゃいますね。
    しかし、理解されたいというのも欲になるのでそれすら考えてはいけないのですよね。

    やっぱり、人の不幸に対しては無視して自分の幸福のみを追求するべきなのでしょうか?
    ここがまだネックですね。
    さらには、人の不幸ならまだしも、自分自身や身内の不幸に対してはどのように対処すればよいのでしょうか?笑って済まされないレベルもあると思います。

    起きたことに対してはしょうがない、諦めろってことでしょうか?

  8. 新浦安 より:

    あと、質問なのですが、人間に自由意志は無いという考えがどうも理解できないです。
    このブログは陳胡痒ブログ経由できましたが、株で儲けるのも、損するのも運命だみたいなことを書いていましたが、結局は本人の努力は無駄なのでしょうか?
    東大に行く運命の人はたいして勉強しなくても行けるし、株も変な買い方をしても勝つ人は勝ち、負ける人は負けるってことでしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>新浦安さん

      簡単なことだよ
      今夜布団の中で朝からの一日を
      思い返してみなさい

      朝はあれを食べたな
      そういや誰かとあれについて話したな
      たまたまあれを見たな

      当然すでに決定されたことばかりを
      思い出すだろう

      さあどこに自由な意思はあるのかね
      そして
      どこに不自由があるのかね

      いいかい
      自由意思という概念自体がパラドックスなのだよ

      いまここ

      あなたが未来も過去にも一切囚われず
      「いま」だけを生きるとき
      完全な自由を手にする
      それはとてもパーフェクトだから
      自由や不自由という概念も消える

      ただそこにいるだけ、そのようになる

      だが過去を振り返るとき
      それらは変えようのない事実
      そこを見るとき「自由はない」となる

      だからね
      自由だとか
      不自由だとか
      それは「いま」にいない人に起こる発想なのだよ

      東大に行った
      それは過去の事実だ
      そこに自由はない

      いま、何をしているかなのだよ

  9. tamatama3 より:

    こんにちは。
    この記事はまさに過去の自分に起こっていた世界。そしてコメント欄の質疑応答も。どちらのおっしゃることも「うん、わかる。。難しいなあ。」と。
    人目。そうですね、他人の目を通して自分を見るようになったことが、まさに自分の苦しみの元凶でした。それはもう、幼稚園くらいからです。人から誤解されることも苦しいものでした。言葉で相手の納得する説明ができないとまたさらに誤解されたりと、小さいほど苦しかったのを覚えています。一人空想の中で、絵を描いたり、ブランコに乗ったり、特に音楽が私をたくさん助けてくれました。そう思い返すと、私は苦しい中でも頑固に自分の世界、だれにも邪魔されない世界に入っていたのだな・・と。それが自分さんのおっしゃる「無の世界」(言葉が適切でなかったらすみません。わかっていただけると信じて。。)なのでしょうか。。それで良かったのでしょうか。
    今は現実に対する免疫力がかなり高まりましたが、やはり人目は少々気になりますね。それがなるべく起こらない環境になるよう常に努力を怠らない自分がいます。。と認識している自分がいます。

コメント・質疑応答

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